「光る君へ」第二回、吉高由里子さん、出て来ました。まひろ、いいじゃないですか。朝ドラのヒロインみたいで。
今回の大河では、大石静先生が(歴史上実在の紫式部に、ではなく)「吉高由里子サンが演じる主人公」に「まひろ」と名付けた、ってことです。
大河ドラマは史実しか描かない、と多くの日本人は思いがちです。
「光る君へ」を観て、紫式部の名前は「まひろ」なんだ、NHKが言うんだから、と思った子供が、大人になって小説家になって、自分の歴史小説に「まひろ」と書いたら、それは赤っ恥になります。気を付けましょう。
紫式部の名前が「まひろ」なのは、今回の大河に限定です。
もし「俺の抱く紫式部のイメージに合わない!」と思う人がいたら、そう発言するのは、まあ自由です。
しかし「NHKともあろうものが、史料にもないことを勝手に創作するな!」という批判をするならば、それは違うでしょう。
紫式部とか清少納言とかいうのは、通称というか、いまでいうペンネームみたいなものです。
紫は彼女が書いた物語のヒロイン(紫の上)、式部は彼女の父親の官職名から取ったものと考えられます。
彼女のリアルタイムでの女房名は「藤式部」だったそうで、のちに物語作家として有名になったので「紫式部」に呼び名がランクアップした、ということです。
昔、吉永小百合主演の映画(千年の恋 ひかる源氏物語)では、親から父親から「むらさき」と呼ばれていました。そりゃあないよ、と心で突っ込んだものでしたが。
まだ物語を書いていたい若い彼女が「むらさき」という名前なのはおかしいだろ、と思ったわけですが。しかし、もし彼女が自分の本名を物語のヒロインに名付けるような自意識高めさんだったら、ありえないこともない、かも知れませんが。
大河ドラマは「ドラマ」であって歴史教養番組ではありません。その脚本の基本ルールは、「史実として記録が残っているところは曲げてはいけない。しかし、分かっていない部分は、脚本家が自由に創作してもよい」というものです。
そして、歴史というのは基本は穴だらけで、ほとんど「分かっていないこと」ばっかりなんです。
事件のあらましや、人物の肩書や通称は、それなりに記録に残ります。
しかし、登場人物の言葉や感情は、ほとんど記録されませんし、記録が真実だという保証はありません。
だから、スキマを脚本家が想像力(創造力)で埋める、ここを観るのが「大河ドラマの醍醐味」なんです。
歴史ドラマ作りというのは、分かっていない部分を作者の埋めて埋めていく作業です。主人公の呼び名、というのは、真っ先に創作しなければならない、オリジナリティーの肝、という部分です。
歴史マニア(という面倒くさい人種)が大河ドラマを観るとき、「なるほど、ここまでは史実で、ここからは創作だな」というふうに面白がって議論するわけですが。
ときどき「史実と違うことは一切、認めない!」という人がいて、炎上させようと躍起になったりするわけですが。そういう人に限って、「史実」だと思い込んでいるのが昔読んだ小説(誰か先人の創作物)であることに気が付いておらず、言えばいうほど恥をかいたりするものです。
話がズレたついでに、「女性の名前は、結構、分からないものだ」という話をします。暇だったら聞いてください。
武田信玄の側室に「諏訪御寮人」と呼ばれる女性がいます。武田勝頼の母ですね。父を殺した男の側室となる、薄幸のヒロインですが。
井上靖の「風林火山」では由布姫、新田次郎の「武田信玄」では湖衣姫、となっています。名前が全く分かってないから、作家がそれっぽい名前を工夫するわけです。ここに、センスが出ます。
先輩作家が作った架空の設定を、史実だと思い込んでしまうのが、歴史小説
家としてはいちばん恥ずかしいことですが。
人の名前って、結構このワナに嵌りやすいところなんですよ。
諏訪御寮人に「由布姫」という名をつけたのが井上靖の創作だって知らないで、自分の小説でも使っちゃったら、とんだ赤っ恥ですからね。
新田次郎は、意地でも、由布姫とは全く音もイメージも違って、しかも由布姫よりウマイ!って言われるような名前を考えつかなければ、武田信玄の小説をいまさら書く甲斐がなない、っていうくらいなもんでしょう。
新田先生、湖衣姫てのを思い付いたときに、ガッツポーズしたに違いない(笑)。
井上靖の「風林火山」も、新田次郎の「武田信玄」も、ともに大河ドラマの原作になりました。
原作がある場合、登場人物の名前も準拠します。だから、歴史上同じ人物なのに、何年前の大河と今年の大河で、違う名前で呼ばれていたりするわけです。
大河「武田信玄」では、南野陽子が湖衣姫をやってました。
現役の超人気アイドル歌手だったから、「恋姫」の名前はドンビシャだったけど。
逆に、わざとらしすぎるネーミングだなあと生意気にも思ったものです。だって日本中の大名が、大河のヒロインにならないと恥ずかしいような名前を、娘につけるとは思えないから。
今にして思えば、新田次郎先生ごめんなさい、です。