源氏物語の主人公は「帝である父の愛人・藤壺と不倫関係になって・・・」というのは、大間違いです。 | えいいちのはなしANNEX

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大昔の、市川雷蔵が主役の「新源氏物語」という映画があるそうですが、この解説に「光源氏が、父(帝)の愛人の藤壺と不倫関係になって云々」とある、そうです。
これは、大間違いです。愛人ではありません。
「藤壺」というのは建物の名前、中宮が住む飛香舎(ひぎょうしゃ)の別称です。つまり固有名詞ではなく一般名詞であり、藤壺、といえば中宮(皇后)と同じ意味です。つまり天皇の正妻です。この解説文が間違っているのか、それとも映画のほうが間違っているのか分かりませんが。

これは推測ですが、これ書いた人は、「藤壺」と、光源氏の母親である「桐壺更衣」とを、なんとなく頭の中で混同して、勘違いしているのではないか、と思います。
「更衣」は一応、天皇の妃の一人です、愛人ではありません。
ただし、天皇の妻には厳然と序列があって、皇后(中宮)ー女御ー更衣 となっていて、これは本人の容姿や才能でも寵愛の深さでもなく、ひたすら「実家の格」で決まります。皇女か摂関家の娘くらいでなければ中宮にはなれないし、公卿の家の娘でなければ女御にはなれません。
戦国時代や江戸時代でいうなら、皇后・中宮は「正室」、女御は「側室」という感じでしょうか。

では「更衣」はといえば、これは文字通り「天皇の御着替え担当の女官」という意味ですから、天皇の妻のなかでも、かなりランクが下です。

つまり「お手付きの女中」みたいなもので、「どうする家康」でいえば松井玲奈がやった役(結城秀康の母)みたいなポジションだと思えばいいかも知れません。
これを、イメージ的に現代人が「愛人」と表現しても、まあ、無理はないかな、というポジションです。実際、源氏物語の主人公は、母親の身分が低かったので皇子にしてもらえず、「源」の姓を賜って臣籍に降されたわけです。


しかし、藤壺は「先帝の皇女」であり(だから藤壺の宮と呼ばれます)、源氏の父である帝の正妻です。その生んだ息子は天皇になれます。
「藤壺」と「桐壺」は、顔と名前が似ているだけで、地位としては雲泥の差なんです。

もしかして源氏の母の桐壺を「天皇の愛人」と表現するのがまあ大間違いではないとしても、藤壺の宮を「父の愛人」と書いたら、これは明らかに間違いです。父の「正妻」に手を出すのと「愛人」に手を出すのとでは、スキャンダルとしても重みが全然違います。藤壺に手を出して子供まで生ませたことが万が一表沙汰になれば、下手すれば国家反逆罪なんです。

天皇の息子を誰がいちばん先に産むか、ってのが王朝社会の政争の重大な要素の一つであることは皆さん御承知の通り、だから不文律として、天皇は、あまたいる妻を平等に愛すればいい、わけではない、摂関家の娘である中宮のもとに優先的に通い、男の子をつくらなければいけないんです。

ところが先帝は、中宮や女御をそっちのけで更衣に過ぎない桐壺を寵愛して、先に子供を作ってしまった、これは王朝社会では「やっちゃいけないこと」なんです。だから生まれた子供には早々に「源」の姓を与えて臣籍に落とした、あれは皇子じゃないから、ってことです。

「源氏」というのは「流浪の王子サマ」って意味なんです

。「源氏物語」ってのは、その一旦は捨てられた王子が、いろんな女性との関係を足掛かりにして朝廷でのし上がっていく、「課長島耕作」みたいな出世物語なんです。
って、こんな言い方をすると気を悪くする人も多いでしょうけどね。


源氏物語の主人公って、女性に対するやり口も、結構ヤバイことやってるし(紫上なんか明らかに幼児誘拐だし)。ヒカルくん、わりとダークヒーローの一面もありますよね。