松尾芭蕉が「忍者」だったって話は、ただのホラなのか? | えいいちのはなしANNEX

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「服部半蔵と松尾芭蕉は同一人物だという話を聞いたんだけど、本当?」
どっから、そういう話になるかなあ(笑)。
伊賀出身の松尾芭蕉が実は忍者だった、という奇説があるのは事実だけどね。
服部半蔵は忍者ではありません、忍者を支配、指揮していた(と言われる)武将です。自分が走ったり跳んだりドロンと消えたりはしません。
半蔵というのは服部家の当主が代々名乗る通名ですので、何代もいます。だから必ずしも「時代が違う」と一蹴することはできませんが。
猿飛佐助とか霧隠才蔵とかいった怪しげな説話上の存在ではなく、歴史上間違いなく実在した旗本です。松尾芭蕉と同一人物であることは、有り得ません。

松尾芭蕉は伊賀上野出身なんだから、忍者に決まっている。実は公儀隠密なんだ。でなきゃ、あんなにあちこち全国を歩きまわる必然性がないじゃん。
と、思いたがる人が世の中には多いのは事実です。
隠密とか忍者とかって単語は、時代劇を盛り上げる定番です。私もセンセーショナルで大好きです。
しかし、芭蕉に関しては、こういう大袈裟な話は有り得ません。
ただし、幕府のインテリジェンス(情報収集)要員であったことは、充分に考えられます。
戦国時代から「旅の連歌師」というのは、他国の情報を売って歩くのが商売、というのは、ある意味公然の常識でした。
情報といっても城に忍びこんで密書を盗むみたいな大それた話ではなくて。
隣の国は実のところ景気がいいとか悪いとか、領主は実のところ民衆から好かれてるかとか、戦争の準備をしてる様子はあるかとか、そういう噂話の延長線上みたいなことでも、こちらの領主にとっては喉から手が出るほど欲しい情報なわけで。
だから、そういう連中を歓待して城に入れて連歌の会を催して話を聞くわけです。
ほかに領主に招かれる級の評判の医師とか、人気の旅芸人とか、大手を振って国境を越えて移動するような職業の者は、みんなそういう副業に携わっているのは当然のところですどっちも「麒麟がくる」に出てきましたよ
ね、ああいう存在です。
松尾芭蕉というのは、まさしく、そういう「旅の連歌師」の伝統を継いでいいる存在、といえます。
芭蕉は若い頃、江戸で神田上水の工事の現場監督をやった経験などがあります。つまり、幕府にはもともとコネがある人物です。
芭蕉の高名は全国に轟いていますから、旅先では引っ張りだこで、その地の要人、有力者の家を渡り歩いても、誰も怪しみません。そうして、仙台伊達家の統治は上手くいっているか、反抗的な空気はないか、家臣団に不仲や分裂はないか、みたいな空気を探るわけです。
伊達のほうでも、江戸からくる有名人には幕府の息がかかってるに違いない、くらいは先刻承知です。
むしろ芭蕉の活動を妨害したりすれば「叛意あり」って印象を与えてしまいますから、さりげなく歓待して、印象よくしようと努めるでしょう。
いわば芭蕉はミシュランの覆面調査員みたいなもん、と思えばイメージに合うでしょう。
芭蕉は、あとで幕府にレポートを上げるわけです(まあ、紙に書くかどうかはさておき)。その程度のことで、お上が自分の芸術活動に便宜を図ってくれるんなら、御の字ってやつです。
幕府は、こういう「外部の情報収集者」を多数持っていたであろうと思われます。
北斎とか、広重とかも、おそらく、そういう存在です。
もちろん隠密っていうほど大袈裟なもんじゃないし、忍者が絵師に化けているわけでもありません。
芸術家は、いつも純粋に芸術のことだけ考えている、ってわけにいかないのは、江戸時代でも現代でも同じでしょう。