関ヶ原の後だったか、茶々が家康に「色仕掛け」を仕掛ける場面がありました。
「茶々はあなた様に守っていただきとうございます……」
これは本気か? 茶々は家康を慕っていたのか? っていえば。それは違うでしょう。
茶々は強烈な「皮肉」を、家康にぶっつけているんです。
あなたは、私の母に「必ず駆けつけて守る」と言ったんですよね、覚えていますよね、まさか忘れたとは言わせませんよ!
つまり、これは「精神攻撃」です。
私はあなたを決して許しません!ってことを、茶々さまは遠回しに、いや、あからさまに言ってるんです。
家康にも、その真意が刺さったはずです。だって、このドラマの家康は善人だから。善玉と悪玉が神経戦でぶつかったら、どうしたって善玉が押されるもんです。
「さあ、後悔しろ、後ろめたさに苛まれて、心労で死ね!」
という、茶々から家康への呪いの言葉である、と言ってもいいでしょう。
傍で見ていた阿茶局は、家康とお市の過去の因縁を知らないから、「狐ですね」と簡単に言ってましたが。家康にとっては、けっこう効いてるパンチだったかも知れないんです。
茶々の行動原理は、北ノ庄で母(お市)と死に別れたとき以来、一貫して不変で、強固です。
そういえば茶々は、北ノ庄落城の直後にも、さっそく秀吉を篭絡ししていましたよね。
親の仇の秀吉に色目を使ってでも取り入って、利用して、天下を取って、家康を凌ぎ、やがて復讐するのが、茶々の人生目標の全てになります。これが、この「どうする家康」というドラマを貫く骨太の設定です。
母を直接殺した秀吉より、母の想いを踏みにじった家康のほうが、憎いって、思春期の少女の思い込みを我々にはちょっと納得しずらいところですけど。ここは「そうか」と受け止めるのが、観客としては、たぶん正解です。
ここで茶々の心情に納得できるか、できないかで、このあと関ヶ原から大坂の陣に至るドラマ展開を素直に納得できるか否かが決まります。
思えば、「お市は家康に心を寄せていた、家康とお市は仄かな恋仲であった」という、このドラマの初期設定が、最終回の大坂夏の陣のお市さまの「壮絶な捨て台詞」にまで繋がっているんです。古沢良太さんの脚本、改めてお見事な構成でした、最後に感服しているところです。