千代田区全域が「江戸城」です、皇居は江戸城の一部です | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

江戸城、というのは、だいたい今の千代田区全域をまるごと含む、巨大な城郭です。
敷地の中には、武家屋敷だけでなく、町人の家屋なども多く建っています。これは、江戸の街づくりと、江戸城の拡張工事(外堀を「の」の字がたに外に外に伸ばしていく方式)が並行して進んだため、街を外堀が包み込む形になったためです。
外堀沿いには「○○見附」という地名が多くありますが、これはみな、江戸城の入り口に設置された監視台です。牛込見附、市ヶ谷見附、四谷見附、赤坂見附、とむすんでいくと、なるほどここまで全部、江戸城なのかあ、と分かります。

いま「皇居」となっているエリアは、内堀の中だけです。巨大城郭江戸城の、ごく一部にすぎません。
その意味では「皇居=江戸城」という言い方は誤解を生みますね。
皇居から離れた秋葉原にも市ヶ谷にも「江戸城の遺構」があるわけですから。
もともと漢字の「城」とは、防壁でぐるりと囲まれた都市のことを指します。中国では、異民族の侵略から守るために、町ごと城壁で囲うのが普通です。
それから言えば「いまの千代田区ぜんぶが、まるごと江戸城」というのは、イメージ的に城の字の元の意味に近い、と言えます。

半蔵門は、江戸城の内堀の門で、大手門を正面とすれば裏口です。服部半蔵の屋敷のすぐそばにあって、将来万が一江戸城が落城するようなことになったら、将軍がこの裏口から、服部半蔵配下の忍者に守られて脱出するのだ、とか言われています。
半蔵門の外、四谷見附までの、通りの両側が「麹町(こうじまち)」、この名前は甲府路町、から来ています。ここには、忍者の子孫が町人のフリして暮らしていて、いざというときは盾になって、将軍を甲府城まで逃がすんだそうです)。
甲府城は、江戸が万一陥落したときに将軍と幕府が立て籠るために用意されているのです。だから甲斐は天領か、よほど信頼できる譜代しか入りません。
江戸城がヤバいときは、将軍は半蔵門から脱出して一直線に甲府まで逃げるんです。甲州街道、というのが五街道の一つとして整備されているのはこのためです(東西交流の目的なら東海道と中山道があれば充分でしょ)。
半蔵門から甲斐までのルートには、普段は町人や商人として暮らしていて、緊急時には将軍護衛のために命をかける連中が配置されている(と言われています)、幕末に新選組の母体になった、近藤土方らの出身地である多摩も、そういう土地です。