大名屋敷を「藩邸」というようになるのは、やっぱ幕末から。 | えいいちのはなしANNEX

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大名屋敷のことを、藩邸、というのは、実際には幕末ですね。

藩、っていう難しい言葉は江戸時代には一般には使われてなかった、だから人々は普通に「大名屋敷」と呼んでいました。

ところが、幕末になって、自分の属する大名家を「藩」という学者用語で

表すのが「カッコイイ」というんで大流行になった(これを流行らせたのはインテリ吉田松陰の弟子の長州人です)。

薩摩藩、長州藩、といった呼び方は幕末になって言われ出した言葉。

江戸や京都、大阪にある「大名屋敷」(幕府に対して治外法権がある)は、彼らの政治活動、軍事活動の拠点となった。だったら「お屋敷」じゃあないだろう、「藩邸」って言ったほうがカッコイイじゃないか、ということになった。

司馬遼太郎とかの小説を読むと「新選組の刃から逃れた志士たちは長州藩邸に逃げ込んだ」みたいな表現が出てくるけど、これが「大名屋敷に逃げ込んだ」じゃあサマにならない。

つまり、江戸の大名屋敷が、幕末に突然「江戸藩邸」という言い方がされるようになった、ってことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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