保科正之は何の役職で幕政を仕切っているのか? 老中?大老? | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

保科正之は将軍家綱の実の叔父ですから、補佐役ではなく後見職、つまり「将軍代行」くらいの強い立場です。

家光の老中であった松平信綱は、どんなに重職といってもあくまで「家来」に過ぎませんから、保科正之のほうが圧倒的に「立場が偉かった」と言えるのは間違いありません。
本来、徳川一門(親藩)は幕府の職には就けません。だから保科正之は大老でも老中でもなく、執政という言われかたをします。これがどういう肩書、資格なのかというのはよく分かりませんが、少なくとも幕府の職はありません。つまり「別格」であり、将軍同然、いや、将軍より偉い立場とも言えます。
本人が、松平とも名乗らず保科のままで通したのは、飽くまで家来の家柄だと言っているわけですけど。現実の立場は明らかに家来の列を超えています。

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