なぜ古代の「~京」は、すぐに捨てられたのか? | えいいちのはなしANNEX

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古代の「都」は、どうしてしょっちゅう変わるのか? せっかく苦労して作った「~京」なのに、ほんの数十年で放棄しちゃうのか?

主な理由としては、都市環境の悪化です。人工都市を作って人が集まってくれば、上下水道の設備がすぐに間に間に合わなくなり、水不足や伝染病の発生、食糧不足、治水の不備による洪水、周辺のスラム化などが起こります。

こういうことは、一度の失敗ではなかなか根本的にはわからないもので。

藤原京がダメだとなれば捨てて平城京にうつり、それも何十年かたてばまたダメになる。いくつも都作りに失敗した末、平安京で落ち着いたわけですが、これだって都市計画的には不備だらけで、洪水や疫病は相変わらず、西半分は水捌けが悪くて放置されていたような状態だった。

でも、もういい加減、また都を移そうというほどの財力はもう朝廷にはなくなってた、ってだけの話で、千年以上続いた感じです。

近世になってから建設された大坂や江戸とは、さすがに都市計画のレベルが違います。


怨霊だなんだの話は楽しいけどね、疫病も飢饉も、結局は水なんですよ。上下水道と、河川治水。

これに失敗すれば、都市はあっという間に悪霊の棲処になっちまうんです。

 

 

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