なぜ享保寛政天保が「三大改革」なのか?増補改訂版 | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

武士というのは、発生論的には「農場経営者」です。自分が汗水流して耕している土地と、農民と、収穫物を命懸けで守る、つまり一所懸命が、武士の基本理念です。

だから、武家政権というのは、必ず第一次産業絶対をポリシーにしなければなりません。商業・貿易に色気を示した武家政権は長続きしないか、早くに衰退します。平家政権、室町幕府、織田、豊臣政権、みんなそうです。

長続きする武家政権を作りたいなら、鎌倉幕府のポリシーに戻ること。これが徳川家康の信念です。

だから、江戸幕府の基本理念は「農業は正義、商業は悪徳」というものになります。

商業が発展して物価が慢性的に上がれば、非生産者である武士はどんどん苦しくなり、やがて武家政権は崩壊します。

このことを直感的に知っていた幕府は、農業以外の産業が発展する芽をできるだけ摘もうとします。

「幕府」という仕組みを維持するためには、「農業だけが正義」という思想を貫かなければなりません。

だから「士農工商」なんです。

日本じゅうが農業のみで生きるスローライフ社会が、幕府の理想だったのです。

この思想に忠実だった政治が「三大改革」と呼ばれ称賛され、この思想に逆らった政治は「悪」とされます。

田沼意次、柳沢吉保など、です。

「武士の政権である幕府をあずかる者が、こともあろうに、商人と結託して金儲けをしようとした」と断罪されるのです。

これはもはや「思想」の問題なので、正と邪しかありません。効果は関係ないのです。

家計でも会社決算でも国家財政でも一緒です。赤字で困ってるなら解決策は二つ、収入を増やすか、支出を減らすかです。

 幕府の収入はほとんどすべて農民からの年貢です。商業は悪である、武士は商売をしてはいけないし、商人の上前をはねるような卑しいことはしてはいけない、これが朱子学の思想であり、幕府の基本姿勢です。

商業振興などと言えば、大悪党のレッテルを貼られて抹殺される。

そういう思想で出来上がっている政権が江戸幕府だったんだからしょうがない、としかいいようがありません。

ということは、収入を増やそうとすれば、新田開発か年貢率を上げるかしかない、そんなのはすぐ限界がきます。いきおい、「改革とは倹約のことである」となります。これが正しい「武士の政治」なのです。

そんな手段じゃもうだめだ、新しい収入の途を考えよう、商業を振興しよう、商人に課税しよう、というのは、普通に考えればごく当然の発想です。

でも、武士たるもの、そのようなことは考えてはいけないのです。それが朱子学に立脚した「農業立国・江戸幕府」のドグマなのです。

 江戸時代の「三大改革」というのは、この時代の思想にかなったものだけを「改革」と呼んでいるのです。

それを、現代の歴史教科書までが無批判に踏襲し、それをまた安直なマンガや歴史番組などが無批判に繰り返して、柳沢や田沼を賄賂まみれの悪徳政治家だと根拠もなく言い続ける、これは如何なものか。

時代劇にたまに「実名さん登場」で出てくる田沼意次は必ず悪徳政治家で、松平定信は偉い政治家です(鬼平犯科帳とか)。善玉悪玉の区分は一旦決まれば便利なもので。それを利用するのは、まあ、しょうがないところ、なんでしょうが。

社会の進化にあわせて、この「鎌倉モデル」すなわち農業絶対、倹約あるのみ、の思想を見直さない限り、幕府は滅びるしかないでしょう。で、実際、滅ぶわけですが。

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