「武蔵○○」「相模○○」と旧国名がつく駅名は多い。 | えいいちのはなしANNEX

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地名というのはその土地の特徴からつくものだし、その周囲との区別がつけばいいわけですから、全同じ地名の土地があちこちにあるのは当然でしょう。たとえば「サカイ」とか「コスギ」とかいう地名は、全国見ればいくつもあるわけです。


だから、どこかの地方のローカル私鉄に「山田」とか「中野」とかいう駅名があっても、それが遠くの他の地方の山田や中野と混同される心配はない。
ところが、JRってのは昔の国鉄ですから、全国に同じ駅名が二つあったら、マズイわけですよ。切符売り場の窓口で「境まで一枚」と言ったら、大阪府の堺までの切符を売られた、っていうんじゃ困るでしょ。
だから、東京都のほうは「武蔵境駅」と旧国名をつけて呼び、大坂のほうは「堺市駅」と呼んで区別したんです。


武蔵関、武蔵小杉、武蔵小金井、武蔵溝の口、みんな同じです。他所の地方の同じ地名の駅と混同されないように、「武蔵」がついてるわけです。
ここで、なんで旧国名を使うんだ、「東京堺」「神奈川小杉」じゃあないのか、って話ですけど。
鉄道の世界では、明治になってもしばらくは旧国名が正式書類で使われていたんです。「武蔵邦の品川から、相模国の小田原までの鉄道建設を認可する」みたいに(これはまあ、たとえば、だけど)。


明治のはじめに廃藩置県でいまの都道府県ができた、ってのは実は間違いで。府や県は明治時代の半ばくらいまで分離統合を繰り返して、今の形に落ち着くまでに相当かかってるんです。つまり「何県」とかいっても来年には変わっちゃうかも知れない、それでは不便でしょうがない。

だから鉄道の世界では、ずっと「旧国名」のほうを使い続けていた。その伝統が今まで続いているんです。

武蔵や相模は、現役で生きているんですよ、現代でも。

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