茶々(淀殿)は、浅井長政ではなく、織田信長の娘である。信長は妹のお市とデキていて、妊娠したまま浅井に押し付けたのだ。
はい、 この説って、昔からよく言われてる話なんですよね。
もちろん、本当の可能はあるか? っていえば、ありません。
要するにその話は、お市の輿入れ時期の誤解からきているので、最初の前提条件を正せば、なんらの疑惑もなくなります。
信長は、美濃を征服したあとに、京都への道を確保することを目的として、すぐ隣の浅井との政略結婚がなされた、というのが従来の「通説」であり、小説もドラマもほとんどすべてこの説に則って作られてきました。
なので、みんなこの前提を疑っていませんが、これだと、お市が浅井に嫁いだのは、当時としては相当に高齢だったことになってしまうわけです。
「どうしてそのトシまで、信長はお市を手放さなかったのか、不自然だ」という素朴な疑問が生じます。
さらに、茶々の年齢がのちの資料と合わない、という問題が出てくる。普通に勘定すると、嫁ぐ前からお市の腹の中にいたことになる。
ここで、庶民は妄想を逞しくします。不義密通とか出生の秘密とかが、無責任な庶民は大好きです。
「信長と市は近親相姦の関係にあったのだ」
「いや、市は実は信長の側室で、それを妹と偽って嫁に出したんだ」
といった憶測が乱れ飛び、結果「茶々は実は信長の種なのだ」という話になるわけです。
しかし、これはそもそも「市の嫁いだ時期」について元の史料を読み違えていたのではないか、と考えるべきでしょう。
「お市が浅井に嫁いだのは、美濃攻めを準備していた時期である、目的は美濃斎藤氏を挟み撃ちにする遠交近攻策である」
とすれば、あらゆる不自然が解消されます。
これは「浅井賢政」が「長政」と諱を変えた時期と符号します。
当時、浅井は六角の風下に立ち、六角の家臣の娘を嫁にして六角義賢の偏諱を賜るという屈辱的状況にありました。それを「浅井ー織田同盟」によって跳ね除け、「斉藤ー六角同盟」と対峙しようとした、というのがこの政略結婚の意味だと考えたほうが、スッキリします。
つまり「長政」というのは、信長の下の字を貰って上につける、つまり「信長の義弟になる」という意味合いの改名であったと考えればいいのです。
昔、どっかの番組で、桶狭間の勝利を伝え聞いて、信長を尊敬して改名した、といったことを言ってましたが、そんなおざなりな説明で、生きるか死ぬかの戦国大名の改名を説明しようって、ナメてますよ歴史を。
お市の輿入れは、通説よりもずっと早い時期であったと考えれば、近親相姦疑惑もニセ妹疑惑も、茶々の出生の秘密も、すべて雲散霧消してしまいます。
市は決してオールドミスでもなければ、信長がシスコンだったから手放さなかったというのも濡れ衣です。
日本人は、「あれは実は誰々の子」って出生の秘密話が大好きなんですよね。藤原不比等、平清盛、徳川家光、土井利勝…、豊臣秀吉なんか、自分から「実は天皇の落胤」って話をでっち上げて流してます。
庶民はそもそも、異例の出世をした人物には、そういう秘密があるにちがいない、って言いたがるもんなんです。
淀殿って、一瞬なりとも日本の「女帝」的な地位に登り詰めた女傑ですからね、そりゃあ、浅井ナンとかいうパッとしない大名の娘であるより、実は英傑!織田信長の娘であった!ていうほうが、なんか相応しい、面白い、とか思いたがる心理は、よーく分かりますよ。
だから、これは歴史のカテで語る話ではないです、ライトノベルとかアニメとかの分野で盛り上がる話です。