織田信長は天下統一した? これは日本語としても歴史としても、間違いだ、という逆ギレ気味の論 | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

「曹操が華北を天下というなら、それは曹操にくれてやればいい。孫権が江南を天下だというなら、それは孫権にくれてやりなさい。あなたは、残りの三分の一を天下と称して、その主になればよいのです」

 これは漫画「蒼天航路」のなかで、諸葛亮孔明が劉備に言い放った名言です。

 つまり、自分が「これがオレにとって世界のすべてだ」と勝手に決めれば、それが天下です。天下が何か、それは各自が勝手に決めていいのです。

「天下というのは天皇の住む京都のまわりのことをいうんだ」と言う人も、最近は増えています。つまり、なにも日本全国を征服しなくても、京都を抑えて近畿地方くらいを征圧して「日本のナンバーワン」になれば、それで「天下を取った」と言っていい、わけです。

つまり、天下、というのは、多分に文学的な表現です。自分が「世界の中心」だと思っている範囲が「天下」であって、その外側に何があっても「そんなのは辺境だ」って無視すりゃ済む話です。

「信長が天下統一できた理由を述べよ」

これは設問が間違い。「天下を取る」と「日本統一」を明らかに混同しています。「天下」は日本全国のことを指す言葉ではないので、「天下を統一する」は日本語として間違いです。

織田信長は「天下を取った」と言ってもいいけど「統一」はしてません。

毛利も上杉も北条も、征服できないうちに死にました。「本能寺さえなかったら、もう時間の問題で日本統一できたはずだ」っていう常識も、疑ってかかる必要がある、と私は思っています。信長の組織運営は、いい意味で革新的で合理的、悪く言えば伝統を無視した人情のないやり方は、たとえ光秀がやらずとも早晩崩壊したものと考えます。

この出題者は、従来の歴史小説的、もっといえば「司馬遼太郎的」な価値観を根強く持っている人のようです。だから「天下統一」などという感覚的な、歴史的厳密性に欠ける用語を平気使えるんです。

仕方ないです、こういうときに問題文と喧嘩して知ったかぶりしても、大抵はいいことは何もないんで。ここは、信長が「天下を取れた」「日本統一にあと一歩まで迫った」理由を、従来言われている司馬遼太郎的な価値観で答えておくしかないでしょう。

ひとことでいえば「経済を重視した」ことです。

周囲の戦国大名たちが、古い社会体制のまま、土地から上がる農作物の収入を基盤として軍隊を編成していたのに対して、信長は流通経済からの収益を最大化することを第一に、楽市楽座によって領内の経済を発展させ、港を押さえて海上交易の利益を吸い上げ、その財力で農業に従事しない専従兵と、鉄砲などの武器を大量に確保し、その力で領土(農地)を面で取っていくのではなく、経済的重要地点を最優先で押さえる、つまり「点と線」を優先で、最速で抑ええいった。こうした合理的な政策に反発する伝統勢力はことごとく潰した。これが、農業重視の他の戦国大名を圧倒できた主な理由である、と。

もともと武士というのは、農業経営者の親玉が進化発展したものです。だから土地が第一、先祖伝来の土地を命を懸けて守る(一所懸命)が基本的な思想です。だから、どんなに領土を広げても、もとの本拠地を離れることができない。これが「古いタイプの戦国大名」の宿命です。

しかし、信長は違った。本拠地を尾張から美濃、近江とどんどん移していき、家来たちも先祖伝来の土地からどんどんひっぺがして、前線に新しい大きな領地を与えた。領国は愛着のある故郷ではなく、単なる収入源、「石高」になった。これは急拡大する織田軍団の宿命ではあるものの、「土地が第一」というもともとの武士の精神を真っ向から否定するものだった。こうした意識革命に、ついていけない人間が、次々に反乱を起こし、ついに本能寺に討たれることになった。

と、いうことです。信長は、本能寺がなくても、どっかで転んでいます。

 

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