家来と味方は全然違うんですよ。
関ヶ原で「味方」だっただけで「家来」だったわけではない大名は、徳川にとっては「お客様」なので、「外様」というんです。
つまり「徳川が天下をとる前からもともと大名だった家」は外様大名。
「徳川のおかげで大名にしてもらった家」は譜代大名。
というふうに理解したほうが分かりやすいです。
幕府の役職には外様大名はつけない、というのは事実ですが、これは言い方の問題というか、解釈のニュアンスが違うんです。
幕府というのは徳川家の家政機関と同じ仕組みであり、老中とか若年寄とかは要するに「徳川家のご家老様」ですから、これはもともと徳川の家来だった家柄の連中の仕事です。お客様である外様大名には、徳川家の台所に入ってくる謂れはありません。
つまり、譜代には、指名されたら自分の領地経営を措いといてでも幕府の仕事をする義務がある、外様大名にはその義務はない、ということなんです。
譜代大名は幕府の仕事優先ですから、役職の都合でしょっちゅう転勤(転封)があります。仕事で業績を挙げれば出世しますが、しくじれば容赦なく左遷、減封されます。
外様大名には、そういうのは一切ありません。先祖伝来の領地をしっかり経営していればいいんです。だから基本的に領地は増えも減りもしませんし、転封もありません。余程の大しくじり(御家騒動とか一揆の頻発とかで、領地経営が継続不可能と判定されたり)をやらかす以外は。
外様大名が一旦改易になり、改めてその子孫が一万石の大名に復帰した場合とか、外様の分家が旗本から大名に取り立てられたりとかした場合、これは「譜代」に分類され、幕府の役職にもつく場合があります。このへんもケースバイケースでいろいろですが。
「関ヶ原以前、以後」という時期による分類方法が、嘘である、とまでは言わないとしても、妥当ではないという証左といえます。