関ヶ原は南宮山の吉川毛利さえ動けば西軍は勝てた? 石田三成は長期戦になることを望んでいた?否! | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

南宮山の吉川毛利は、徳川本隊のすぐ上に陣取っているから、動けば簡単に家康を討ち取れる、みたいな言い方をする人ばかりなのは、なんでしょうね。
そんなはずないじゃないですか。みんな、山歩きしたことないんですか。

山ってのは、尾根も谷も沢も森もあるんですよ。そんなにスイスイ隣の山に攻めかかれるもんだったら苦労ありません。

東軍だって、南宮山の西軍に対する抑えとして、麓に浅野や山内を待機させてます。南宮山勢が動くなら、まず山を下ってこいつらを撃破してからでなければ、桃配山には出られません。
結局、南宮山勢が動かなかったので、浅野・山内らも動かずに終わりましたから、ここはプラマイゼロです。吉川毛利が働いていれば西軍有利、とは到底言えません。

何度も言いますが小早川は裏切りではなく、開戦前から東軍です。松尾山奪取で明らかに西軍に対する敵対行為をとってる以上、いまさら西軍として働いてくれるなんてことは有り得ません。

が、まあ、もし小早川が血迷って東軍に対して攻撃しても、徳川本郡が動けば簡単に殲滅できます。

結局、関ケ原の勝敗は、戦前の政治外交、多数派工作ですでに決していたんです。もはや現場のアドリブでどうこうなる話ではありません。

関ヶ原まで来ちゃった時点では、もう、どうやったって西軍は勝てません。どうしても勝ちたければ、数か月前、数年前に時を巻き戻して、政治工作からやりなおしてください。

石田三成は、全国の勢力を冷静に比べれば、東軍のほうが圧倒的有利だということが分かっていたはずです。だから、一発勝負で家康の首を取るしか、勝つ見込みがないんです。だからこその関ケ原決戦であり、勝っても負けてもこの一日で勝負をつけるしかないという覚悟で臨んでいたはずです。

野戦は、どんなに大規模でも、日没コールドです。夜営なんかしません。勝負がつかなければ双方一旦退却です。
関ヶ原が一日で勝負がつかなければ、家康は退却します。西軍が集まってきたから、もういっぺん関ケ原にきて再戦してください、なんていうのは通りません。
戦乱が長引いて全国規模の内乱が続けば、どんどん西軍方が追い詰められていくのは明らかです。たとえば九州では東軍の黒田如水が席巻しています。越後の上杉は最上領に攻め込んだものの押し戻されて逆に苦戦しています(だいたい家康を挟み撃ちにするって話はどうなったんでしょう?)。
ここまで西軍が勝っているのは畿内周辺の東軍空白地帯だけで、このまま戦乱が続けばどんどん押し込まれるのは明らかです。
どっちにしろ、あの日の関ケ原で家康の首が奇跡的に取れた場合以外に、石田三成に勝ちの目はありません。

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