島原の乱がなかったら、幕府は鎖国をしなかったか? | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

鎖国(と呼ばれる、幕府による貿易独占)は、商品流通経済が発達して農業第一主義社会が脅かされること、各大名が勝手に貿易をやればそれら大名が力をつけてしまい、ひいては幕府への叛乱に繋がるから、というのが理由です。

キリスト教の流入阻止が第一の目的ではありません。

それに、鎖国令という法律はありません。個別の国との貿易禁止などの一連の政策を総称して、それを(わりと批判的な知識層が、後世になって)鎖国、と名づけられただけです。

島原の乱は、鎖国(的政策)を深める、ひとつのきっかけにはなったでしょうが、唯一の理由とは到底いえません。島原の乱が起きなくても、幕府は必ず「鎖国」をしています。そのおかげで260年も幕藩体制は平和なままもったんです。

武士というのは基本的に農業経営者から発生したもので、「土地」を媒介にして「御恩と奉公」で成り立つのが封建制度、武家社会、というものの本質です。商業、貿易が発展すればするほど、武士の存在意義が薄れていき地位が低下するんです。

だから幕府は、なるべく商業を押さえ込む政策を基本とします、たまに、商業活動を推進して幕府を建て直そうとする老中とかが出てくると、寄ってたかった潰しにかかります。そういう政権なんです江戸幕府は。

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