「武士はどのように起こったか」の、わりかしクラシックな説明 | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

「京都の貴族が都落ちしたのは、力をつけて武士になって、やがて将軍になって天下を取ろうと思った、ってことか?」

うーん、そんな漫画みたいなイメージは、ちょっと違うでしょう。

国司が帰国せずに土着し、開拓農場主となり、自衛のために武装したのが「武士」の起源です。

つまり武士になったのは結果であって、べつに武士になりたいから帰京せず土着したわけではありません。話の順番を間違えないようにしてください。

 下級貴族は、京にいても貧乏なばかりなので、摂関家に賄賂を使い国司に任じてもらい、地方に下向し、そこで権力をカサに稼ぐだけ稼いで、儲けを抱えて京に戻り、それを元手にまた賄賂を使い別のもっといい国の国司に任じてもらう、というテで裕福になろうとします。


とはいえ、めぼしい公領は、平安時代も早いころまでにあらかた荘園化されてしまい、「税収で儲ける」というこの「受領利殖モデル」は、早いうちに有効ではなくなっていることでしょう。
ですから、後から赴任してきた国司のできることといえば、自分の任期のうちに開拓地をどんどん作って、自分の荘園にしてしまうことです。この時代、未開の土地はいくらでもありますし、荒れ果てた公田を再び耕しても「新田」扱いにできます。余剰人員(既存の荘園からあふれ出たり、公田を放棄して流民化したものなど、ようはあぶれた人口)を集めて使役して、新田開発をする、これは国司の権力をバックにしないとなかなか出来ないことです。

こうして現地で開拓した土地は、京都には持って帰れません。留守を誰かに預ければ、すぐに他の誰かに奪われてしまいかねません、とゆうか、そのまえに預けた代官が横領するでしょうね。じゃあ、京都に帰らず土着したほうが確実です。

しかし、地方の国司ならその土地の王様のように振舞えるのに、京に戻ればまたヘコヘコせなばならない。それより任期中に権力を利用して開墾農地を増やし、それを私有地にしてしまい、任期が終わったあとも居座ったほうが余程いいじゃないか、と考える者が増えてきました。花より団子、というのはこういうことを言います。


 京都で「寝殿造り」の豪邸に住んでいいのは一定身分以上に限られていました。官位によってランクが定められていたのです。しかし、地方官なら、その土地にいかに分不相応な豪勢な屋敷を造っても、誰にも文句は言われません。この屋敷も京都には持って帰れません。京都に戻って下級貴族に逆戻りするのはバカバカしいです。

貴族というのは、京都で天皇のそばにいてナンボ、地方に下るには金を稼いで帰るため。この貴族の発想を捨てさえすれば、新しい世界が開けるわけです。
つまり彼らはここで貴族をやめて武士になった、といえるでしょうか。ごく単純化した言い方をすれば。

開拓地を奪われないようにするには、自分たちで武装して自衛するしかありません。

 任期が終わって土着すれば、あとからやってきた新しい国司と、税金よこせ、これはオレの土地だから払わん、みたいな抗争が起こるでしょうが、やがて新しい国司も「なんだよ、もう税金取れる公地なんかほとんどないじゃないか。なら、自分も新しい土地の開拓農場主になったほうがいいな」と思うようになります。こうして地方は「武士だらけ」になっていきます。彼らは放っておけばお互いに隣の開拓地を掠め取ろうといざこざを繰り返します。これを調整し、あわせて京の貴族たちに団結して対抗するために「武家の棟梁」という存在が出来てくるのです。

いわば、これは「腹一杯食べたい」と思って皆がいろいろやってきたうえでの、結果の結果です。「武家の棟梁になりたくて、ゆくゆくは征夷大将軍にでもなって天下を取ろうと思って、京に戻る道を捨てた」みたいな言い方をすればなんかカッコよくはありますが、事実とは違います。元々は誰もそんなワンピースみたいな動機で武士になるわけではありません。

 国司の任期が切れた瞬間に無位無官になるわけではありません。「従五位下」といった位階はそのままですし、「前武蔵守」というだけで充分な権威なのです。


であれば、開拓地からのアガリの一部を京都の高級貴族にワイロを贈って、土地の所有権を保証して貰えば(教科書用語でいえば「寄進地系荘園」の仲間入り)、名実ともにその土地の有力豪族です。跡を継いだ息子は、そのままなら無位無官ですから、若いとき京都に昇って関白家の家人(ボディガード)になります(正確ない方をすれば、この時はじめて「武術をもって仕える者=武士」「さぶらう者=サムライ」と呼ばれるようになります)。
京都で何年かヘコヘコして、国許からのワイロでしかるべき適当な官位を貰って、帰ってくれば、故郷ではもう貴人です。
平将門とか平貞盛とか、藤原秀郷とか、みんなそうして「都ではカスみたいなもんだけど、地方に帰れば光輝くような肩書き」を持っています。

 国司の任期が切れたらいきなりタダの人になって朝廷の庇護がなくなる、というわけでは全くありません。別の言い方をすれば、現職国司だってそんなに強力に朝廷からバックアップされてるわけでもないのです。本音は「名前を利用して上手くやるがよい、構わんぞ」という程度でしょう。官位官職を貰ったからといって安閑としていられるわけではなく、結局はそれぞれの才覚です。弱肉強食の環境のなかで常にやったりやられたりする、それが武士のおこりです。