江戸幕府が長続きした理由、まとめ! | えいいちのはなしANNEX

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江戸幕府が265年も長続きした理由を考えてみます。 

・封建制度の大原則に忠実に、大名の領地支配を完全に任せ、幕府は介入しないという「地方分権」を徹底したこと

・参勤交代制度の整備により、大名に「将軍の藩屏」と「領地の経営」という二つの任務を強く意識させたこと

・各領地の経営は外様大名に、日本全体の政策については譜代大名に、という「完全分業制」を確立したこと。

・商業発展よりも農業生産を最優先する「武家政権」らしい政策を徹底したこと

・「質素な生であっても、戦争や飢えで死ぬよりずっとよい」という価値観を国民に浸透させ、内乱を起こさせる動機を摘んだこと

・将軍は無能でも病弱でも子供でも一向に構わない、譜代からそこそこ有能な家臣が選抜され、なにごとも合議制で幕府を運営する仕組みを整備し、波がなく無難に政策を継続できるように仕立てたこと。

 

こんなところが考えられます。

江戸幕府が長続きしたのには、いろんな要素があると思いますが、間違いなく言えるのは、家康・秀忠の二代のあいだに、「将軍がどんなに無能でも大丈夫な仕組み」を作り上げたことです。これが、江戸幕府が十五代、二百六十年、平和を保ちえた理由です。

信長一人、秀吉一人のカリスマ性に頼っていた織田政権、豊臣政権との決定的な違いが、ここです。

家康は、優秀な家臣団が合議制で幕府を運営していく、自らの子孫が「お飾り人形」になる仕組みを作り上げて、死んでいったのです。ここが家康の最大の凄さ、と言っていいです。

ちなみに言っておきますが、秀忠ほど「できた二代目」は歴史上、希です。武将としてはわかりませんが、政治家としてはかなりの手腕のひとです。

普通のヤリ手の二代目ってのは、父親を越えようとして無理をして、父の側近と衝突したりして、かえって家を潰したりします(武田勝頼なんかがそうです)。秀忠は、その点、理想の二代目といえます。

このひとが作り上げた徳川家臣団のおかげで、人格的にかなり難のあった(らしい)家光ですら、「名君」ということになっています。家光が何もしなくても、「知恵伊豆」以下の家臣団がどんどん政治をやってくれて、その手柄は全部将軍のモノになる。

でも、たとえば松平伊豆守がどんなに優秀で権力を持っても、その子孫が執権になったりするわけでもない。

世襲なのは将軍だけ、老中も奉行もそこそこ優秀なヤツが順繰りにやる、それで誰も文句をいわない、そういう官僚組織をキッチリ作り上げたから、江戸幕府は存続しえたんです。

江戸時代の「幕藩体制」というのは、ひとことでいえば地方分権です。

え、うそ、と言われるでしょう。江戸幕府というのは、大名たちを強大な軍事力で抑圧して搾取していた悪の独裁国家でしょ、と思い込んでいる人が世の中にはまだまだ沢山いるらしいです。

実態は、かなり違います。

国全体のことは幕府がやる。地方の統治は藩(大名)がやる。責任分担はきっちり分ける。これが「幕藩体制」です。

藩、つまり大名というのは、いわば半独立国の王様みたいなもので、自分の領地は独占的に支配することができたんです。

藩内の政策について幕府が口出ししてきませんし、幕府は大名の領内から税は取れません。

各大名は、自分の工夫で自分の領地を豊かにする責任があります。だから、地域ごとの文化が花咲いたんです。

そのかわり、大名は日本全体の政治には一切、口を出さなくてよろしい。国のことは幕府がやるから。

ただし、いざ将軍の命令がかかったときには、自前で人数を揃えて馳せ参じなければいけません。それが武士の主従関係です。いざ、というのはつまり大坂の陣とか島原の乱みたいな戦争ですけど、そればかりとは限りません。戦争のないときには、江戸城の普請であったり、東照宮の造営であったり、木曽川の治水工事であったりを命ぜられることがあります。

これらはみんな「軍役に準じるもの」なんです。だから戦争のときに兵隊を引き連れていくのと同じく、普請を命ぜられたら、作業員の人件費も資材費も、費用は全部その大名もち、というより、最初に幕府からあづかった領地の収入に「込み込み」で含まれている、これが封建制度というものの常識です。何十万石も貰っておいて、ここで金を使わないでどこで使うんだ、ってことです。

「目をつけた大名に、まったく関係ない土地の工事を押し付けて、経済的に疲弊させる、幕府ってなんて悪どい組織だ」と思う人がいますが、それは、違います。ときどき非合理に見えても、こういう仕組みでできてる国なんです。これが幕藩体制です。

秀忠の作った制度が、参勤交代です。これ、「経費を使わせることで、大名の力をそぐためです」てのは、かなり一方的でひねくれた見方です。

室町幕府は「守護在京制」、守護は京都に住もことを義務つけていました。「守護という職は将軍から任命される期限つきのもの」であるというタテマエを維持したかったからですが、有力な家はいくつもの国の守護を兼任しているのが普通だから、というのもあります。

守護は、国許の「守護代」に管理を任せますが、そうなれば、やがて守護代が領国で勢力を張ってしまうのは自明です。守護の家が相続争いとかで京都で内輪モメしているすきに、領国はみんな守護代たちに乗っ取られてしまいました。これが「戦国時代」というヤツです。

江戸幕府は、このテツを踏んではいかんのです。再び世が乱れないようにするためには、大名はちゃんと国許に住んで、しっかり領国経営をさせなければいけません。

しかしその一方で、大名が国にいっぱなしで「独立王国」化したら、これまた困るのです。大名たちには常に将軍の側に座らせて、幕府のおかげで国を貰っているのだということを忘れないようにさせる必要があります。

この「大名に、どうしても必要な二つのこと」を忘れないようにさせるには、どうしたらいいでしょう。

「参勤交代」は、こういう必然性から生まれた制度です。日本をちゃんと平和なままで維持するために、どうしても必要な制度です。

参勤交代は一種の「軍事行軍演習」でもあります。だから大名の泊まる宿を「本陣」と呼びます。いざというときは全国の大名が兵隊を率いて将軍のもとに馳せ参じることができる、という国民向けのデモンストレーションでもあるわけです。

もちろん、「理屈の上ではそうでも、やっぱり、タダでさえ藩財政が苦しいのに、お手伝い普請なんて迷惑以外の何物でもない」というのは、ほとんどの場合、事実です。大名たちに出費を強いて幕府は左団扇でウハウハなら、そりゃ許しがたいことです。

 

でも、実のところ、いちばん財政が苦しかったのは、幕府なんです。

「中央政治」はすべて幕府でやり、「地方政治」はほとんど各大名に任されていた、という「幕藩体制」では、国政のコストはすべて幕府の領地(天領)からの年貢(ほかに直轄金山や長崎貿易の利益がありますが、割合としては小さい)によって賄わます。

お手伝い普請で多少は諸大名に負担をさせても、システム的に金を上納させる仕組みにはなっていません。

この「幕藩体制」の根本的なシステムの欠陥が幕府の財政を逼迫させていったのは事実です。

 

幕府も大名も、とにかく苦しい。商業活動が盛んになる種を幕府はいちいち潰して、「経済発展しない国」を維持してるんだから当然ですね。

幕府の基本理念は「農業は正義、商業は悪徳」です。

商業が発展して物価が慢性的に上がれば、非生産者である武士はどんどん苦しくなります。これを直感的に知っていた幕府は、農業以外の産業が発展する芽をできるだけ摘もうとします。「幕藩体制」を維持するためには、「農業だけが正義」を貫かなければなりません。日本じゅうが農業のみで生きるスローライフ社会が幕府の理想だったのです。

家計でも会社決算でも国家財政でも一緒です。赤字で困ってるなら、収入を増やすか、支出を減らすかです。

幕府の収入はほとんど農民からの年貢です。商業は悪である、武士は商売をしてはいけないし、商人の上前をはねるような卑しいことはしてはいけない、これが朱子学の思想です。収入を増やそうとすれば、新田開発か年貢率を上げるか、そんなのはすぐ限界がきますから、「改革とは倹約のことである」となります。

そんなんじゃダメだ、新しい収入の途を考えよう、商業を振興しよう、商人に課税しよう。・・・いやいや、武士たるもの、そのようなことは考えてはいけません。それが「農業立国・江戸幕府」のドグマなのです。

これが「日本を平和に保つ、いちばんいい方法」なんです。

経済が発展すれば、儲かる藩とそうでない藩ができる。競争が起こる。競争は戦争につながる。幕府を倒そうという不埒な藩が必ず出てくる。内戦になれば人が死ぬ。「豊かになりたがって戦争で死ぬのと、貧しくてもみんな平和に生きるのと、どっちがいい?」という究極の選択を迫られれば、「生きるほうがいい」という者のほうが多いに決まってます。

周りの人間を蹴落として成り上がろう、みたいな人間は否定されます。分を守って慎ましく、今いる場所で咲きなさい。

日本人のスケールが小さくなったのは事実です。いや、比喩ではなくて、江戸時代には日本人の平均身長は戦国時代に比べてもずっと小さかったそうです。海外貿易が制限され、鉄砲が制限され狩猟も減り、日本人の栄養状態は悪くなり、体格まで縮んだ。だから江戸幕府というのは最悪の政権だと「ライフネット生命」の創業者で現在は立命館アジア太平洋大学の学長である出口治明先生は断言しています。京都大学卒業、経営者出身の経済人ですから、鎖国政策の徳川幕府を否定するのは当然でしょうか

江戸時代が平和なまま長続きした代償、といっていいでしょう。

 

文章まで長くてすいませんでした。

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