足利義昭が追放された時点で室町時代が終わり、てのはおかしくないか? | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

時代の区分なんてのは、「子供が学びやすいように」って文部科学省が便宜的に決めてるものにすぎないんです、ぶっちゃけて言えば。
何時代が何年から始まるか、何年で終わるのか、なんてことは、所詮は解釈次第でどうとでも言えるんで、素人が真面目に議論して消耗するだけ無駄なことです。
足利将軍が京都から追放されたら「幕府滅亡」であるなら、室町幕府なんて二十回近く滅亡してることになる、んだそうです(誰かが数えた、この数字も解釈次第)。だから「足利義昭が征夷大将軍である限り、幕府は滅亡してない」という主張もごもっともですが、「だから室町時代は続いてる」という話には、残念ながら、なりません。なんでって、「そもそも時代区分はそういうことで決めるもんじゃない」からです。

鎌倉時代のはじまりが「いい国(1192)」から「いい箱(1185)」になった。つまり文部科学省が「征夷大将軍がどうとかでなく、実質で見ますよ」と文部科学省が改めて認定したってことです。
征夷大将軍云々にこだわったら、1333年から1338年までは「なんでもない空白時代」ということになっちゃいます。
学校で教えるとき、そういう、子供に余計な心配をさせるような、キモチワルイことは、なるべくあっちゃいけないんです。
安土桃山時代、なんていい加減がネーミングでしょう。この時代が始まったときに安土城なんてまだ影も形もないし、秀吉が政治をした伏見城の跡地が桃山と呼ばれるのは江戸時代以降です。
でも、いいんです。室町と江戸のあいだの狭間を仮に、便宜的に、子供が勉強するのに便利なように、そう名づけただけなんですから。
こういうところは、素直にそんなもんかと思っておけばいいことで、厳しく議論するような話ではないんです。