綱吉の時代には、蚊を殺しても切腹になった、って本当? | えいいちのはなしANNEX

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ネットで調べてみましたが、「蚊を殺して切腹」というのを書いている人は一杯いますが、誰も出典を明示していません。
つまり、誰かが「生類憐みの令では、蚊を殺しただけで切腹された」とネットに書くと、それを無批判に引用する人が爆発的に増え、あたかも既成事実となってしまうようです。
んで、いろいろ探して、「出典」のある話を見てみると。
 伊東淡路守基祐という小姓(と言っても子供ではないでしょう、そういう名称の役目の武士)が、蚊を叩いて殺して、顔に血がべっとりついたままでいたのを咎められて、「南部遠江守直政にお預け」になった、というのがあるらしいです(「当代記」という、国学者が書いた文書にあるそうな)。
(あ、南部直政って、知ってるぞ。外様大名から側用人に抜擢された男。芭蕉の芝居作ったときに調べた。)
この場合、蚊を殺したこと自体よりも、不浄の血を拭かずに平気でいたことが職務怠慢と見なされた、というのが自然でしょう。「他家にお預け」というのも、まあ流罪の一種とはいえますが、「島流し」とは違います。
私も原典にあたったわけではありませんので、この『御当代記 将軍綱吉の時代』という本が事実を確認して書いてるのかも、正直、分かりませんが。
 生類憐みの令、という法律はありません。多くの人道的配慮の推奨、動物愛護の法令の総称であって、「何を殺すと流罪、何を殺すと死罪」なんて成文法があったわけではありません(まあ、これは江戸時代の法律なんてたいていそうですが)。「イヌを殺して死罪になった」という事例は実際にあったと聞いたことがありますが、これは政権批判のためにわざと衆人環視の中でイヌを殺して見せた、というようなパフォーマンス、らしいです。
故意ではなく過失で小動物を殺したからといっていちいち切腹や流罪になることはありません。
 綱吉は、そういうことを意図しているわけではないんです。
ただし、現場の小役人が過剰反応する、といったことは往々にしてあったようですから、庶民から迷惑がられていたのは事実のようです。