島原の乱は、単なる農民一揆ではない、「世界大戦」の一環だったのだ、って説は、どうだろう? | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

日本史と世界史は繋がってる、という話。

「島原の乱」では、籠城する二万五千の農民・地侍に対して、幕府は十二万といわれる軍を動員しました。
 大規模とはいえ単なる農民蜂起で、幕府が総力を挙げて鎮圧するようなもんかよ、と思うかも知れませんけど。


 籠城戦というのは、どこかから援軍が現れる見込みがなければ、いつかは落城します。
 ましてや天下を相手の籠城戦となれば、攻め手には時間切れも補給切れもないわけですから、守るほうはどんなにどんなにがんばっても、いつか負けます。それは大坂の陣の結果を見れば明らかです。


 天草、島原の農民たちだって馬鹿じゃないので、それはわかっていました。

 だから彼らは「キリシタン蜂起」という体裁をとったんです。幕府の指揮下の日本中の大名を敵に回しても、それでも勝つ可能性があるとすれば、海の向こうからの援軍を期待した、それしか考えられません。
 つまり、「キリシタン一揆」の看板を掲げたのは、キリスト教国、イスパニアやポルトガルを味方につけるための方便なんです、実は。


 海外からの援軍って、現実味がどれだけあるんだと思うでしょうが。
 でも、これが万が一実現すれば、たいへんなことになります。日本が征服される、植民地にされる、ということです。杞憂ではありません、実際にイスパニアは、キリスト教を武器にして世界のあちこちを征服していたのですから。
 その危険がある以上、日本をあづかる幕府としては、何がなんでも「外国と通謀しようとしている叛乱勢力」を、早急に叩き潰さねばなりません。
 てことは、これは日本国の安全保障の問題なんです。

 幕府は、オランダ船に命じて、原城を砲撃させています。
 原城のキリシタンはカトリックであり、オランダはプロテスタントです。これは「同じキリスト教徒」ではなく「不倶戴天の敵」になります。
 当時、本場ヨーロッパでは、新旧キリスト教徒が血で血を洗う「宗教戦争」を繰り広げていたことを銘記すべきです。この世界史的な認識抜きに「島原の乱」を語ることはできない、のです。

 島原の乱は、単なる日本の農民一揆の範囲を超えて、カトリックとプロテスタントの「世界大戦」の一環になっていた、少なくともなりかねない状況下にあったんではないか。
 だから、この乱の早期鎮圧のために、どんなに真剣になっても、過剰なことはない、ってことなんです。


 どうでしょ?

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