この「サザンテラス」は小田急線の線路の上のスペースですが、JR東日本の本社ビルもあります。こに一角はJRのテリトリーのので、スイカペンギンがいます。で、なんで真冬に織姫と彦星?
娘の隣から並んでいる赤いお姉さんはスペインの人形です。「くるみわり人形」は世界一周的な演目ですね。
さて、クリスマスにする話じゃないですけど。
幕末のドラマなんかを見ていて、「どうして徳川家康は、最初の関が原のときに、島津や毛利を問答無用で潰しておかなかったんだろう」と言う人がいます。そうしておけば、幕末に徳川がやられることはなかったろうに、と。
でも、天下を取る、国を治める、っていうのは、そういうことではないんです、たぶん。
少しでも心配な勢力を片っ端から潰して、焼け野原になった日本を一人占めにしようとするのが「天下統一」ではありません。そんな者には、誰もついてきません。
なだめたり、すかしたり、脅したりして、なるべく戦争せず、人を殺さず、うまく日本をまとめていくのが、正しい「天下人」というものでしょう。
「参りました、あなたを天下人と認め、従います」と言ってくる勢力は、度量を見せて、取りこんでやらなければいけないんです。
毛利や島津を「降参を認めず、無理に滅ぼしたりすれば、全国の大名はみな「次はオレだ」と思うでしょう。そんな恐怖政治は決して長く続きません。毛利征伐、島津征伐に駆り出された諸大名は、自分の墓穴を掘らされているようなものです。こんなことを強要する政権は、絶対に安定しません。
「だって、豊臣家は無理難題を吹っかけて潰したじゃないか」というひとがいますが、それは違います。
豊臣は、すでに征夷大将軍となっている徳川将軍に従うことを、あくまで拒否したので滅ぼされたのです。決して難癖でも理不尽でもありません。国家の秩序維持のために絶対に必要なことです。すべての大名が、それを理解していたから、討伐に参加したのです。同列には論じられません。
徳川幕府は、大名をムリに統制しようとせず、藩を「半独立国」として認め、大幅な自治権を承認しています。それが「幕藩体制」というものです。
幕府の力が足りなかったから中央集権できなかった、と考えるより、最初から意図的に設計された地方分権システムであると考えたほうがいいんじゃないかと思います。つまり、そのほうが、日本という国がうまくいく、と考えられていたからです。
室町幕府は、仕組みとしては「中央集権」っぽい制度でした。守護職は(タテマエは)世襲ではなく、あくまで幕府がその都度任命するもので、守護本人は将軍を守るために京都在住を義務づけられました。しかし、結果どうなったかといえば、京都に居残った守護はいつのまにか地元の「守護代」などに実権を奪われ、国はあっというまにバラバラになってしまいました。
日本の歴史上、「中央集権」を目指した政府は、あんまり成功していないのです。大化の改新でできた天智天皇の政府は事実上一代で崩壊しています。平清盛や織田信長も、あるいはその流れかもしれません。「強烈な個性で独裁体制を敷いた政権は、強烈な個性がいなくなればすぐに崩壊する」のです。
徳川幕府は、そういう教訓から、敢えて「強引な天下統一」をおこなわなかった、「地方分権」の要素を多く残したほうが政権が長続きすることを知っていた、のではないかと、そんなふうに思います。