「知行国」って、なんだ?(平清盛がらみで今後よく聞くであろう単語、試験に出るぞ。出ないか?) | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

「アリエルのフライングカーペット」という新しいノリモノが出来てました。構造としてはダンボです。
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 知行国、という言葉が、平安時代末期、院政のころから以降、盛んに使われるようになります。

 次の大河ドラマ関係で、これからよく出てくるであろう単語です。「平清盛の最盛期には、平家一門は、あわせると日本の半分を知行国にしていた」とかなんとか。
 この「知行国」ってなんなんだ、と以前から思っていたんですよ。国司とか受領とかいうものとは違うのか。知行というくらいだから、領地として貰っちゃうのか。公地公民がタテマエだったはずの朝廷が、とうとうそんなことをしちゃうようになるのか。
 というわけで調べてみました。

 なんか難しいので、私なりに解釈した内容です。間違ってたら、だれか教えてください。
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 「知行国」という制度が生まれた背景には、「荘園」の増加と「国衙領」つまり公領の減少、があるようです。
 国の税収は、「公田」つまり国が所有する農地からの税金です。ところが、平安時代も進むと、高級貴族や大寺社の、「荘園」がどんどん増えていき、公田はどんどん少なくなっていきます。高級貴族の荘園は「不輸不入の権」をもってますので、ここからの税収は直接、貴族個人のもとに入ります。政府高官(関白や大臣たち)の個人収入は増えるのに、国の収入は激減、という、困ったことになっていきます。
 本来、貴族は朝廷で官位官職をもらって仕事をすれば、それに見合った給料(のようなもの)が出るはずでしたが、国が財政危機で、それが払えなくなってしまったのです。
 荘園からの収入がある高級貴族は別にかまわないのですが、中級以下の貴族はたまりません。そこで、摂関家などの家来になって、そちらから収入を得るようになります。「公務員」のはずが、実質上は「関白家の私的な家来」のようになってしまうわけです。

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 「受領は倒れるところに土掴め」だしたっけか。皆様ご存知のように、平安時代、中堅貴族にとって、国司(=受領)になるのは、おいしい仕事でした。京都から離れなければならない代わりに、その国の徴税権を持ち、取った税金のうち国庫に納める一定額を除いたぶんを自分で貰うことができるからです。
 やがて、受領が自分で土地を開発したり公領を取り込んだりして荘園領主になってしまい、最後は「京都に帰ってもいいことがない、土地は持って帰れないし」とばかりに土着してしまいます(これが「武士」です)。
 平安時代も進むと、地方に新たに国司として赴任してくる受領にとって、「公田」は激減してはいますが、税を取る先がなくなってしまったわけでもないんです。大貴族の「荘園」から税を取る仕事も代行するようになるし、権限を利用して自分で土地をさらに開墾して領主になることもできます。依然として国司(受領)は「オイシイ仕事」です。
 しかし、そのオイシイ仕事にありつくためには、人事権を持つ高級貴族に取り入り、実質上の家来になることが必要です。高級貴族たちは、朝廷でも発言力の割合に応じて、自分の家来から国司を任命させるわけです。

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 こうした実態が進むと、平安末期には、「もう面倒だから、どの国とどの国の国司任命権は誰、と公に認めてしまおう」ということになったのです。こうなると、受領のポストを与えた子分を通じて、その国からの収入はまるごと親分のもとに集まるわけですから、実質的に国を「領地」として与えてしまうのと同じです。これを「知行国」、この制度を「知行国制」というわけです。
 自身が国司になるのとは違って、知行国には赴任する必要は全くないので、複数国を同時に知行国としてもらうことも可能です。たとえば京都で左大臣をやってる者が、三カ国を知行国として貰えば、三人の家来を国司に任じて地方に行かせて、自分は京都にいながらにガッポリ収入を取れるわけです。
 たとえば院(上皇)が、おきにいりの貴族や武士、味方につけておきたい大寺院に、褒美を与えようとします。そのとき、自分の手持ちの荘園を与えてしますと自分の腹が痛みます。でも「知行国」を与えれば、これは国の徴税権をやっちまうということですから、自分の懐は痛まないわけです。
 いかにも「歴史のアダ花」って感じの制度ですね。だって、根本的な改革は、何にもないんだもの。
 鎌倉に武家政権ができれば、ガラガラと朝廷が崩れていくのは、もう目に見えています。