東京下町タワー、建設中。こないだ「ALWAYS 三丁目の夕日」をビデオでようやく見ましたが、「建設中に記念写真を撮っておくのは大切なことだな」と思いました。なんとなくね。あの時代に何してた、って歳とってから思い出話するときの、記憶の助けにね。
パスポートはマトリューシカを投入してきました。東急ハンズは節分を売ろうとしています。そうだよ、ビジネスチャンスとしては、まだ節分があるじゃん。でもディズニーランドでは節分関係ないだろうなあ。
先週も書きましたけれど、嵐の桜井翔くん主演の、阪神淡路大震災15周年記念ドラマを見て考えたこと、改めてちゃんと書きます。被災地のど真ん中の「神戸新聞」が頑張って新聞を出し続けたという、感動のお話です。
これは私のような者にとって、いろいろ面白いドラマでした。つまり、一種のレトロ薀蓄ドラマでもありました。
「電気が通らないからテレビも映らない、被災地の人はまったく情報が届かなくて困っている、紙の新聞を手元に届けるしかないんだ」と内藤剛志
デスクは言うわけです。なるほど。この時代、たぶんインターネットは世の中に出来ていたけど、私あたりは「それってニフティのパソコン通信と同じでしょ? 違うの?」と言ってたくらいの時代だったと思います。なるほど、電気が落ちれば紙を届けるしかない、つうのは、説得力ありますね。
新聞社や記者自身が「被災」してしまったおかげで、まず、神戸新聞のメインコンピューターが「落ちて」しまい、復旧するまでコンピューター組版ができない、と。さすがに鉛の活字を拾ってる時代じゃないわけです。
ではどうしたかというと、京都新聞に頼み込んで、人手とコンピューターを使わせてもらい、紙面の印刷原版を作らせてもらうのです。桜井くん演じるカメラマンは、仲間の撮ったフィルムを持って、被災地の大渋滞の中を京都まで車を飛ばすのです。原稿は「電話送稿」つまり書いた原稿を電話で読み上げて、それを京都新聞のヒトに書き取ってもらうという方法でなんとか送れます(私も新入社員の頃によくやりました、世の中にファックスはあったけど、記者の手元にファックスの機械がなければダメなわけですから、けっこう電話送稿はまだあったのです)。けれど、写真はネガフィルムの現物を運んで行って、現像して紙焼きにしなければならなかったんです。そういう時代の話です。
さらに、出来上がった原版を神戸市郊外の印刷所(ここは幸い無事)に運んで印刷する、ということで、これも現物を持っていかなければなりません。ネット送稿なんて発想すらなかった時代です。たいへんだったんだなあ。
さて、そうしてなんとか作った新聞が販売店に届くのですが、配達する人間もいなければ配達される家も焼けてしまってない、それでどうしたかといえば、販売店主みずから被災地を歩き回り、号外のように道行く被災者に新聞をタダで配って廻るのです。
このドラマはもちろん、災害に立ち向かったジャーナリズムの心意気を描く感動の物語に間違いなんですが、同時に「紙の新聞は素晴らしい、いざというとき最後の頼りは電波でもネットでもない、紙の新聞なんだ」というメッセージを込めたいのかな、というのを感じます。よくわかり、ます。とはいったものの、実際には「こんな逆境でよく紙の新聞が出せたな、奇跡的だな」と思ってしまう、つまり新聞を印刷して届けるというシステムの弱点をも、浮き彫りにもしていたようにも思えたのです。
これが、インターネットもデジタルカメラも携帯電話ももっと発達している現代の話だったら、様相はかなり違っていたでしょう。実際あれだけの災害が起きたら、このうち何が駄目になって何が生きているか、というのを考えると、少なくとも「電気が落ちても、紙は大丈夫」というのを一般論にするのはちょっと無理じゃないかな、と。
ニュースを何らかの形で届けるという仕事、つまり記者やカメラマンの仕事は、どんな時代になっても決してなくならないと思います。ただ、それを紙に印刷して、人の手で毎日宅配するという仕組みは、どうなんでしょうか。