動画の中で「itなどの抽象化された軽い情報は・・」などと話したくだりに対して、視聴者の方から
「抽象的なものが果たして軽いと言えるのだろうか?」というご質問をいただきました。その返信が我ながらなかなか良いものだと思いましたので、ここにもシェアさせていただきます。
以下、「言語とはそれ自体が、情報の抽象化の産物だ」というお話です。
「言葉」とはそもそも情報を抽象化することで生まれる産物です。情報を言葉にして抽象化し、軽くすることで、他の動物に比べて、人は情報のやりとりを容易にしました。
例えば「キャベツ」という単語ひとつとってみても抽象的です。なぜなら、現実にはこの世に完全に同一なキャベツは存在しないからです。本来、あなたの見たキャベツを本当の意味で具体的に説明するなら、そのキャベツの色、シミの位置、重さ、どこで買ったのか、どれくらいの鮮度なのか、などなど全て説明しなければいけません。大変です。しかし、それを「キャベツと呼ばれる類のもの」とグループ化された単語、つまり「キャベツ」という言葉で表すことで、相手には「どんなキャベツか知らないけど、取りあえず、キャベツと呼ばれる野菜のうちの一つ」という意味が伝わります。これが「抽象化」の効果であり、「抽象化=情報を軽くする」ことの意味です。もうひとつ例をあげれば「昨日学校へ行った」と言うとき、どこの学校なのか、小学校なのか、中学校なのか、高校なのか、大学なのか専門学校なのか、校舎という建物に行ったのか、授業を受けに行ったのか、は話されていません。そんなことをいちいち話していたら面倒臭いですし、聞いている人も面倒くさがります。「面倒くさいから『学校』って言っておけば良いじゃん」という意味での「学校」という単語も、高度に抽象化された情報です。このように、我われは普段気づかないだけで、言葉を使うという行為自体が情報を抽象化し、情報を運んだり、伝えやすくしているわけです。それがさらに高度になった場合、文法の中で「より抽象的な表現=軽くて扱いやすい情報」として英語の語順などに影響を与えているのです。