平田オリザの講演と、極めて個人的な思考の泡沫 | しあわせになりたかったのに

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すみませんでした。

 平田オリザの講演。
 日常のなか、偶然となりに居合わせた他者と、開かれたコミュニケーションを図り、関係性を構築しようとする。相手に自分が敵でないことを示し、仲良くなろうとする。そのためのコミュニケーションにおいては、何らかのシンパシーを取っ掛かりにすると良い。
 しかし隣人との会話のなかで、なにかズレが生じるかもしれない。似た文化を持ちながら微妙な差異があるときにこそ、ズレや摩擦が起こる。言葉や行動を発する者と受け取る者の「コンテクスト」が違うからだ。
 違和感があったとき、相手がなぜその言葉を口にしたのか、想像を働かせてみてはどうか。相手のコンテクストを理解するよう努める。対話と想像力によって、エンパシーを図る。
 平田はエンパシーに「演劇が役に立つ」と言っていた。演劇においてはコンテクストを様々に想像することから、理解につながるというのだろうか。

 僕は、悩みを抱える人について考えた。
 悩みを他者に理解してもらおうとするとき、自分の抱えたものをどれほど言語化できるか、感じる違和と、違和の正体を言語化できるのか。
 相談を受ける立場になって思うのだが、自分の抱えた特性なり文化なりコンテクストなりを懇切丁寧にかみ砕き、伝えることができる人たちは多い。あるいはその言語化を図ろうと努めている。極めて個人的な体験を話す、それを聞く、という関係性のなかでは、聞く側はただただエンパシーに努める。
 その一方で、苦しさを言葉にできず、沈黙で満たす人たちもいる。
 僕が、その一人だった。
 僕は他者と馴染めず、疎外感、苦しさ、生きづらさを感じてきた。他者と違うことを恥じ、同じであろうとする無為な努力をしてきた。その苦しさのなかで、カウンセリングを受けた。理解してほしかった。自分がいま普通でない状態にあるだけで、何かをすれば普通になれるのではないか。そんな希望も抱き、救いを願った。
 カウンセラーに自分のことを説明しようとした。症状、体験、エピソードとしては話した。けれどその背景にある感覚、他者との違いは、言語化のしようがなかった。虚空をつかもうとするようなものだった。空疎な対話だった。カウンセラーとの時間は、沈黙で埋められていった。
 プリミティブ、アプリオリ、クオリア、そういった何か人としての大前提において、他者と異なるものを抱えている。誰にも分かってもらえない。人は独りだ。それが最終的な結論となった。願いは叶わない。そう絶望もした。

 相談ができない。自分と他者の違和を、説明するすべを見いだせない。その苦しさに、僕の根幹はある。
 今となっては、他者とのズレの背景にあるものを説明するのにASDという概念が使いやすく、それを「コンテクスト」として利用させてもらっている。「ASD」という概念がコンセンサスを得たから、ずいぶん立ち回りが楽になった。違いを言語化することができれば、それはコンテクストの違いとして表明することもできる。しないことも選べる。
 他者との差異と、異和に対する苦しさが、自分の抱えたコンテクストの言語化を促すのだろう。ここに至るまでには、恐らく多数のマイノリティの、苦しさ、戦い、支援者の理解と援助があったことだろう。生み出された概念は、自己理解と他者の理解に役立っている。