しあわせになりたかったのに

しあわせになりたかったのに

すみませんでした。

 やらないといけないことより、やりたいことを優先して、追い詰められるのは、ADHDか何かの特性なんだろうと思いながら、ああ、なんでいつもこうやって繰り返すんだろう、って思いはするけど、次からはちゃんと自制して、前もって取り組もうとか思って、一回くらいはちゃんとすることもあって、やればできるとか思って、他人にも思われて、でも次からはまた、やっぱりできなくなっていって、そんな自分に、繰り返し落ち込んで、疲れ果てて、打ちのめされて、何かの罰を受けてるみたいに、くり返し、くりかえし、ぼくはだめなにんげんです、生まれてすみません、生きててすみません、って。
 そういう絶望をさ。他人に理解してもらうっていっても難しいしさ。理解してもらったところで、仕方もないし。ひとり膝を抱えて、ため息を吐くくらいしか、しようがないよね。しようもないしさ。悩みの内容としては下の下だろ。自分のやりたいことやってしまって、やらないといけないことができません。ゲームとかSNSに夢中で、課題が進みません。そんな悩みなんだからさ。目に見えて悲惨な問題が社会にはあふれていて、そっちの方が大切だよね。すみませんでした。
 悩み相談のリソースを使うのも申し訳ないし、黙って死ぬしかない。世の中のもっと悲惨な人たちを助けてあげて、僕みたいなしようもない人間は、どっか、社会の隅っこに、箒でかき集められて、塵取りに入れられて、錆びてひしゃげた屑籠に入れられて、そのまま闇の底で無いことにされておけばいいの。
 すみませんでした。

疲れていて。
カウンセリングを受けてさ。
つかれていたから、あんまり喋らなかったのさ。
それでも、思うところは訥々と言葉にして。
僕なりに、伝えようとしたんだけどな。
カウンセラーには「私に警戒してる」とか言われてさ。
何にも伝わらなかったんだ。
言葉が出にくい。
そういう障がい特性なんだけどね。
それを理解されにくい。
生きづらい理由そのものなのにね。
伝わらないんだよ。
お金払って、よけいに疲れて。
そういうこと、僕には何度もあるんだ。

カウンセラーはさ。
喋らない僕に、自分の過去の話を聞かせた。
パニック障害で自分が家から出られなかった頃の話。
何年も寝たきりのような暮らしをして、身の回りの支援をしてもらうため家政婦に来てもらった。
家政婦はうつ病を抱えていて。
親にも理解されなかった自分の苦しさを、家政婦が理解してくれた。
その家政婦と話すことで、自らの苦しさは和らいでいた。
そんな話だった。

ひとは、人の苦しみに触れるとき、自分の苦しみも少し慰められるんだろう。
理解される、分かってもらえる、そういう感覚に少しだけ、自分の苦しみも和らぐのだろう。
とはいえ、ひとは全てを語らないし、全てを分かりもしないんだ。
ただひととき、共にあることで、癒しか許しか慰めか、或いは言葉にし得ない安らぎか、得ることもあるかもしれない、というくらいのことだ。
すごく漠然とした希望なんだ。

根本的には、人は分かり合えない。
僕はそう考えている。
不理解、拒絶、隔絶、失望、幻滅、嫌悪、そんな体験の方が、僕の日常には多く転がっている。
それでも誰かと関わり続けることで、どこかで誰かになぐさめられたら、と思っている。
どこかの誰かと、すこしだけでも、共にあれたらと願っている。

 平田オリザの講演。
 日常のなか、偶然となりに居合わせた他者と、開かれたコミュニケーションを図り、関係性を構築しようとする。相手に自分が敵でないことを示し、仲良くなろうとする。そのためのコミュニケーションにおいては、何らかのシンパシーを取っ掛かりにすると良い。
 しかし隣人との会話のなかで、なにかズレが生じるかもしれない。似た文化を持ちながら微妙な差異があるときにこそ、ズレや摩擦が起こる。言葉や行動を発する者と受け取る者の「コンテクスト」が違うからだ。
 違和感があったとき、相手がなぜその言葉を口にしたのか、想像を働かせてみてはどうか。相手のコンテクストを理解するよう努める。対話と想像力によって、エンパシーを図る。
 平田はエンパシーに「演劇が役に立つ」と言っていた。演劇においてはコンテクストを様々に想像することから、理解につながるというのだろうか。

 僕は、悩みを抱える人について考えた。
 悩みを他者に理解してもらおうとするとき、自分の抱えたものをどれほど言語化できるか、感じる違和と、違和の正体を言語化できるのか。
 相談を受ける立場になって思うのだが、自分の抱えた特性なり文化なりコンテクストなりを懇切丁寧にかみ砕き、伝えることができる人たちは多い。あるいはその言語化を図ろうと努めている。極めて個人的な体験を話す、それを聞く、という関係性のなかでは、聞く側はただただエンパシーに努める。
 その一方で、苦しさを言葉にできず、沈黙で満たす人たちもいる。
 僕が、その一人だった。
 僕は他者と馴染めず、疎外感、苦しさ、生きづらさを感じてきた。他者と違うことを恥じ、同じであろうとする無為な努力をしてきた。その苦しさのなかで、カウンセリングを受けた。理解してほしかった。自分がいま普通でない状態にあるだけで、何かをすれば普通になれるのではないか。そんな希望も抱き、救いを願った。
 カウンセラーに自分のことを説明しようとした。症状、体験、エピソードとしては話した。けれどその背景にある感覚、他者との違いは、言語化のしようがなかった。虚空をつかもうとするようなものだった。空疎な対話だった。カウンセラーとの時間は、沈黙で埋められていった。
 プリミティブ、アプリオリ、クオリア、そういった何か人としての大前提において、他者と異なるものを抱えている。誰にも分かってもらえない。人は独りだ。それが最終的な結論となった。願いは叶わない。そう絶望もした。

 相談ができない。自分と他者の違和を、説明するすべを見いだせない。その苦しさに、僕の根幹はある。
 今となっては、他者とのズレの背景にあるものを説明するのにASDという概念が使いやすく、それを「コンテクスト」として利用させてもらっている。「ASD」という概念がコンセンサスを得たから、ずいぶん立ち回りが楽になった。違いを言語化することができれば、それはコンテクストの違いとして表明することもできる。しないことも選べる。
 他者との差異と、異和に対する苦しさが、自分の抱えたコンテクストの言語化を促すのだろう。ここに至るまでには、恐らく多数のマイノリティの、苦しさ、戦い、支援者の理解と援助があったことだろう。生み出された概念は、自己理解と他者の理解に役立っている。