秋の日 | しあわせになりたかったのに

しあわせになりたかったのに

すみませんでした。

細かく千切られた綿雲が、空いっぱいに広がっている。

凛と冷たい空気が、秋の到来を僕に教えた。

月曜の朝、温泉街の人はまばらだった。

店の従業員らが路地を掃除し、催しものの飾り付けをしている。

数年ぶりに帰ってきた同級生、リョウと二人で歩いていた。

 

昨夜、僕は同級生らと酔いつぶれていた。

家に帰り、ソファーに倒れ、そのまま眠り込んでいたところ、電話の着信音に起こされる。

リョウからだった。

「すまん」、酒で枯れた声でリョウは言った。「空港まで送ってくれないか」。

 

チェックアウトの時間になり、部屋を追い出されたリョウは、ホテルの外で立ち尽くしていた。

車を寄せると後部座席ドアを開き、荷物を放り込む。

午後の飛行機までには、まだ時間があった。

酔いの残る彼は、助手席に座ると「温泉に行こう」と言った。

 

車を停め、リョウと僕はどの温泉に入るかを吟味していた。

一番古い温泉は改装中で、入ることができない。

通り沿いを歩いていると、四角い豆腐のような建物があった。

入り口に赤い花のオブジェが設けられ、花の湯温泉と示されていた。

「ここにしようか」とリョウが言った。

 

朝風呂につかった老人が、更衣室でシャツを着ている。

入れ替わりで浴室に入ると、僕ら二人だけだった。

不愛想に並んだ洗い場をはさむように、四角い二つの大浴槽がある。

身体を洗い湯船に浸かると、音楽が流れ、壁面に映像があらわれた。

頭上のプロジェクターから投影される白い鳥が、壁に描かれた峰を横切っていく。

「面白いんじゃない」。演出を眺めながら、彼はその映像の批評をした。

観光客に湯を楽しませながら、町の由来を見せる。

コンサルタントを生業としている彼は、演出の意図を説明してくれた。

湯の話、鳥の話、山の話。

「戦後もし日本が分断統治されていたなら、あの山は本国で一番高い山になっていたんだぜ」。映像が終わるまで五分間、彼の講釈は続いた。

 

湯から上がると、彼は奥の扉を指さす。

「あっちにも行ってみよう」。

向かう先には、露天風呂があった。

六畳ほどの浴槽は高い壁に覆われ、ふちに植えられた椿は日当たりの悪さに痩せ細っている。

「これじゃあ、もったいないな」

先程より少しぬるい湯船につかり、今度は空間の演出について一しきり説明する。

 

長風呂と彼の話にのぼせた僕は、先に風呂を出た。

椅子に座っていると、着替えたリョウが「行こうか」と声をかけてくる。

風呂を出て空港に向かうのだと思っていた僕は、裏路地へと進む彼に虚をつかれる。

「どこに行くの」と問うと、風俗の店がひしめくテナントビルを彼は指さした。

壁面に、桃色の看板が並ぶ。

古いビルの脇、狭いスロープを上がった。

裏口のような扉から入ると、カウンターがある。

女の子の写真がパネルに入れられ、並べられていた。

「どの娘にしますか」。カウンターの向こうで、小太りの店員がにこやかに言う。

「みなみちゃんにしなよ」と彼は言った。「いい子だったよ」。

彼は昨日も、この店に来ていたのだ。

 

待合室に通された後、すぐに呼ばれた彼を見送り、僕は椅子に座って待った。

ホールでチャイムが鳴る。

準備ができた合図なのだろう。

「4年2組 みなみ」。

B5サイズの成績表のような札を渡される。

案内されたエレベータに入る。

「楽しんでいってらっしゃいませ」、小太りの笑みが閉まるドアに消える。

四階のボタンが押されていて、その上に表示された数字が増えるのを眺める。

ドアが開くと、小さな女の子が立っていた。

「こんにちは」。

笑顔を投げる少女は、本当に学生のように見えた。

「こちらです」、言って狭い廊下を奥に進む。

ドアノブに手をかけた。

 

「お茶でいいですか」、ベッドに腰掛けると緑茶の缶を渡された。

「地元の方ですか」。他愛のない世間話に、同級生と温泉に入ってきたことを答える。

「シャワー、浴びましょうか」と彼女は言った。

服を脱ぎ、ブラジャーを外す。

小ぶりな胸を桜色の乳首が統べている。

シャワーの温度を調整し、「洗いますね」と身体を寄せる。

彼女は、本当に小柄だった。

触れる乳房が、僕の腕に吸い付く。

瑞々しい肌と痩せた体格は、あまりにも幼く見えた。

「若いね」と僕は言った。

「夢と希望にあふれる18歳です」と彼女は笑う。

その左腕に、幾筋もの白いラインが見えた。

ばらまかれた爪楊枝みたいに、不規則に、手首から肩まで、並んでいる。

自分でつけた傷跡だろう。

なんと言えばいいのか、考えてしまう。

「大丈夫なの」と聞くのは、この場にそぐわない気がした。

かといって「素敵な傷跡ですね」とほめるのも、変だ。

笑いかけてくれる彼女に、僕はぎこちなく笑みを返すことしかできなかった。

 

身体を拭いて、バスタオルの敷かれたベッドに腰掛ける。

隣に沿うように、彼女も座った。

「どうしたらいい」と試しに聞いてみる。

「お好きなように」と彼女は答え、僕に顔を寄せた。

唇がふれ、彼女の腕が背中に回る。

横たわりながら身体を寄せると、口腔に舌が伸びてくる。

僕も彼女の身体を抱きながら、乳房に手を当てた。

先端に触れると、「あ」と彼女は声をだした。

業務的な声音だった。

忘れ物に気がついたときの「あ」と同じ響きだ。

脚に手を伸ばし、その間を撫ぜてみても、指先は乾いた感触をなぞる。

 

彼女は僕に唇を這わせ、僕の上にまたがった。

「あれ」と彼女は言う。

僕はうまく勃起しなかった。

「入りそうだったのになあ」

彼女は困ったように言った。

「すまない」と僕は言った。「おっさんだから」。

どうしよう、という表情で僕をみる彼女に、腕を広げて答えた。

 

腕枕をし、寄り添って横になる。

子供にするように、彼女の頭をなでた。

大丈夫、大丈夫。

そう言ってみる。

彼女はもう何も言わず、ただ僕の胸に頭を寄せていた。

呼吸する胸の動きが、規則正しく僕に伝わる。

「みなみちゃんは」彼女のことを知りたくなって、僕は訊ねる。「将来、したいこととかあるの」。

「うーん」。思いつかない、というような沈黙をしばらくおき、彼女は答える。

「あと一年くらい、この仕事をして、お金を貯めようかなって」。

「そうか」と言うと、僕も続ける言葉を思いつかず、沈黙した。

「母と二人暮らしなんですけどね」。天井を見上げて、彼女は言う。

「母は介護の仕事をしていて。資格でも取りなさいって。仕事はいくらでもあるからって。でも、なんか大変そうだなって」

「そっか」

母親と暮らしてきた彼女のことを想像する。

父親は、早くにいなくなったのか、それとも長く彼女を苦しめてきたのか。

腕を切りつけるのは、孤独なのか、絶望なのか。

この仕事に身を投じたのは、自傷行為の一つなのか、或いは受容を求めたのか。

僕にはよく分からなかった。

分かるわけも、なかった。

ただ、彼女の将来が明るいものであることを、願った。

「お金をためて、少しゆっくりするのも良いかもしれないね」と、僕は言った。

 

ピピ、とアラームが鳴った。

「もう時間かな」。

僕が問うと「十分前の合図です。もう少し、のんびりしましょう」と彼女は答えた。

僕は頷きながら「ねえ」と言った。「フェラチオして」。

「いいですけど、口には出さないでくださいね」と彼女は答える。

高い金を払ってるのに注文つけるなよ、と思いつつ、それを表に出さない程度には僕は大人だった。

「じゃあ、手でして」と代案を出す。

「分かりました」。

微笑みを浮かべて頷いた彼女は、ローションのふたを開け、透明なコロイドを手に取る。

そうして、熟練のバーテンダーのような手技で、次のアラームが鳴る前に僕を射精させた。

さすがプロだな、と脱力感のなかで僕は思った。

 

「お連れ様は先に出られております」

エレベータ前で待ち構えていた小太りが、そう教えてくれた。

「いかがでしたか」と聞かれたので、良かったよ、と答えながら僕は店を出る。

駐車場で煙草をふかしていたリョウは、僕を見ると手をあげた。

「よ、穴兄弟」と言う彼に、穴に入らなかった僕は「おう」と小さく応えた。