無題 | しあわせになりたかったのに

しあわせになりたかったのに

すみませんでした。

ぼくはだめなにんげんです。存在してはいけないんです。生まれたことが罪だから、生きることはその罰なのです。ぼくは、どこにいても嫌われるんです。人間としての能力が欠如いるんです。ひとと、付き合えない。話せないし、会話を成り立たせられない。なにがいけないのか分からない。けれど、ダメだということだけは、分かる。いつもその結果だけが残るから。ぼくには誰もいないし、何もない。それどころか、みんなに迷惑や嫌悪をまき散らしている。人と会うことを楽しいと思える人たちが、社会を作り上げていく。そこで生きるために僕は、社会性を身につけようとする。よじり、もがき、くたびれて、横たわる。その繰り返しだ。だめになるたび、死にたくなる。おもりを抱えて泳いでるみたいに内面に沈んで、やるべきことが手につかない。どうしようかと思うけど、何年もこんな風に何となく過ごしてきた。このまま這いずるように生きてれば、また十年もそれなりに済んでいくような気もする。二十代だって学生時代だって、こんな気だるさにまとわれて、頑張らないとと思いながら何も手につかず、無為な年月の中にいた。どうしようもなく、けれどまだ見ぬ救いに憧れて、空を仰いでいた。ときに森の巨木。ときに住宅地の非常階段。嵐の夜、川沿いを歩き、うねる水面を眺めもした。息を止め、自分のいない世界を望みもした。そして、まだ見ぬ救いを求めもした。病院かもしれないし、心理療法かもしれないし、宗教かもしれない、石やタロットの店かもしれない、飲み屋かもしれない、風俗かもしれない。金をかけ、時間をかけた。けれど何も残りはしなかった。ぼくはだめだ。みんな立派にやっている。立派な人を見習おうとする。そして、僕はだめだということを突きつけられる。ごめんなさい。僕の努力が足りないんです。伸びきって千切れたゴムのようにうつ伏せる。こんな自分が他の人と同じだけ努力をできるはずもない。能力の欠如を言い訳にして、倒れ果てるだけなのだ。稲盛なんとかが言ってたな。能力かける熱意かける、何だっけ。忘れた。何回聞いても忘れる。人の名前も忘れるし、聞いた話も忘れる。死にたい。恥ずかしい記憶が蘇って、不意に死にたくなる。死にたい死にたい死にたい。0から10まででいうと3ぐらいの死にたさ。だから大丈夫。心配されても解決しないの知ってるし、正直、理解されないのも知ってる。ここには何もない。僕には居場所なんてない。世界なんて、滅んでしまえばいい。エヴァのポスターにそんな言葉があったよね。20年前に映画館で観た。庵野も鬱だよね。自閉症スペクトラムにも当てはまるかもしれない。分かんないけどさ。シン・ウルトラマンも面白かったな。だから、シン・仮面ライダーも観たい。それまでは、仕方ないから、自分なりに生きていこう。せめて、少しでも人の役に立てるように、生きよう。どうせ迷惑しかかけてない自分だから、せめて、人のために、疲弊しよう。芸能人に自分を投影することはよくあるけど、なんとか竜平さんも、人を笑わせるために自分を自分でないものにして、疲れ切って、くたびれ果てて、亡くなったんだろう。あんな風に、死ぬまでは、生きていこう。