日本代表が強く成れたのは上を目指したから…国はその逆なのだよ | ショーエイのアタックまんがーワン

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タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

どうも…ショーエイです。

いよいよ日本代表の正念場、

ブラジル戦を迎える事に成りました。

ブラジルも調子を上げてきている感じなので、

勝てるかどうか…

というより嫌な相手と決勝トーナメント初戦で当たる事に成った…

そういう気に成ると思います。

 

まあ、優勝を目指す…という目標の中では、

逆に早かれ遅かれ勝てなければ成らない相手では有るのです。

 

個人的にはブラジルに勝てるかどうかと考えるより、

ブラジル相手にどういう試合を見せてくれるのかが、

寧ろ楽しみと言う感じで、

結果には拘りません。

ただ…守りに徹するような戦い方だけは避けて欲しい。

それは既に気持ちで負けている状態で、

仮にブラジルに勝ったとしても、

そこから先で気持ちが負けてしまうからです。

反対に攻めて負けても、

その気持ちは次に活かせる形と成るわけです。

 

日本代表もそうですが、それを見守る国民の意識も、

「挑戦者」であるから良いわけで、

弱い相手を望む様な姿勢のままだったら、

応援する気には成らなかったと言っておきます。

 

【日本の政治は代表とは真逆…国民も同様】

今までサッカー代表の見方なら、

決勝トーナメントの初戦の相手がブラジルなら、

「最悪」という意識に陥ったと思います。

選手の深層心理=いわば内心ですが、

表面上であるインタビューなどのコメントでは、

強気な発言をしてても、

内心では不安が先行する状態でしか無かった訳です。

それは実際のプレイを見ててもハッキリわかる状態です。

 

日本に限った話ではないですが、

「長いものに巻かれろ」

いわば強い者に逆らっては成らない

そういう意識の国民性の中では、

下…いわば自分より弱い相手ばかりを意識して、

向上心のない状態に陥ってしまう訳です。、

 

誰かの失敗を見て喜ぶ、

自分より下の立場の人間をからかって楽しむ、

人を馬鹿にして楽しむ

 

など…メディアが笑いのネタにしてきたところが、

国民が楽しめるツボであったことが、

何よりの証拠に成るわけです。

ただ、芸人さんたちは、

ビートたけし氏にしても、

明石家さんま氏にしても、

ちゃんと自分も馬鹿になって、

ただ下のものをいじるだけにしないように、

自分もいじられる形で演出を考えていた訳ですが、

そういう所を解かる人が寧ろ少なく、

ただ下をいじって楽しむだけ留まった国民の状態が、

結局今の日本を物語っていると言っておきます。

 

結果として…アメリカに逆らえない勝てない、

そういう意識で、

中国や韓国、東南アジア諸国を

発展途上国として見続け

まだ日本の方が優れていると思っている人が、

国政のマジョリティを構成して、

そういう意識の政治家を選んでいるという状態なのです。

 

これは国として「挑戦者」の意識では無いです。

むしろ国民が大好きな「陥落者」…

失態を犯して業界から落ちて行く人ですね。

そういうネタが大好きな国民性そのものが、

「陥落者」そのものに成っている

皮肉な状態です。

 

【ブラジルのロナウドの発言を聞いて感じろ!!】

フェノメーノことブラジルのロナウド氏、

個人的には大好きな選手なので、

寧ろ問題視すらしない話ですが、

彼はオランダでは無く、一回戦の相手が日本の方が、

「やりやすい」とコメントした訳です。

意識的な話で、今のブラジルの状態を見ると、

正直、同じことを考えたかなとも…

 

ただ、日本人としては「なめられている」

という感情が先行した内容だと思います。

 

「挑戦者」の意識としては大事な事なので、

日本人のその感情は大いに称賛します。

しかし、もう一つ見て欲しいのが、

ブラジルの意識です。

当のロナウドが居た時分のブラジルなら、

対戦者はどこでも構わない…

という心情だったと思います。

ところがそれ以来優勝から遠ざかっているブラジルは、

今や絶対的な王者ではなく成り、

寧ろ勝てる相手を探す状態に成ったと言えます。

いわば内心、優勝では無くどこまで進めるか…

そんな心情が伺える状態な訳です。

 

こうした点を眺めていると、

丁度、国家的な意識の中での、

日本と中国みたいな関係でもあるわけです。

中国は未だ「挑戦者」としての意識の中で、

日本を見ています。

日本は逆に、陥落したブラジル同様に、

中国を弱い相手と見ようとしてます。

 

結果として日本がブラジルに勝ったら、

ブラジルは大騒ぎに成る事は手に取るように解かる話で、

ブラジルサッカー史に於いては最大の屈辱と成るでしょう。

優勝を逃したマラカナンの悲劇どころの話ではなく、

恐らく監督のアンチェロッティは

ブラジルに足を踏み入れられなくなる状態も予測できます。

 

日本人が中国に抱く感情も同様でしょうが、

サッカーと違って試合で結果が見えるものでは無く、

寧ろ結果は見えにくく現在進行形で試合は進む話で、

大差を付けられたら時すでに遅しなのです。

 

故に本来ならば日本人は

寧ろサッカー日本代表の躍進に合わせて、

国として「挑戦者」としての意識を見直してほしいものです。

 

正直な話、日本人にも多くの有識者が居て、

僕と同じ危機感を共有している人も多々いると思います。

しかし、マジョリティを形成するほとんどが、

そういう意識とはかけ離れたところで生活している訳です。

そういう意味では彼らに影響力を与えているメディアが、

意識の変革を先導しなければ成らないのですが、

そのメディアが全くマジョリティに同調している程度では、

日本が陥落していくネタを

世界に提供するだけでしかなくなるわけです。

 

まあ、日本そのものが笑いものに成るつもりなら、

内心それはそれで良いのだけど…

 

一応、警告だけはしておきます…

と、いう事です。

 

日本人って本当に

権利とか自由、平等の教育が全くない国なんだなと思います。

 

国旗損壊罪…アホな理論ですよ。

 

国への愛国心を強要するなんてバカバカしいことです。

愛国心は国民個々が抱く感情です。

ある意味、そういう法律が無く、禁止されていないから、

寧ろ国旗を燃やした事件なんてのは、

ニュースにすらならんかったわけで、

その事実を知らない日本人は、

そんな事する人が居るとも思わなkった。

 

日本人は人徳の徳は、与えられるものと勘違いしてます。

徳は与えられるものでも、与えるものでもありません。

感じるものです。

徳あると感じられる人には、

自然と人は敬意を抱き、

徳ある人は意識すらせずに、

ただ配慮と気配りで人と接しているだけなのです。

この自然と成立する関係性が

「徳」を意識させてるに過ぎないわけで、

実際にその「徳」の中は心地いいわけです。

 

自由と平等の中では、

其々がこの「徳」を意識できる社会構成を目指している訳です。

 

平等は決して全ての均等の意味では有りません。

賃金格差が平等ではないというのもおかしな話です。

寧ろ人間として上下関係がない状態を平等という訳です。

会社の社長であれ、平社員であれ、

人として平等であって、

上の人間が下の人間に忠誠を押し付けたり、

ルールに従わせるだけの状態は平等では無いのです。

日本人は寧ろこちらの不平等を理解せず、

賃金とかばかり主張しているのが現状です。

 

ルールは下の人の意見を聞きながら、

全体で調整するのが平等なルールで、

現状、世界的に浸透している労働環境改善の法律は、

実はここに基づくもので成り立っているのです。

これは日本の労働施行総合推進法を読めば、

記載されている内容に成ります。

 

自由とは…

社会的自由と表現しますが、

まあ、理解に苦しむ人が多いのは残念な話に成ります。

社会的自由とは

個々の自由が「最大限」に尊重される状態で、

社会的とする所以は、

個人個人の相互の自由が保証される状態を意味します。

いわば誰かの自由を束縛する事ない範疇で、

自分の自由が許されるという意味です。

それ故に「自由と平等」が併用されるわけです。

極端に解かりやすく伝える対局は、

喫煙者と非喫煙者とも言えます。

喫煙者には喫煙する自由。

非喫煙者には自己の健康を大事にする自由が有ります。

その中でタバコの煙は

非喫煙者にとっては害になると意識されます。

かと言って喫煙行為は慣習性の趣向の範囲で、

法律上許された自由であり、

これを「今更」禁止することは,

誰かの趣向への自由を阻害する為、出来ないと言うより、

やっては成らない行為なのです。

その中で双方が上手く尊重し合える状態で、

法律上で調整して、

双方の権利に対する平等を線引きしなければ成らないのです。

ただ、この線引きは実際に難しい所で、

それ故に民主制では

最終的にマジョリティの意向に沿うが基本に成ります。

ところがマジョリティに沿うだけで決めてしまうと、

線引きは平等から一方的な方向に進んでしまいます。

いわば喫煙行為が禁止になる方向に行くわけです。

それでは一方的に喫煙者の自由は疎外されてしまう。

なので行き過ぎた線引きに成らないように、

マイノリティの保護というものが存在し、

現状、米国でも日本でも憲法に記載する形で、

マジョリティに対抗する余地を残している訳です。

 

本来。政治家はこうした自由と平等の理解を得たうえで、

政治に関わるべきなのですが、

そこは各国の教育上の問題で左右されるため、

権利教育の薄い日本では、

全く理解されないまま議論される状態になるわけです..

運よく議員の中に愛煙家がいたから、

何とか現状で歯止めがかかっている状態で、

この極端な例が、1920代の禁酒法だとも言えます。

 

【徳ある社会ではほぼ殺人は起こらない】

異常な殺人趣向の人間に対しては別物としたうえで、

基本的に個人個人の怨恨が無い状態であれば、

殺人に走る人はほぼ居ません。

逆に法律で如何に禁止しようとも、

何らかの怨恨が成立してしまうと、

感情的な暴力が発生して殺人に発展する訳です。

 

勿論、怨恨には恋愛感情などもある為、

そこで生じる問題は社会的にコントロール不能に成るので、

これも難しい部分と成ります。

 

これらは全ての犯罪に該当する話で、

基本的には貧困が無くなれば窃盗もほぼ無くなるわけです。

 

国家間同士の話…いわば外交上の問題も実は同様で、

何らかの因果や怨恨を引きずるがゆえに、

戦争やテロはあとを絶たないのです。

 

ウクライナ戦争は

欧州がロシアを信用しないという姿勢が齎した結果で、

信用されていないから相手を信用できない故に、

警戒感が暴走して発生した戦争と言えます。

 

イスラエルとイランの問題は、

寧ろイスラエルがパレスティナの権利を尊重しない故に、

根付いた因果な訳で、

イスラエルはイランがイスラエルを排除しようと考えているから、

それに対する防衛を権利として主張している訳ですが、

イランからすればイスラエルが

アラブ人またはイスラム教徒の権利を迫害するから、

そこに圧力を以て対抗せざるを得ない話に成るわけです。

 

どの道、「低俗な思考」と言いますが、

信用できないから信用しないという発想で留まる、

いわば平和ボケした思考では解決できない話なのです。

 

寧ろ、「マフィア思考」では、

信用なんて言葉は存在しません。

ただ有るのは

「お互いに越えては成らない境界線を記すだけ」

台湾問題で言うなれば、

中国は台湾独立に関与することは、

境界線として許さない訳で、

米国は基本、台湾を強引な形で

台湾の独立性を排除するなら許さない

という所で境界線を強いている訳です。

 

その境界線を理解もせず、

平和ボケした思考で台湾の独立に関与しようとしたり、

勝手な防衛協力をしたりする行為は、

寧ろ、マフィア的な秩序を乱す行為に成るわけです。

ある意味、邪魔でしかないのです。

 

先ず、現実的に理解するべきは…

国際的な外交問題は、

内政問題の様に法律的拘束力がない状態で、

大国同士の関係は、

いつでも戦争へ発展するものであるという事。

 

ここを理解せずに善悪だけで語る人間が、

実際は戦争の起因に触れてしまうのです。

 

マフィアだから信用できないという発想も、

マフィア思考を理解する者からすれば、

一般人はお互いの尊厳を理解せずに、

勝手に境界線に踏み込むから、

怒りを買うのだという事です。

マフィアの怒りを買えば、

もう法律関係なく、いわば国際法関係なく、

あらゆる手段を以て報復するという怖さを知っておくべきなのです。

 

ましてや…大国同士の戦争なんて…

ルール無用で勝つしかないのだから尚更という事。

あとは味方に付ける勢力への配慮だけが、

勝敗を分ける要因になる分、

ルールはそこへの大義とバランスでしか成立しないわけです。

 

現実的な話として・・・

マフィアという言葉に違和感を覚えても、

誰もが無秩序の世界に辿りつけば、

誰でもマフィアに成ってしまう訳で、

結果として権力と軍隊と言う

暴力を兼ね備えた地位同士の関係は、

マフィアの社会そのもので、

そこには公的拘束力も無いものなのです。

 

これに公的拘束力を齎すには、

小さな国際社会が結束して

大国に対抗できる状態を確保することであるが、

大国に飲み込まれる現状では、

そんなものは存在しない訳です。