日本人で愛国心を語って日本の恥を増長している保守の人たち… | ショーエイのアタックまんがーワン

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タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

どうも…ショーエイです。

戦後の日本は、

世界から愛される日本こそが、

和の美徳として認識されているはずで、

多くの日本人がその姿を誇りに感じていると思います。

愛国心を語る人たちも、

その姿の美徳は理解しているが、

むしろその姿を他の文化に押し付ける事しか考えないのです。

 

僕は天皇崇拝者ではありません。

仮に天皇陛下が誇れる象徴で無いのなら、

彼らを尊重する気持ちは無く成ります。

しかし、今の令和天皇、そして以前の平成天皇は、

日本の象徴として素晴らしい規範を示されており、

むしろそういう姿勢こそが日本の美徳そのものだと、

感じるわけです。

 

先ず、自由を尊重する意味は、

ルールを守る事では成りません。

人それぞれに異なった主張、生活習慣が存在し、

それらを一方的なルールで縛る事は、

むしろ個人の自由を束縛して行く形に成ります。

これは憲法13条の幸福追求という言葉に当たります。

ルールは寧ろ公共の福祉に該当する部分ですが、

日本人の美徳は、ルールに関係なく、

他人の幸福を尊重する姿勢に有るわけです。

自分の生命や財産が脅かされる状態なら、

それは当然守られるべき話ですが、

それら以外の自由は尊重していける社会ゆえに、

トラブルも少なく安全な社会に寄与する訳です。

 

日本が世界から愛されるところは、

むしろ文化的にこうした寛容さがあるところで、

文化の異なる人たちも居心地よく、

むしろ日本の寛容な美徳に共感し、

その姿勢を模倣する意識が芽生えてくるのです。

 

ところが保守の人たちは、

この美徳を他人に押し付けたり、

ルールによって縛り付けようとするわけです。

特に愛国心を強要するような姿勢は、

むしろ日本の美徳を汚すものでしか有りません。

特に中国や韓国との問題に、

日本の美徳として寛容、理解、配慮を考えて行動すると、

彼らはそれを売国奴の様に蔑みます。

保守の人はこれらを媚びている様に見ますが、

日本であり日本人が愛される為にと考えれば、

むしろ偏見なく共栄を唱えて、

中国や韓国の人たちに、日本をもっと受け入れて貰える方が、

実は国益としても有利に働くわけです。

 

喧嘩が発生する要因は、

先ずは主張のぶつかり合いから始まり、

お互いに譲れない意地がぶつかり合うと、

解決の余地は武力的なものに成ってしまいます。

逆にお互いが尊重、理解、配慮を以て話し合うと、

逆に喧嘩には成りません。

 

保守の人を頭の悪い人と言いますが、

戦後から現代の日本には、

本来、尊重、理解、配慮を美徳とした、

平和を希求する文化が浸透しています。

そしてそれらは日本の自衛のみならず、

戦争抑止にも寄与するものなのです。

 

こうした美徳を意識する人は、

愛国心を求める必要などない、

日本の象徴たる人々なのです。

むしろ保守の人たちの、

戦寺中の問題に配慮していない姿勢は、

逆に日本の美徳に反する姿勢で、

南京大虐殺、慰安婦問題をあえて否定して、

戦時中の日本を美化して見せようとする事こそ、

見掛け倒しの汚い精神の象徴なのです。

 

美徳を求める社会で、

責任感のない人間、配慮の薄い人間は、

好感を持たれません。

美徳の中で日本人としての責任感を抱くなら、

先ず戦争行為を美化出来ない事を理解します。

人が人を殺すのが戦争です。

そもそも自衛であっても、

美化する話ではありません。

その汚れた戦争の中では、

必ず汚れた事態は発生するのです。

南京大虐殺に関しても、

南京の市民が日本軍に抵抗した場合、

日本軍は何もしなければ

その暴動を鎮圧できず、

ただ、やられるだけの事態に成ります。

当然の様に鎮圧に乗り出さなければ成らない事態と

理解は出来ます。

結果として南京市民を大虐殺した形に成るのは、

戦争なら当然起こりうる話です。

しかし、戦後この軍事としてやむを得ない行為を

美化することは、

アメリカが広島、長崎への原爆投下を美化するのと

同じ意味で伝わります。

アメリカが仮に、原爆投下は行っていないと否定したら、

日本人はどう感じるでしょうか?

南京大虐殺を否定する話は、

寧ろアメリカが原爆を使用していないと

事実隠蔽するようなものです。

日本人としてこんなアメリカの姿勢なら、

腹立たしい国に感じて当然に成ります。

 

しかし、原爆の使用を認め、

広島、長崎で起きた被害状況も公表し、

謝罪や反省こそ口にはしないものの、

以後、核兵器の使用を規制する姿勢に繋げている事は、

まだ許せる話で、

その公表によって

アメリカ国民にも核の脅威は適切に伝わり、

人道的な意味でも教育的に広まった事は、

同じ被害を防げる期待として、

歴史に記されたわけです。

 

保守の人たちが美化する戦時中の日本は、

むしろ戦争の醜態を教育として浸透させようとしない、

寧ろ愚かしい行為です。

日本では寧ろ戦争は美化されて、

命がけの駆け引きを楽しむ

ゲームの様な世界で伝わっているわけです。

これ正に平和ボケそのものです。

ウクライナでの戦争も他人事の様に眺めている訳で、

まるでスポーツを観戦しているかのように、

ウクライナ頑張れと叫んでいるだけの始末です。

 

こんな間抜けな姿をさらしている日本を、

恥ずかしいと思わないのですか?

 

【世界の規範となる日本とは・・・】

日本人が世界に貢献できる事は、

日本人の美徳が平和な社会に結びつく姿勢である事を、

証明していく事です。

それを伝える必要性は有りません。

日本人を見てもらい日本を感じてもらい、

その美徳に共感してもらう事で、

世界に浸透させるだけなのです。

その為には世界に愛される日本で無ければ成らないのです。

中国の人も、韓国の人も、

日本人が愛される存在であれば、

日本の美徳に共感する声が広まりやすく成ります。

彼らのメディアの中でも、

日本の美徳は時に好感されて伝わっています。

しかし、中国や韓国への偏見の眼差しや、

事実を隠蔽して見せる美意識が表面化すると、

日本人の本質は上辺だけと疑われ、

逆に日本人に対する偏見を抱く主張が強まり、

騙し騙される警戒心が反日感情を刺激するのです。

 

それは日本でも同じで、

中国、韓国で反日感情が強まれば、

日本の美徳は鎖国化して、

日本人にしか共感できないものと錯覚し、

むしろ日本人の美徳を崩壊させた議論が先行します。

いわば中国人や韓国人を蔑む形です。

 

【実は日本の美徳は、世界中どこでも同じ美徳がある】

世界の殆どの国では日本と同じ美徳意識があるのです。

しかし、社会構成上、中々他人を信じれない所があって、

他人に警戒心を抱く風潮が先行しがちです。

それに比べて日本は比較的社会が安定しているところが有って、

美徳意識が理解されやすい環境なのです。

中国でも、韓国でも美徳は尊敬を集めます。

ところが日本を含めて世の中には美徳の通じない相手が

数多く存在します。

いわば相手を理解しようとしない人が居る事です。

美徳を以て相手を理解できても、

相手がこちらを理解して尊重しなければ、

相手の要求は一方的な要求のままで、

尊重できる妥協点に到達しません。

寧ろ尊重し過ぎて要求をのめば、

美徳を持った側は多くの権利を放棄する形に成ります。

相手を尊重しないのは、

立場上の優位性であり、

ルール上の優位性が齎すもので、

これらが美徳行動を阻害する要因に成ります。

 

立場上の優位性は、

全て自らの要求が通じる所で、

自分の正当性が全てで通じるところです。

故に人はこの立場上の優位性を求める訳で、

美徳の必要性を失ってしまう所でもあるのです。

 

ルール上の優位性は、

ルールの正当性に立つ側は、

ルール上の正義のみに絞り込んで、

一切の配慮を断ち切れる立場を利用します。

これは主にマイノリティが排除される場合に見られる流れで、

ルール上マイノリティの主張は聞き入れられ場合に生じます。

 

立場上の優位性と、

ルール上の優位性、

これらは政治家などが持つ特権、

経営者なら社内で持つ特権な訳で、

美徳のない人間の決定は、

そこで構成されたルールにも、

全く配慮が存在しない一方的なものと成ります。

 

【自由とは何か?】

美徳のないルールには、

一方的な尊重のみ強要され、

もう一方は全く尊重されない訳です。

本来、米国憲法にも、日本国憲法にも、

マイノリティの保護は謳われてますが、

勿論、その自由が生命や財産を脅かすものであるなら、

そこへのルールは大事です。

しかし、ルールと言うのは、

立場上の優位性を持つ人間が、

好き勝手にあらゆるものを禁止にすることが出来るのです。

故に、法律などのルールは、

適正に議論され様々な形で尊重と、

規制で生じる側への理解を以て、

最大限に配慮された形で構成されなければ成らないのです。

しかし、それには多大な労力と知恵を要する為、

殆どの人間はこれに向き合わず、

自らの趣向に従ってルール化しようとするのです。

 

自由とはお互いが美徳を意識する中で、

許される範囲が広がるものです。

 

例えるなら、イスラム教のムハマンドの肖像画の話。

イスラム教では偶像崇拝を禁止する文化がある事を理解した上で、

その肖像画が適正な表現の自由として許されるかという問題です。

キリスト教文化では表現の自由で認められますが、

イスラム教徒にとっては決して許しては成らない行為です。

尊重、理解、配慮を以て双方で議論する場合、

キリスト教文化がイスラム教文化を

侮辱する行為に成ると理解されるべきで、

表現の自由をその理由で規制することは、

逆にイスラム教文化がキリスト教文化を

侮辱っする意味に成るか?

で、考えた場合、

そこはイスラム教文化に配慮を示すべきが、

キリスト教の教えとしての

美徳が成り立つと考えるべきなのです。

 

寧ろ問題は、イスラム教文化に配慮を示さず、

その作家がイスラム教徒に狙われる事態に発展するなら、

その自由は美しい社会とは言えないという形です。

 

【国際社会における美徳】

国際社会で、国連憲章にある内政不干渉は、

尊重、理解、配慮を重視したもので、

国家運営の自由を保証するものです。

それに加えて人権保護も国連憲章に存在し、

国家の暴政に対しては禁止する点も加わります。

ただし、この境界線は難しく、

ここで語る美徳なしで議論することは、

大きな対立を産むことに繋がっていきます。

 

美徳を理解することは本来難しく、

とても繊細なものですが、

本来日本人の文化的な性質上、

世界平和に対する責任感、そして世界の調和、

更には世界の共存共栄を目的として、

考えて貰った場合、

恐らくは多くの人が理解できる回答を選択できるはず、

と、思っている。

寧ろ保守の意見が先行して、

日本の国益だとか、プ日本のライドみたいな目的で議論した場合、

ほぼ美徳とは真逆の回答になるのも事実です。

 

【何故日本文化に美徳があると言えるか…】

日本の漫画・アニメの世界観は、

基本的に美徳を意識した作品が多いです。

ジャンプの友情、努力、正義のフレーズの中に、

強敵と書いて「友」と呼ぶみたいなことや、

敵だった相手が後に味方に成るなど、

敵だから悪者と決めつける先入観は排除されます。

これは小説なども同じで、

敵にも様々な理由がある形で描かれた作品に、

日本人は親しんでいるという点です。

まあ、信長たま的には明智光秀を美化するなんて、

冗談じゃない話なのですが、

そういう謀叛人ですら美化して見ようとする姿勢は、

美徳を理解する上で大事なのかもと言えます。

 

その中で、その人間への理解力が、

日本人の中だけで留まってしまうと、

その美意識は日本だけの独りよがりで終わってしまうのです。

むしろその美意識を偏見無く

グローバルに向けて開いて見れば、

日本人が世界の規範として尊敬される立場を確立できるのです。

 

まあ、司馬遼太郎のイメージした坂本龍馬的な感じに成るけど、

日本は東西の対立軸に関わるのではなく、

その中立的立場で、国際紛争の仲介役として、

国際的な地位を確立するべき。

と、伝えておきます。

 

【安全保障も国益も愛される日本であることが最良の策】

まあ、人間嫌いな奴は殴りたくなるが、

嫌いで無ければ殴りたいとは思わない。

今の時代、領土拡大して国益に結びつける発想は、

基本的にどの国もさほど興味がないです。

ロシアもウクライナ戦争で本来困窮するはずが、

ウクライナの不安定な拡張を当てにすることなく、

ロシア本来の領土だけ中で経済成長を続けている訳です。

まあ、領土を拡大したところで、

国交問題が発生する方が不利に成ると考えるのが基本です。

 

そうした環境を前提に、嫌われる国より、

愛される国として国際社旗での立ち位置を確立する方が、

むしろ安全かつ日本のイメージアップにも貢献するのです。

 

まあ、問題はそういう国際社会に踏み込んで仲介できるだけの

優秀な政治家がいないことですが…

せめて若い世代はそういう日本を目指してほしいと思います。

 

【忠告!!高市早苗(バカビッチ)は信用しては成らない!!】

今の高市のパフォーマンスは全て、

解散総選挙によって議席数獲得するためのパフォーマンスです。

先ず、自民党は少数与党の状態です。、

積極財政を唱えて国民にアピールすることで期待感を持たせてますが、

財政を圧迫する状態で多数派の野党が何の疑念も持たずに、

それに賛同するかという話です。

勿論、高市のパフォーマンスに野党が反対して、

法案が可決できない状態と成れば、

国民は野党の妨害を批難する流れに成ります。

そこで解散総選挙になれば、

国民は間抜けなほどにバカビッチを支持して、

再び腐敗した自民党を蘇らせるだけです。

そして今度は多数与党として公約実行の段階に成ると、

自民党内での調整で色々とできない形に成って行き、

元々も軍備増強の話ばかりが先行していく流れです。

 

いわば、現状の状態で

野党側との調整が成立しない状態が続くなら、

全ては解散総選挙に向けたパフォーマ数だという事を、

日本人は見抜くべきなのdス。

これ見抜けないと、

再び腐敗した自民党に国民はまんまと騙される流れです。

 

まあ、保守的な思考の人間では、

日本を上手く機能させることは出来ないと言っておきます。

 

国際統合という話…

実はかなり良い感じで浸透しているのです。

まだまだ発展途上国は頑張ってもらわなければ成らないのですが、

現代化した国はかなり増えてきて、

彼らの生活も大分良くなってきたようです。

そして世界はインターネットで繋がり、

グローバルなコミュニケーションも浸透しているのです。

アメリカにはアメリカの文化で魅了せよと伝え、

ネットフリックスなどの普及もあって、

更には音楽やスポーツも盛り上がり、

世界が共通の文化を共有できる状態にもなりました。

 

老害たちはこうした流れを

全く理解すらしていないのでしょうね。

 

未だ戦争の話でガチャガチャいがみ合っているのは、

ある意味、時代錯誤に感じる話です。

 

そうした中で日本人はもっと積極的に、

日本人の美徳を披露して、

様々な問題を中立的な立場で考える努力をしてほしい。

皆さんが読む、漫画やアニメ、小説の様に、

ウクライナにも、ロシアにもそれぞれ譲れない事情が存在し、

それを理解した上で、戦争をどう止めるか、

もっとそういう形の議論をして欲しいです。

ロシアを悪者扱いしたり、

日本が当事国になるが、

中国を悪者扱いするだけで、

馬鹿にしてみたりする程度の低い見識は、

恥ずかしいと考えて見て欲しい。

 

中国に媚びる必要は無いし、

米国に媚びる必要ない。

その中で日本は美徳を以て威厳を示すべきなのです。

勿論、ウクライナの話にしても、

国際問題は簡単には解決しません。

しかし、双方の言い分を聞き入れて理解できなければ、

仲介する大仕事は出来るわけがないのです。

 

トランプマンが頑張って挑戦してるけど、

それでも難しいのは…

ウクライナ国民の本心が聞けていないから。

ウクライナの人々は本当に領土奪還まで戦い続けたいのか?

それとももうこんな戦争を終わらせて

平穏な生活を取り戻したいのか?

先ずは選挙と言う形で問う所から始めるべき。

恐らくそういう流れでの一時休戦なら、

ロシアも受け入れる可能性は高いと言えます。

なぜならゼレンスキーが交渉相手で無くなる可能性が有るから。

その上でウクライナ国民が何を選択するか、

それを先ず見極めなければ、

戦争の見通しを示せないわけです。

戦争の見通しとは、

仮にウクライナ国民が戦い続ける選択肢を示したなら、

ロシアがどれだけ攻撃しても、

ウクライナ国民の戦意は削げない事を知り、

ロシアもこの戦争の泥沼化は

覚悟しなければ成らない事態で見極めれるわけです。

そうなると…ロシアにも疲れ果てるまでやるのか、

もしくは多少の譲歩は覚悟するかの話で、

和平交渉がすこしは進展する可能性も見えてくるのです。

何にせよ世論調査とか信ぴょう性の薄い報告は要らないので、

選挙と言う形の本音を先ず聞きたいです。