中二病は演じて遊ぶものなのだよ!! | ショーエイのアタックまんがーワン

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タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

どうも・・・ショーエイです。

基本的には

人は恥じらいを持つ生き物だというのは理解します。

人前で歌ったり踊ったり。

歌うのもカラオケボックスではなく

大衆を前にしたステージの話ですが・・・

大半の人は恥ずかしがりますよね。

 

ある意味、芸能人というのは

そういう恥じらいを通り越して活動をしているものなのです。

 

海外では人前で踊るのが当たり前な国もあります。

南米なんてそういう風潮ありますよね。

 

逆に日本では

人前で格好よくクールにする人って多いです。

感情を出さないタイプですね。

喜怒哀楽でいうなれば、

喜怒を出さないタイプです。

かつてハリウッドでもそんな感じのが人気があったのですが、

2000年を境に風潮が変化したのです。

 

人前で自分をさらけ出せないタイプは、

寧ろシャイいわば恥ずかしがり屋でダサいという感じです。

でも日本人は未だこの手の人が多いです。

トランプの様に感情をさらけ出すタイプでも、

ある一定の人気を得て大統領に成れてしまう。

まあ…いろいろ問題はありますが…

もう一方のバイデンは寧ろ自分を曝け出せない

恥ずかしいタイプの人間です。

なので歴代大統領としてトランプ同様に支持率が低い。

 

まあ、バイデンvsトランプの構図は、

偽善者vs傲慢なので、

どちらも相応しくないという感じなのに…

どうにもこの両候補以外が表に出られないようです。

 

さて、本題に戻して…

自分を曝け出せないタイプは、

偽善者に見えてしまうのです。

ただし、人へのリスペクトを

ちゃんと持っている人は言葉に限らず、

私生活の態度や姿勢で表現されます。

「中二病」とも「厨二病」とも言うそうですが、

ある意味、ちょっと幼稚な表現をする人を

そういう括りしてます、

最近見かけた記事では、

織田信長は厨二病だったという内容もあるわけですが、

ぶっちゃけた話、そうです。

ところが…一般的に勘違いされているというより、

日本だけなのかな…

思春期特有の幼稚な発想としているのは。

ただし、実はこれ

エンターテインメント的には天才肌なのです。

 

よく考えてみてください…

ファンタジー小説、

「ロード・オブ・ザ・リング」にしても

「指輪物語」にしても、

「スターウォーズ」から「ガンダム」に至っても、

そういう妄想が小説や映画となっているわけです。

そしてこれらが世の中に出回っているわけで、

これらに多くの人が虜にわけです。

アニメや漫画の作家なんて、

こういう妄想をフルに活用して作品を作っているのです、

作品が認知された人は「厨二病」じゃないという話も、

ちょっと精神学としての論理では破綻した意味になります。

逆に作家がファンタジー作品の登場人物として、

「タピオカ大好き」さんや、「N347RFT」さんみたいな

登場人物で作品を書く方がいいのか?

まあ、ある意味そういうあだ名として使うのは、

ちょっと面白いとも言えますが…

 

日本人が馬鹿にしている「厨二病」は、

むしろアニメや漫画の虜になっている

日本人そのものを馬鹿にしている表現でもあるのです。

そして自分が寧ろそういう幼稚な妄想癖が好きな

「厨二病」ではないと割り切るために、

それを否定する行動に出ているだけなのです。

逆に本当に

こういうファンタジーや妄想に興味のない人も居ます。

でもこういう人たちで適正なリスペクトを持っていて、

尚且つ自由社会の構造を理解している人は、

ここに「表現の自由」という形で尊重を与えます。

反対に興味のない人で「幼稚」と本当に馬鹿にする人は、

遊び心のない「馬鹿」と言っておきます。

まあ、「馬鹿」というのは彼らに解りやすいようにいえば、

その故事の通り、「馬と鹿」で、

長いものに巻かれて生きているだけの

人間といっておきます。

下手したら金と性欲にまみれた動物といってもいいかもです。

 

遊び心とは心の余裕です。

例えるならロボットアニメに興味はないけど、

人気のあるロボットアニメに対して、

そういうのが好きな人も居るんだという感じで理解します。

研究が好きな人は、その研究に没頭します。

その没頭する部分や、気晴らしでやる趣味、

そういう事が人それぞれで異なることも理解し、

それに対して尊重します。

 

【恥ずかしいネットゲーム上で】

恥ずかしいネットゲーム上でとは、

趣味で割り切れる人には恥ずかしいことはありません。

しかし、自己顕示欲で

誰かを見下すことで保とうとする人には、

ネットゲームはその人が見下す恥ずかしい遊びです。

なぜならその世界に入り込んでいる時点で、

その人は妄想の世界に浸りたい人間なのだから。

その中で同じように

妄想の世界で自分を曝け出して遊ぶ人を見て、

恥ずかしい人と考えてしまう人の方が

寧ろ恥ずかしい人なのです。

 

ネットゲームのネーミングで、

「タピオカ大好き」だとか、

アカウントのメールアドレスみたいな、

「N3569fD」などという感じでプレイする人が居ます。

まあ、名前を決めるのが面倒な人も居るし、

人に覚えられやすいようにと考えている人も多いですが、

「ルーカス・スレイダー」とか

何だか雰囲気のある名前にすると

恥ずかしいという人も居ます。

これは日本に限った話ではないです。

でも、世界観の雰囲気的には、

みんなが「厨二病」っぽい感じで

名前を付けてもいいのにとも思うのです。

まあ、あまり気にはしないですが。

 

ある意味、オッサン先生は、

「織田信長」と付けるより、

「De Arca」=デアルカと付ける感じで妄想してますが。

そう大河ドラマでの信長のセリフ、

「で、あるか」

から文字って、

魔王De Arcaって格好良くない的なノリで使ってます。

ただ…ネット上では、

没入感的に女の子のキャラの方が雰囲気出るので、

メインは自由の女神から文字って「Liba」にしてたりもするのです。

 

女の子のキャラを使っているから

ネカマ=ネットオカマではないのです。

また、単に没入感という意味で、

女の子のキャラを使って

小説の主人公の様に遊ぶ意味でないのです。

男女両方で遊んでいた感じで、

一切ネット上で恋愛的な思考を排除した場合、

女性キャラで女子トークできる方が楽なのです。

ネカマではないので

男性キャラに甘えるような仕草もしません。

男性キャラではないので、

女性キャラ相手に格好つけるような感じにも成らないです。

 

小説的な思考が先行してキャラを演じると、

男性キャラをメインにすると、

ある程度威厳的な部分を持たせたくなってしまいます。

逆に女性キャラなら

猫の様に自由気ままな感じで演じられる。

別に男性キャラでもそういう感じにもと思うのですが、

大事にしていた猫が気丈なメス猫だったこともあってか、

自己の深層心理の中に、

自由気ままな猫の様な姿に、

その猫を投影しているのかもと思うのです。

 

まあ、いろいろな事情があるのだろうが、

あまり深く考えず、女性キャラで遊んでいる方が、

何だか気楽という感じです。

そういう事情もあって配信中はネコキャラに徹する意味で、

ヴォイス・チェンジャーを使ってやっているのです。

 

実は配信中などは

もっと厨二病っぽいキャラを演じたいのですが、

中々いい感じで演じるのは難しいのです。

どこかにまだ恥じらいを感じている部分があるせいか、

まだまだ未熟といった感じで、

現在修行中です。

 

こうして厨二病を演出で考える側からすると、

厨二病に限らずそういう個性的なキャラクターを

台本無しに演じきれる人がうらやましいです。

逆に特にネットゲーマーに多いのですが、

こういうキャラを見かけて

人を楽しませるまたは興味を惹かせる演出と知らず、

本気で馬鹿にしている人を見ると、

寧ろその人が哀れに見えてきます。

実際に厨二病を演じている人の精神年齢が

中二レベルなのではなく

それを見て馬鹿にしている人の精神年齢が、

中二で止まっているという事に、

そろそろ社会も気づいた方がいいのではないでしょうか。

 

まあ、ゲームにハマること事態が幼稚なことなので、

そこで遊んでいる時点で大人や子供は関係なく、

寧ろ割り切って

子供になったつもりで遊ぶ方がいいとも言えます。

と、は言え、何にせよゲームの遊び方次第なんです。

 

ネトゲやビデオゲームの話に限らず、

現実的にはビジネスもゲームであり、

政治もゲームとも言います。

ただ単に仮想現実を動かしているのか、

現実を動かしているのかの違いなだけです。

スポーツも試合をゲームと言いますよね。

 

まあビジネスの世界はともかく、

もう戦国時代の様な群雄割拠の時代ではないだから、

政治ゲームだけは止めてほしいですね。

ウクライナの問題なんてその煽りで発生したようなもの。

NATOという軍事同盟の拡大なんて不要なものなのに。

いわば結果としてNATO関係なく日本なども含めて、

ウクライナに支援しているわけです。

寧ろNATOという軍事同盟の拡大を問題視して、

ロシア側が戦争仕掛ける大義にできているわけで、

その大義が無ければ戦争の意義はないというのが現実です。

 

一部の戦略ゲーム感覚の幼稚な政治家が、

ゲームの支配者になるのを目指して

遊んでいるような状態なわけで、

それで上辺だけで民主制を唱えている。

 

民主制=対話であるべきで、

賛成票を稼ぐためのゲームではないのです。

ちゃんと社会的な問題を議論して、

平和的かつ安定的な解決策を決定するのではなく、

研究していくものなのです。

科学の世界では、定説を導き出すまでに、

仮説を用意して何度も反論と検証を繰り返し、

新たな仮説へすすんだり実証を経ることで、

やっと結論に至るのです。

政治で語られる法案のほとんどが、

科学的には仮説レベルでしかないのに、

その仮説レベルの案件を評決で決めているだけなのです。

幼稚なゲームに没頭する政治家は、

この評決を稼ぐゲームをしているだけなのです。

 

オランダのハーグ国際裁判所は何をしたのか?

ロシアは敵国だから簡単に戦争犯罪で処理したにも関わらず、

イスラエルに対しては何もしていない。

明らかにゲーム上の都合で、

公平性は全くないわけです。

 

こんな理不尽なゲームに憤りを感じる人も多いわけで、

ではこの理不尽なゲームに終止符を打つには?

平和的に抗う事が許されないのだから、

ここで破壊的なゲームで挑むしかなくなるのです。

いわばゲームの連鎖がゲームを呼び起こすだけなのです。

 

戦略ゲームと言うフィールドを断ち切るために、

経済ゲームと言うフィールドが台頭し始めたのに、

そのフィールドで不利になりかけると、

再び戦略ゲームを用いて相手を脅かす。

正直な話、神様目線で言うつもりはないけど、

傍から地球を見ると、

人類ってアホなのかと思う感じです。

いや寧ろ科学的な思考で考えられない幼稚なゲーマーを

権力の中枢に居座らせていることが問題なのかもしれない。

ただ…科学的な思考を持つ人たちは、

権力にしがみつくゲーマーとでは話が合わないので、

彼らと仕事をする気にもならない為、

そういう世界には入らないのも事実なのでしょう。

 

こんな腐敗した理不尽な政治が続く中では、

この腐敗をすべて消し去る

独裁的な英雄が求められる時代が来るのかもしれないです。