発想の転換 ゲーム制作から考える | ショーエイのアタックまんがーワン

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タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

どうも…ショーエイです。

最近はすべての事をさぼってる感じで、

ブログの更新も久しぶりです。

Youtubeの配信用にゲームを探しているのですが、

どれも今一パッとしないです。

 

まあ、本来は人気のあるゲームに乗っかるのが

一番無難なのですが、

どれも新鮮味を感じないので、

気分が乗らないといったところです。

 

まずゲーム制作は

大変な作業だということは伝えておきます。

当ブログでもCG制作したりしてるので、

その面倒くささは十分にわかります。

ある意味、「もうこれで勘弁して」という部分で

疲れ果ててしまうようなものです。

 

とは言え企業で何十人、

何百人が作業に従事する作品は

そこを乗り越えられる

英知の集まりだという事は言っておきます

むしろそれで個人作業で抱える弱音を吐くなら、

脆弱すぎる会社でしかないと言えます。

 

さて今回の発想の転換の話は、

寧ろ日々苦労しているプログラマーさんたちの話ではなく、

ゲームプランナーでありプロデゥーサーの話です。

彼らの葛藤は「売れるもの」を作ることです。

逆にどれだけ有能なプログラマーを擁していても、

その上のここの人間がダメだと、

いい作品は生まれないです。

 

【発想の転換の難しさ】

発想の転換は誰もが望むが、

実はアイデアを出すより、

それを実行に移す際が一番難しいのです。

なぜならオーソドックスから外れるから…

さらには人は優先順位を

中々整理して考えられないのも難しくしているところです。

 

ここ最近、僕は

アマゾンが作ったNew Worldというゲームに

再びハマっているわけですが、

皮肉な話、実は過疎っているから面白いのです。

いわば人が遊ばなくなった状態だから楽しいという事です。

 

MMORPGというオンライン接続で

ほかのプレイヤーと

同じフィールドでRPGゲームをする作品としては、

過疎る=人が居なくなる事は致命的な状態です。

しかしアニメの作品でも題材になるRPGの世界では、

高価な武具を作るのには

素材となる物を収集しなければなりません。

特にNew Worldの世界では

この素材集めが一番楽しい部分で、

もう一つ武具制作に必要な制作系のレベリングには、

素材を大量に使って無駄に武具を作ることで

上昇させていく必要があるのです。

MMORPGという他のプレイヤーも存在する世界では、

通常この素材は誰かが取れば消えてしまい、

復旧するのに暫くの時間を待たされます。

そういう中でプレイヤー同士は

素材の取り合い合戦が生じるのです。

 

オーソドックスな思考では、

この素材の奪い合いがMMOの醍醐味と考えます。

またゲームを運営する思考としても、

その素材が簡単に手に入らないから、

それに費やすプレーヤーの時間も伸びて、

長期的な運営に寄与するという形で考えます。

 

こうした中、素材集めに必死なプレイヤーは、

取った素材が復旧する場所に張り込んで、

ずっと同じ場所で

目的の素材をとり続けるという行動にでます。

正直、僕も以前はよくやりました。

脇でテレビや動画を見ながら、

素材が復活するのを待つわけですが…

 

傍から見て…そんな遊び方のなにが楽しいのか?

 

という事も必死なので考えずに没頭します。

いわばここではMMO特有の競争心理を煽って、

ゲームに没頭させる状態に嵌め込まれているのです。

 

一見これで

上手くゲームが成り立つようにみえる論理ですが、

実は大きな見落としがあるのです。

それは摩耗心理です。

必死になって競争心理の中でやってきた

いわばゲームとして楽しくもない作業、

ある程度の目標に達すると

一気に疲労感に変わるという現象です。

これ勉強と一緒ですね。

 

受験勉強で必死になって頑張って、

有名大学に入って就職したら、

勉強なんてやる気なくすのと同じです。

 

しかも楽しいはずのゲームの中で、

こんな世界観を与えていたら

プレイヤーは嫌気が差すのも当然です。

 

とは言うものの・・・

オーソドックスな思考の

「競争心を煽る」

部分を排除するという事になると…

果たしてそれが正しいのかどうか…

何気に問題点は理解できても

そういう心理が働くわけです。

 

これをごく一般的に、

有能無能に限らずのはなしですが、

ネガティブな情報に対して、

 

「そういう矛盾は分かっているが、

そんなに簡単な話ではない。」

 

として実は何も思考せずに

オーソドックな流れにしがみつくのです。

そして摩耗心理は無視して、

さらなる競争心理を与える発想で、

より達成が難しくなる

更に上位の目標を設定するという流れに向かうわけです。

 

これが一般的なのは・・・

どのゲームも同じ方向で処理しているわけで、

結局は全てが似たり寄ったりになるわけです。

いわばプレイヤーの大半が飽きてしまう要素を

排除できない状態となるのです。

 

まあ、「何も考えていない」

とまで言い切りますが、

結局はこういう程度で思考が止まるため、

こうしたオーソドックスな流れは排除できないものと、

割り切ってしまうのがオチでもあるわけです。

 

もちろんそうした中でも、

世界観を広げること、

いわば新しい地域など

コンテンツを増やしていくことで、

プレイヤーの興味を維持する努力も

惜しまないで頑張ってますが、

その成功例はごく一部でしかないのも事実です。

 

ある意味、韓国の会社Pearl Abysseが生み出した、

「黒い砂漠」というMMORPGがありますが、

馬に乗って騎馬戦もdきるし、船にも乗れる、

海にも潜れる。

貿易もできるし、農業生産もできる。

それだけ充実したコンテンツなら、

飽きても偶に戻って遊んでみたくもなりますが、

そこには他のゲームにはない特別感があるからなのです。

もし他にこの「黒い砂漠」と

同レベルのコンテンツで遊べるものが存在するなら、

恐らくは「黒い砂漠」には二度と戻らなくなくなることも言えます。

 

【オーソドックスは安易で凡夫の思考】

ここではスポーツゲーム、サッカーを題材に話します。

サッカーゲームでよくある葛藤、

メッシ選手やネイマール選手の様に、

機敏に動ける攻撃型選手を作ると、

ゲーム的にその動きを

ディフェンスが止められない現象が発生します。

ゲーム会社はこれをバランス調整という

オーソドックスな方法で対処するわけです。

いわばその選手の動きをんすこし鈍くしたり、

ドリブルのスピードを落としたりして、

ディフェンス側が守れるようにバランスで調整するわけです。

ところがプレイヤー側からすると動きが鈍くなったり、

スピードが落ちると操作性が変化してしまい、

ゲームとしての面白みが薄れるのです。

 

では実際のスポーツではと考えてみましょう。

実際のスポーツでは

選手の体調によって変化することはありますが、

基本、メッシ選手のドリブルは切れ切れです。

ディフェンス陣はその切れ切れに対して、

ゲームのような調整で鈍らせることはできません。

無論マラドーナの時代の様に

相手選手に下剤入りの飲み物を親切な感じで手渡したり、

昔のブラジルサッカーの様に晴れているのに、

フィールドをあえて水浸しにしてプレーしたりといった

今でこそ反則扱いされそうな状態を用いれば別です。

しかし、基本的にはゲームの様にバランス調整できません。

そうした中でディフェンス側は

試行錯誤してメッシ選手のドリブルに対応するのです。

 

まずAI的な要素に近い部分では、

一人で守るのではなく、チームで守る形を作る。

いわばメッシ選手のフェイントに引っかかるのではなく、

予め見方がカバーできる方へルートを開けるなど。

 

そして個人技術的な要素では、

身体バランスの練習でフェイントに引っかかっても、

すぐにカバーに動けるようにディフェンス動作を鍛えるとか、

自分からフェイントを仕掛けて

意図的に相手が切り返す方向へ誘導するなど、

いわば駆引きの中で対処するのです。

 

バランス調整という手法では、駆引きに関係なく、

ただ単にプレイしにくい状態となり、

基本的はドリブルが使えないゲームになります。

しかし駆け引きが成立するレベルなら、

実際のサッカー同様に

ドリブルもまだ活きるゲームに留まるのです。

 

メッシ選手の実際の動きをみると、

ボールを取られないように体を反転させたり、

後ろに動いたりといった感じの動きをします。

しかし、相手ディフェンスとの駆け引きで

ゴールに向かって切り込むドリブルは

中々させてもらえない。

 

これをゲームではバランス調整で行うため、

ボールキープという駆引きすら

ドリブル側の動きを鈍らせるため、

簡単にとられてしまうような現象も発生するのです。

こうなると切れ切れのドリブルが有効な攻撃的ゲームか、

ディフェンスが強い守備的なゲームかだけになるのです。

まあ、一般的な人は

メッシ選手クラスの駆け引きができるわけでもないので

ドリブルがしやすいか、

やりにくいかしか感じないかもしれませんが、

動きが鈍くなったという感覚は共有できます。

 

コナミ社のサッカーゲームは

動きを鈍くすることでゲーム難易度を守備的に調整して、

むしろゲームの機敏性がもたらす爽快感を

喪失させてしまったわけです。

 

オーソドックスな思考のだと、

それで難易度上げて何か問題でも?

と言うでしょう。

寧ろプレイヤーは難易度の高さを求めるのでは?

とも言って、その調整の仕方を肯定するでしょうが…

 

どのゲームプレイヤーも

機敏性の爽快感を優先する思考は無視してはならないのです。

FPS(フレーム/セカンド)…

シューティングゲームのFPSではないほうですが、

このFPSを気にする人は多いわけで、

この数値=1秒間に発生するフレーム数が多ければ多いほど、

ゲーム上の機敏性は向上するわけです。

誰もが快適な機敏性の元で遊びたいという感じです。

その機敏性を落として難易度を上げているのなら、

それは寧ろ制作側の理不尽な調整とも言えます。

 

これがどういう理不尽かというと、

本来20代の身体能力で動けた状態が、

調整によって突然老化して

スポーツ選手としては引退前の40代

下手したら突然70代の反応に

変化した感じになると説明すればいいかと思います。

 

こういう例えで言えば、

この機敏性を鈍らせる調整が

いかに腹立たしいと感じるかがわかると思います。

 

いままでこうした調整は「難易度調整」という形で、

一般的には気にされなかったところですが、

「老化調整」という形で伝えたなら、

いかに下らない調整かご理解いただけるかと思います。

 

【発想の転換は優先順位の整理】

ここまで発想の転換の支障である

オーソドックス思考を打開するには、

実は優先順位を適切に整理する事なのです。

 

まずゲーム運営の中で危惧する点は、

プレイヤー数の減少です。

 

オーソドックス思考では

プレイヤー数の減少は「ゲームへの飽き」を

優先順位のトップとして片づけてしまいます。

なので簡単に「飽きさせない」ために、

新しいコンテンツを用いるという思考で進みます。

オーソドックスの優先順位は

飽きさせないために新しいコンテンツを作っていくなのです。

 

勿論、新しいコンテンツを作っていくことは大事なことです。

しかし新しいコンテンツを作っても

飽きられてしまう要素を排除できなければ、

そのコンテンツの消化は早まります。

MMORPGでは1年単位で

新しいコンテンツを出す感じが主流です。

確かに充実したコンテンツを作るのに

時間を要するのは仕方ないことです。

しかし、この1年かけて作ったコンテンツは

早くて1っか月、長くて3か月程度で消化されてしまいます。

飽きられる要素が排除できていないと、

この時点で残りの9か月以上は戦えないのです。

また延命のために達成に時間を要するコンテンツにしても、

結果、飽きられる状態では

逆に消化というより摩耗が早まります。

現状の「黒い砂漠」は充実したコンテンツにも限らず、

寧ろプレイヤーが疲れて摩耗する要素が

多すぎるのが実情です。

 

なので優先順位の最上位は、

飽きる要素の排除です。

 

逆にこの飽きる要素を上手く考慮して構成しているのが、

ESOことベセスダ社のエルダーズ・スクロール・オンラインです。

まあ、最近は全くやっていないですが…

ゲームを離れても

戻って遊びやすい形で構成されている点です。

そしてそういうプレイヤーがお金を上手く落とすように、

ビジネス的にも上手い手法です。

ただしゲーム性としては古く限界に達して、

新コンテンツの魅力が薄れる状態にあります。

 

ここからは過疎ったNew Worldを題材に説明します。

 

ゲームに飽きる要素の一つは没入感の欠落です。

この没入感は今後のメタヴァース構築の中でも

重大なポイントになってきます。

ただ単にゲームに没頭できる要素とは異なります。

今までの没入感はここを考えられてきたわけですが、

没入する心理を発想転換して、

現実社会で生きる要素を参考に考えるのです。

人間が何かに没頭する要素は、衣食住に関わるところで、

良い服を着て、良いもの食べて、素敵な家に住む。

そしてその総括がそれを満たすためのお金です。

まあ、娯楽だとか愛だとかそれ以外にもありますが、

先ずは衣食住です。

娯楽は寧ろ暇を潰す要素で、

ゲームを遊んでいる状態で満たされます。

愛は人間関係なので、

寧ろMMOならば基本チャットなどで構築していくものです。

勿論ゲームのコンテンツとしてストーリーラインであり、

ゲーム構成で愛を感じさせる内容にすることはできますが、

意外と人によっては孤独に生きたい人も居るので、

さほど重要視するところではないと言えます。

 

そういう意味で没入感の要素は衣食住が基本です。

ただ衣食住が存在しても、

生きる意味での機能を伴わないと

没入感を齎さないのも事実です。

食事をする必要性がないのに食べる作業をするのは

むしろ無意味で邪魔でしかないものです。

MMORPGなどのゲームでは

基本「バフ」という一定時間のパワーアップ要素を用いて

食事の意義を与えてます。

サバイバル要素が加わると空腹が発生する感じになります。

モンスターハンターというゲームなどには

空腹状態が存在する感じだと思います。

ただし、基本同じ食べ物に同じバフがあるため、

食事は偏る感じになるわけですが…

まあ、その辺まで拘ってプログラミングすると、

メタヴァースのベース世界になれそうなレベルです。

またポーションを作るなども食の分野に該当します。

それでもこうした「食」としての消耗品を必要とする中では、

それを作る工程も生まれ、

それを販売するというビジネスも生まれるわけです。

この作業で食を満たす、

または商売するというゲーム性が、

生活的な没入感を生むわけです。

 

衣服に関してはMMORPGなどだと、きほん装備品。

武具やアクセサリーの生産となります。

更にはスタイルやファッションに寄与する意味として、

ゲームのデザインであり、アクションの動作まで、

実はここに該当するのです。

 

住に関しての家の部分は飾りが多いのですが、

町全体の機能であり構成も含まれます。

New Worldでは家の機能として

町の倉庫の重量が増えたり、

生産の際にバフがつくなどの効果で意義を持たせています。

しかし、町の機能としては工場としての機能しかなく、

そこで生活を営む充実感や活気は全くないため、

その世界で生活している没入感は全くありません。

 

実はこうした衣食住の環境で最上位の物を目指して、

技術を上げ、材料を揃えて生産していく過程が、

ゲームに没入していける醍醐味なのです。

マインクラフトが人気なのは

こういう要素が濃いからかも知れません。

New Worldではサバイバル要素は薄いものの、

まだ衣と食に関する没入感はあるわけですが、

「黒い砂漠」では「衣」の根幹であるコンテンツに

装備品を生産する要素が全くないため

その部分で没入感が薄れるゲームといってもいいです。

逆に住の部分の欠落が

New Worldの没入感がそがれる部分です。

没入感という部分で

この住の項目は不要な感じで扱われがちです。

確かにモンスターを狩りに行くことが

ゲームの趣旨として考えると、

町の機能は物を作れて売れればいいだけに感じます。

ただ、それだとモンスターハンターと一緒で、

別に町は要らないとも言えます。

ただし、モンスターハンターにはそういう部分がないので、

僕の様にプレイしないという人も居ます。

ただ単にモンスターを狩って武器を生産するだけでも、

楽しめるといえば楽しめますが、

もっと充実した世界観の中で

そういう楽しみを享受したいというのが、

願望の果てにあるわけです。

 

没入感とはその世界に住んでいるという錯覚です。

町に対する没入感は、旅行をする感覚であり、

生活する場としての充実感です。

田舎風の町が好きな人、海に面した港町が好きな人、

活気ある大都市が好きな人。

機能とは別に自分の好きな場所で生活しているという没入感が、

最終的にそのゲームの思い出に残るのです。

その思い出の地に戻るという感覚が、

意外とゲームに戻る要素にもつながる部分で、

こうした切っ掛けがコンテンツに多く存在するか否かで、

最終的にはプレイ人口に反映されるわけです。

 

まずこうして衣食住の充実性に欠落がないかを見直さなければ、

より充実感であり没入感のある他のゲームに

人は流れていくのです。

これらは寧ろメタヴァースを構築する上では欠かせない要素で、

メタヴァースの世界観で言うと

全てが完全に補えて初めて成功するものなのです。

 

作品に没入感があるかで見ようとするのではなく、

発想の転換では没入感がそがれる部分を見出して、

そこを補填していく発想になるのです。

そしてこの没入感の部分だけでも改善されると、

人はいつでも戻りたくなる世界になると言えます。

 

ゲームのデザイン性も含めた「衣」の部分が満たされると、

人はまた遊んでみたくなる。

※コンテンツとしては装備品の獲得性、

ゲーム性としてキャラクターデザインでありアクションの構成

を「衣」の部分とします。

 

コンテンツの量ともいうべき「食」の部分が満たされると、

いつでも遊べる要素を感じられる。

※コンテンツとしては食べ物やポーションの必要性。

ゲーム性としてはコンテンツの充実度。

 

風情の「住」が満たされた世界なら、

人はまた訪れたくなる。

※コンテンツとしては町や家、宿屋などの機能性。

ゲーム性としてはゲーム風景の美観や活気など。

 

コンテンツ部分とゲーム性で分類した6項目の衣食住が、

全て満たされる状態が理想であることは

誰もが解ることだと思います。

この誰もが解る理想を制作側は最優先で考えないから、

どこか欠落させてプレイヤーを飽きさせるのです。

 

 

次の優先順位は快適感です。

ゲームは娯楽です。

MMOという他のプレイヤーと競合する世界では、

素材などのアイテムは取り合いになります。

寧ろそれが嫌ならMMOではない、

いわばソロゲーム(一人で遊ぶゲーム)の

RPGをやれという発想になります。

正直なところゲームとしては

MMOではない方が没頭して遊べます。

しかし、ほかのプレイヤーと共同で遊ぶコンテンツであり、

またはPvPコンテンツがないから物足りなく感じるのも事実です。

現状、NewWorldはMMOですが過疎っている状態で、

むしろ素材は取り放題状態です。

自分のペースで遊べて、

ほぼほしい素材は確実に手に入ります。

偶にマップ上をいろいろと歩き回って、

新しい素材の場所を偶然発見したりという楽しみもあります。

ソロゲームの要素として充実している感じです。

実はこれが一番快適に遊べる状態なのだから、

素材取得を競合しないほうが良いのではと感じるわけです。

競合状態にあっては、

逆にプレイ人口が増えるとこの快適さはなくなります。

単純に考えると、

素材取り放題な状態だとすぐに満足してしまうのでは、

と考えてしまいがちです。

ところが人数の多い時期で素材が取りにくい状態だと、

寧ろレベル上げるの面倒くさいとなるだけだったのです。

 

それでゲームを離れてしまう。

反対に人数が増えても快適な状態で遊べるようにしたほうが、

プレイヤーが離れが少ない状態になると言えます。

 

現状のMMOの環境は原始時代と同じで、

限られた自然を奪い合う形。

人間はそこから農業という栽培を取得して、

共存社会へと発展した。

MMOの発想も栽培の発展同様に、

奪い合う形から安定して収穫できる状態に

転換して考える方がいいと言えます。

 

人間の心理としていつでも集められると思うと、

安心感が生まれて他のコンテンツもストレスなく遊べます。

しかし、中々集められないストレスで、

仕方なしに他のコンテンツに手を付けると、

一方のストレスから快適感は半減します。

没入感という意味と同様に、

人間は集中して作業できる方が快適なのです。

邪魔が入る状態より、

その存在がj間にならない状態の方がいいという点を

考えて構成するべきなのです。

黒い砂漠でも狩りの際に

他のプレイヤーと競合しない空間までコンテンツとして

作ったわけです。

こうした快適性を考えることはプレイヤーを維持する意味では

大事といってもいいのです。

 

3番目に来るのがゲームの特徴と目的の把握です。

本来一番大事なところの様ですが、

実はこれを一番目に持ってくるから、

飽きる要素の排除であり、快適性の構築に支障を来すのです。

いわばエンドコンテンツを定めるという話ですが…

MMORPGのエンドコンテンツとしては

最上位武具の獲得がほぼ主流になります。

そしてその優位性からPvPでブイブイ言わせたい。

まあ、こんなところがプレイヤーが望むエンドなのです。

 

ところが最上位武器を素材集めで作る場合、

制作側はどうしても素材が集めにくい状態が望ましいと

考えてしまうのです。

そうなると自然快適性の部分は相反する要素となります。

いわば最上位武器を簡単に作らせないようにした方が、

プレイヤーは長くプレイするだろうと…

では、これを3番目、いわば快適性の下に持ってきた場合、

考え方は少し変わってきます。

快適性で必要な基本素材は集めやすい状態で、

最上位武器への道のりをどう構築するか?

ここで発想の転換です。

色々な素材が集めにくい状態の心理と、

あと2つか3つ手に入ればという状態の心理。

いわば色々な素材を苦労して集めなければいけに状態は、

かなり疲れます。

でも、あと2つか3つだと何とか頑張る気になるものです。

意外とこれ一般的に共通した感覚だと思うのです。

 

そしてその素材を手に入れるにはという難易度で、

ゲームの構成を考えていくと、

ランダムな確率の運任せだと快適性が削がれる事にも気づきます。

なので難易度の高いグループダンジョンの

達成報酬にしたらという形に考えるか、

なにか達成感のある形がいいという発想に切り替えられる。

 

プレイヤーの快適性を優先順位上位に持ってくると、

例えばレアな素材を採取するのに

その素材が競合しない状態なら

何人かのグループで取りに行く発想も考え付くわけで、

ただ単にレアな武器を求めてダンジョンを攻略しに行くより、

より意義のある形の攻略にも結び付けられるのです。

 

オーソドックスな形で固執して考えるから、

よりプレイヤーが楽しめる新しい環境が生まれないわけで、

結果としてマンネリした同じ類似品が

市場に横行するだけなのです。

 

さてこの発想の転換の話。

ゲーム制作と運営の話で解説しましたが、

実は兵法でも同じなのです。

 

オーソドックス思考では

作戦としての目的と目標を優先して考えます。

ところが没入感という部分を最優先に持っていくと、

兵士が集中して作戦に従事するための環境が

まず第一にとなります。

十分な装備であり、十分な弾薬の補充です。

 

そしてその次が快適性という部分で、

補給路であり兵士たちの安全退路の確保、

そして安全退路への援護の整備。

 

そしてここから作戦を考えるのです。

こういう順序で考えると、

場合によっては安全退路の援軍を伏兵にして、

偽装退却と誘因などという配置も見えてきます。

 

しかも作戦を優先してないから、

むしろ状況に応じた臨機応変な配置に成ってくるのです。

「兵は詭道なり」

という言葉を最大限に考慮した形にもできるのです。

また兵の損失を少々減にする点から、

次にも繋げる形が自然と生じるのです。

 

企業経営としても

Googleの経営スタイルは

こうした優先順位の順序に近いかもしれません。

社員が集中して働ける環境の整備、

そして快適性の整備。

そしてそうした中で生まれてくるアイデアの活用。

 

優先順位を適切に整理することで

発想を臨機応変に転換できる環境になるという事です。

 

馬鹿と天才は紙一重

という言葉がありますが、

実はその通りなのです。

殆ど計算も計画も立てていない。

勝負の世界で普通の人は

作戦を立てて挑むことこそ大事と考えますが、

兵は詭道なり

勝負に於いて騙しあいが当たり前の中で、

臨機応変こそ大事と知るならば、

相手の動きを見極めてから

動くのが最良の策なのです。

ところが天才は

常にあらゆる状況に対応する形を研究し続けている。

スポーツの世界でも同じで、

相手の動きを見極めて

自分の動きを瞬発的に反応できるように鍛錬する。

サッカーでいうなれば相手がボールを奪いに足を出したら、

どこにボールを逃がせば取られないかを知っている。

それらが体で反応できるように鍛錬するのです。

メッシ選手のドリブルなんてそういう領域の話ですよね。

だから考えて動く人は、その思考が読めないのです。

 

考えながらフェイントを掛けて相手を騙そうとしても、

相手がフェイントに騙されなかったら何の効果もない。

ならば相手の動きに反応して

そこで生じる隙をつく方が確実だと悟のです。

ある意味チートっぽい思考なんですが、

これも発想の転換の賜物なのです。

 

ゲーム制作の話で理想といいましたが、

その理想とは究極の世界で

メッシ選手のドリブルの様に、

絶対の領域なのです。

その絶対の領域は発想を転換することで見えてくるもので

その領域への鍛錬であり挑戦こそ、

到達可能なところなのです。

理想で終わってしまうのは、

先ずはその世界が見えていないこと、

そしてそこへの道筋が見えないで終わること。

寧ろそこへの道筋を探っても見えないわけで、

その道筋へ向かうには

何が必要かを探るべきなのかもしれません。

大航海時代の新大陸発見同様に、

地球は円いという理論を信じて

必要なものを揃えて確実に到達できるように出航すれば、

新大陸に知らないうちに到達してしまうのと同じなのかも。

 

とりあえず現状過疎っているゲームの

さらに過疎っているサーバーで遊んでいますが、

何とも実に楽しい。

本来ならばもっと人気が出て、

多くのプレイヤーが参加してほしいと願うのですが、

ゲームの内容がないようなだけに、

皮肉にも人がいない方がいいのです。

 

これだけ人が居ないで素材取り放題なんですが、

何とも全く満足いくほど素材は溜まってこない。

ある意味、クラフトなどのレベル上げに

必要量が多すぎると思うのです。

これで人が多くいる状態だと、

逆に気が遠くなって萎えるはなしでもあります。

 

多分、制作しているアマゾン・ゲームズのスタッフ

誰一人気づいていないことだけど、

実はこのゲームの構成上

素材の貯蓄心理を煽る内容になっているのです。

いわば上位素材と上位素材を掛け合わせることで、

更に上の最上位素材に転換できるわけで、

それが一日に限定数しか作れないようにしている点。

ゲーム制作者としてはその最上位素材で作る

武器防具の制作難易度を上げる目的で考えたのだろうけど

寧ろプレイヤーとしては、

安定的に毎日

最上位素材を作れるストックが欲しいという心理が働くわけです。

別段、そこまで

その最上位素材が必要というわけではないかも知れませんが、

お金と一緒であればあるだけ確保しておきたい。

 

ゲーム制作者の思考では、

エンドコンテンツとしてダンジョンやらPvPを考えているようですが、

実はそんなものより素材を集めて貯蓄するのが

エンドコンテンツに感じているのです。

また、上位の素材集めの効率を求めて

高難度のエリアにも行きますが、

ソロで行くような場所でないので、

コソコソしながら素材を採るのがまた楽しい。

よく敵に見つかって戦闘にもなりますが、

殆ど死にます。または上手く走って逃げるか。

ただ、過疎ってて誰かが先に素材を採ってしまうことはないから、

無駄足にならないので、

死にながらも何度も挑む楽しみが成立するのです。

場所によっては敵を何とか倒せる場所もありますが、

下手に3人以上を相手に戦うと厳しくなります。

まあほとんど死にます。

ただ、そういう一対一でも戦闘がスポーツ的で楽しいので、

その駆引きや、

他のMOBを巻き込まないように立ち回るところなど

かなり戦闘要素は面白いと言えます。

 

素材集めが安全な場所であることもありますが、

危険な場所にあえて取りに行く醍醐味がある分、

その素材集めだけで十分に遊べるのです。

そして過疎っているから

その危険の先にも確実に素材が手に入るわけで

寧ろ誰かに取られている状態だと、

逆に達成感がなくなって面白みは薄れると言えます。

 

こうした楽しみを本来ならもっと多くの人と共有したいのですが

ゲーム制作者がゲームプレイとして

こうした素材が誰もが確実に手に入るという

環境の重要性に気づかなければ、

皮肉な話のまま過疎っているから

楽しめるゲームでしかなくなります。

 

New Worldというゲームの特徴的な部分に気づき、

そこを上手く強調してゲームを構成していけば、

より良いゲームとして再度売り出せるのですが、

あくまでMMOという部分に拘り続けるなら、

それまでという所だと思います。

 

過疎った状態が楽しいという事を活かすか殺すかの、

発想の転換になる話です。