うつけの兵法 第二十七話「親父(おやじ)と義父(おやじ)」中編 | ショーエイのアタックまんがーワン

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【第二十七話 親父(おやじ)と義父(おやじ)】中編

桶狭間へのカウントダウン 残り13年+5

〔ドラフト版〕

 

 信秀が道三の稲葉山城を包囲した加納口の戦いは、歴史の資料上では1544年と1547年の説に分かれている。

 この2説の存在を考慮して、この尾張・越前連合と美濃の戦いは1542年から1547年まで続いた戦として取り扱うものとする。

 5年の歳月とは長い様な話だが、停戦や膠着状態が発生する状態と成れば当然の年月と言える。

 

 1543年、信秀は坂井大膳の本隊とは別に、勝幡城に自らの軍を集結させ美濃南西に当たる大垣城攻略へと向かった。

 その坂井大膳ら尾張斯波軍の本隊は、美濃の笠松と木曽川を挟んで布陣した。

 木曽川を挟んだ位置に対陣された美濃側の道三はこれに対応するべく軍を配置せねば成らなかった。現代風に表現するならロシアが国境付近で軍を集結させた状態のウクライナ側の心境に似ているだろう。

 とは言え、川を挟んでの防戦であり、更には美濃が上流を支配している点も利用して、木曽川が尾張犬山城から北に曲がっていくその北端部分からやや東に行った土田あたりに堤防を築いて、この水を堰き止めて敵の足止めを行った。ここは木曽川の北岸と南岸の可児という場所を美濃側が支配している場所に当たる。

 坂井大膳は対面する木曽川の水位が低下した事を察するや、迂闊な渡河は避けなければ成らない事態と判断した。

 その為、犬山より北上して栗栖からその東にある可児の地の攻略を優先させ、木曽川の南岸の支配を試みる。

 ところがこれを察した道三は笠松(東海道本線と名鉄名古屋本線が木曽川を渡る部分)に主力部隊を集結させて、尾張側に対抗したのだ。

 この時点で川の渡河の主導権は道三側にあるわけで、坂井大膳はここの本陣を動かせない状態で膠着した。

 いわばここを手薄にすることは道三に渡河を許してしまう事になり、尾張側の戦局は寧ろ不利に成ってくる。道三の部隊が笠松から渡ってくれば、そこから東の犬山方面に向けての侵攻を許してしまい、むしろ犬山城は東西から包囲される事態を招きかねないのだ。

 尾張本隊が可児地方の攻略で動く危険性がそこに有るわけだ。

 その為、犬山北部の栗栖と可児の攻防は、織田伊勢守家の重臣として犬山城に入っていた信秀の弟、織田信康に任せる形をとるしか無かった。

 栗栖と可児の攻防は小競り合い状態で膠着し、双方譲らぬ戦いとなった。この時可児側を守っていたのは森可行(森可成の父)で土岐の家臣である立場を取っていたという。その為、道三に対しては内心不服を抱いていたともいえる。

 とは言え、栗栖の戦況が動かない状態もあって笠松木曽川の状況も対陣したままの膠着が続いた。

 

 その笠松の状況は道三側に若干の余裕があったと言える。

 しかしそれ以外にも北から攻めてくる朝倉にも対応せねば成らなかった。

 その朝倉側は北近江を通って関ケ原から美濃に侵攻するルートを用いる事出来なかった。

 後に浅井と朝倉の同盟関係を考えると利用できそうな話だが、この時分北近江の浅井と南近江の六角で戦争していた事もあって、迂闊にその領国を通過できる状態に無かったと言える。

 その為朝倉側は、揖斐川上流で美濃北西にある徳山湖方面に山間部を通って侵入し、そのまま揖斐川を伝って南下する形を取ったと考える。その分、進軍にはかなりの時間を有した。

 揖斐川の上流から南下して、朝倉軍が攻略を目指すのは大垣の北にある揖斐城(現在の揖斐川町役場から更に上流に入った国道号線乙原交差点付近)であることを道三は想定した。

 渓谷に挟まれた要衝でもあって、朝倉への備えとしてはかなり有用な場所であった。

 またこの揖斐城を守る揖斐氏は土岐家の末裔でもあるゆえに、今回の戦で敵に寝返る可能性もあった。ゆえに道三は真っ先にこの揖斐城を攻略し、自らの手兵をここに置く形を取ったと言える。

 その為笠松の余力をその付近に差し向けたのだった。

 勿論、大垣への警戒も怠ってはいなかったが、むしろ近江の情勢を考慮して関ケ原方面からの侵攻は無いと考えた道三は、大垣より揖斐城の防衛に優先度を置き、大垣は最小限の城兵で守り向く形で考えた。

 

 さて…このころの信長こと吉法師は不思議な興味を持っていた。

 勿論史実にはのってすらいない話だが、実は信長の成長過程に於いては大事な話と成ってくる。

 いつの時代でも幼少期に抱く興味は大人になって得る趣味に直結するものが多い。

 無論、絵を描くという興味でも、何の絵を描くかでまた異なるわけで、現代風に言えばゲームをするのもどういうゲームに興味が有るかで変わってくるのだ。

 実際に子供の興味から将来性を見極めるには一般的な知識では難しい話と言えるだろう。いわば子供への先入観を無くして、その子が何に対して興味を示すかを見極めなければ成らないからだ。

 信長が後に戦略・戦術に於いて奇想天外な才能を開花させたことは言うまでもない。

 ここはそこからの逆算に成るのだが、その奇抜な軍才を開花させるのに、地の利を感覚的に理解してなければ成らないという点がポイントと成るのだ。

 多くの兵家は地の利の大事さを書物によって知りうる話だろう。

 しかし、信長は書物によってそれらを知ることはしなかった。

 それでも感覚的にその利を知り得たのは、幼少期からそういう感性を刺激する興味に触れていたからと言える。

 信秀が道三と対峙する前に吉法師に語り掛けた話は前述の通りで、その後吉法師はその戦況に興味を抱くようになったのだ。

 子供が戦隊ものの勝敗や、漫画の勝敗に興味を抱くのと同じである。しかし吉法師はただ単にどちらが優勢かでは満足しなかった。

 

 美濃での戦争が始まって間もなくのある時、政秀と沢彦が那古野城の広間で、地図を広げて戦況を話し合っていた。そこにまだ8歳か9歳の吉法師が現れて興味深くその話を聞きだしたのだ。

 沢彦たちが話し合っていたいたのは、坂井大膳と道三の笠松、犬山方面での布陣についてだ。子供にはいささか難しい。

 吉法師も良くは解っていないが、地図と白と黒の碁で配置された図柄に何となく興味を持ったのだ。

 するとそこに吉法師が興味を持ったことを察して、沢彦は吉法師に解りやすく解説し始めた。

 木曽川の堰止めで水が決壊したらどうなるか…

 それで兵士や城下はどうなるか…

 それを防ぐにはどうするか…

 また、そこで兵が動くとどういう事に成るのか…

 

 更には朝倉がどこから美濃に攻め入るか…

 そして道三はどう対処するか…

 

 地図の碁を動かしながら説明すると、吉法師は大いに喜んだ。

 

 そして大垣に父・信秀が向かう事を教えられると、吉法師は

 

「おお!!父上は大垣を攻めて道三から奪い取るのだな!!」

 

 と、理解して父を誇らしく感じるのだった。

 政秀も吉法師がこうした話に興味を示すことにその将来を少し安堵した。そしてこれからしばらく、沢彦と吉法師の為にこうした場を設けるようにしたのだった。

 勿論、吉法師が完全に内容を理解するまでには、暫くの時が掛かるのだが寧ろこうして話を聞いていくだけでその戦術眼が自然と養われていったと言えよう。

 ある意味、吉法師は地図の上にあった碁を自分なりに動かして、シミュレーションゲームでもやるかのように遊び始めたのだ。

 そうして遊ぶ内に、聞いた作戦を模倣しながら自然と感覚を養ったといえる。

 そしてこの感性が後の桶狭間でも生きてくるのだった。

 

 さて、話を尾張・越前連合と美濃の道三の戦いの話に戻そう。

 簡単に年数的な話を合わせていくと、1542年に信秀ら尾張斯波の陣営は道三に追放を受けた土岐氏からの要請を受けて軍備を執り行った。そして1543年中ごろから年末あたりで木曽川付近の尾張軍本陣や勝幡城の信秀の布陣が決まったと考える。

 信秀は勝幡城から木曽川を渡り海津(岐阜県海津市)を先ず攻略し、更には揖斐川の西部に渡って大垣の南、養老方面に進出した。

 そこから揖斐川西岸と東岸で部隊を分けて攻略しながら、大垣の包囲へと進めたと考える。

 信秀の予想通り、比較的に手薄と成っていたこともあり、1544年頭には大垣に到達したと考える。

 そして朝倉の当主朝倉孝景率いた部隊は、揖斐川上流から南下し、揖斐城で道三の部隊と対面した。

 渓谷に挟まれた山城であることから、大軍を以てしても容易に落とせる城では無い。それを考慮した上で、信秀は林秀貞を使者として朝倉に送り、大垣陥落の後、信秀軍が後方から挟み撃ちする形で攻め込む時を合わせて朝倉も揖斐城を攻略するように勧めた。

 ある意味朝倉の兵力をここで無駄に損じさせないための配慮でもある。

 無論、朝倉もその話を良策として、無駄に揖斐城を攻略しない形で待機した。

 

 道三からしてみれば信秀の大垣侵攻は可能性として想定はしていたものの、出来ればあって欲しくない事態で考えていた。

 しかし、やはり大垣が狙われた点を察するや、すぐさまこの時点で別な手を講じるしかなくなったのだ。

 有能な戦略家はこうした切り替えも早いのだ。

 道三は既に大垣は守り切れないと察していた。

 そして大垣が奪われる事は、稲葉山の経済にも影響する事態も想定せねば成らない。

 いわば京からの物資が大垣で止まる事に成るからだ。

 よってこの戦争を長期化させることは避けたいとも考えた。

 また、揖斐城の状態も大垣が陥落すれば大きく異なる。

 上流側への一方向の防衛なら耐えれるが、下流からの双方挟み撃ちとなると別である。

 そうした状況を冷静に判断して策を講じるのであった。

 

(恐らく敵は、揖斐と大垣から合流して勢いに任せて稲葉山に攻め入るな…)

 

 道三はそう考えて、むしろ敵が勢いづく形に仕向けるように策を練ったのだ。

 そして揖斐城の部隊に使者を送り、大垣陥落と共に城を捨てるように命じた。

 こうした重責ある役割に、後に名を上げる人物が任される可能性を考え、揖斐城の部隊を30歳前後だった稲葉一鉄(良通)が指揮したと伝えておこう。

 そして道三は一鉄に、

 

(揖斐の兵を解散させ、時を合わせて揖斐に集結させよ。伝達の法を設けて、山野村に潜みその時を待て)

 

 と伝えるのであった。

 いわば兵を散開させて山や野、村に潜伏させて待機するように命じたのだった。

 実際にこれだけの言葉でどうすれば良いかの判断ができるのは、相当に優秀な人物でなければ成らない。

 どれだけ総司令官が優秀であっても、その作戦の意図を察して動ける想像力のある指揮官が下に居なければ、その作戦は機能しないのだ。

 現代社会でよく見る一般的な人は、「兵を解散させて時を待て」と言われて…「えっ、どういう事?」と説明不足な点を嘲笑います。

 SNSの世界では笑い話にして済ませられる事でも、実際はその人の能力が無いから解らないだけです。

 こうした人間は決して重責につけては行けないと言っておきます。

 また、指示を与える人間は、指示を受ける人間の想像できる範囲を理解していなければ成らないのも事実です。

 道三がここで稲葉一鉄を使うという事は、稲葉一鉄という人物なら自分の指示を聞いて自分の想像と同じ形で実行できると判断したからと言える。

 逆に後に美濃3人衆と称される人物クラスで無ければ、この大事な作戦は任せられないだろうという話に成る。

 

 揖斐城で指示を受けた一鉄は、状況を精査した上で道三の言わんとするところを想像して察した。

 いわばゲリラ戦である。

 そしてそのゲリラ戦の意味は、敵の糧道をここで断つという意味も想像した。ある意味朝倉側の糧道であり退路はこの揖斐川に沿った所しかない。

 無論、道三は後に退路を断つ意味で、時を得てらから城を取り返せという意味であったが、一鉄は部隊を散り散りにするのではなく、山野に潜み、敵の糧道を断ってそのれを奪う事で兵の維持を考えたのだ。

 さらに一鉄は山野での暫くの野営を考えて、近くの山中に兵糧を秘かに移しつつ準備を始めたのだった。

 

 こうして信秀が大垣を包囲し、数週間で陥落させると、一鉄はその夜には数千の兵を率いて揖斐城から脱出した。

 そして用意した野営地に軍を潜めたのだ。

 野営地は数十か所に点々と設けて、敵に悟られない形で伏せた。

 そして信秀が予定通り揖斐城に到達し、朝倉方との挟撃でこれを攻略するや、城は既にもぬけの殻状態に成っていたのだ。

 信秀は、

 

(どうやら敵は挟撃の不利を察して早々と稲葉山の方へ引いたか…)

 

 ある意味、笠松からの本隊合流も含めて考えるなら、むしろ稲葉山に兵を集中させる可能性が高いと見て、伏兵の存在を無視したといえる。

 

 果たしてこの伏兵がどの様な効果をもたらすのか・・・

 話は後編へとつづく・・・

 

どうも…ショーエイです。

今回は適材適所という話を盛り込みました。

この適材適所、解ってはいても実は中々難しいのです。

いわば指示通りに従うと言っても、

人は中々指示通りに動いてはくれないものです。

簡単なルールやマナーなら誰も従えるのですが、

指示に関しては受ける側の経験も必要に成ります。

 

企業ではこうした指示通りの作業に

経験を積ませることで対応しているようですが、

難しい内容になれば成るほどその指示はより複雑化します。

 

この難しさは現在ロシアの行軍でよく見られる事と言っておきます。

 

実はプーチン大統領の指示と、

軍に伝わる指示が一致していない点が見受けられます。

単純に…「一般市民を攻撃するな、市民は大事にしろ」

とは伝えていたとしても、

武器を持った市民であり、

またウクライナ兵士が潜伏する建物をどう対処すれば良いか、

軍を指揮する人の判断によって異なる部分と成ります。

 

またプーチン大統領が差す市民の意味も、

親ロシア派市民だけという曲解した意味で考える人も居ます。

 

先ず人によっては成果を求められると考える人も居ます。

マリウポリならマリウポリを早く攻略せねばと考える人も居ます。

市民を直接攻撃しなければ

良いだけという判断をすることも生じます。

ある意味、プーチン大統領の意図は、

市民に対する攻撃は避けて、

極力兵糧攻めによって降伏させていくというプランだったと考えます。

しかし、現場が敵からの攻撃に応戦せざるを得なくなり、

味方に被害が出ない点を優先させ、

通常戦闘通りの爆撃と砲撃を実行した結果、

市民にも大きな被害が生じてしまったという事態です。

 

無論、指示を出したプーチン大統領も、

味方の被害の事を考えれば

そこは現場の判断を責めれないと理解したのでしょう。

 

しかし、指示を受けた側が兵糧攻めの意味を理解していたのなら、

もっと市民への被害が少ない陣容で対応したかも知れません。

 

恐らく今までロシア軍が体験もしたことのない作戦故に、

ロシア軍も混乱した状態にあった点は否めません。

またプーチン大統領自身も、

自分の存在の意味を熟知していない。

彼はカリスマであっても、

彼に従う人たちはプーチン大統領に依存し、

ある意味恐れている。

それ故に功を焦る者や、失敗を恐れる者が、

寧ろその言葉を曲解して捉えてしまうのです。

 

功を焦る者は、結果を早く示そうとして、

寧ろ人道的な配慮より都市攻略を優先してしまう。

失敗を恐れる者は、

人道的配慮より包囲の欠陥が生じる事を恐れ、

そこを寧ろ徹底してしまう。

 

そうした状態を統制するのに賞罰は徹底して、

且つ公正に行わなければ成らないのですが、

現状、この辺をロシア軍がどう対応しているかは知りません。

 

逆に米軍はこの辺を徹底している感じです。

米軍も兵士の失態は多々生じますが、

一応、そうした失態にたいしての罰則も徹底してます。

 

ロシア軍がある意味模倣するべきは、

こうした米軍の賞罰に対する姿勢で、

失態あった部分は隠さずに、

賞罰を以て対応するという姿勢を示せれば、

軍のイメージも変わってくるかも知れません。

 

逆にこうしたハイブリット戦争に於いて、

SNSの投降などで錯綜する状態に、

常時適切に対応する姿勢を示すことで、

寧ろ情報発信の信頼性は向上するとも言えます。

 

結果どれだけトップが理想的な作戦を述べたとしても、

その理想を理解し適切に指揮に反映できる指揮官が居なければ、

その部隊は混乱してしまうだけでもあるのです。

今、ロシア軍に生じているのは士気が低いという話では無く、

寧ろ作戦に対してどう扱っていいのか混乱していると言えます。

前述したように市民を撃つなとは言え、

武器を手にした市民を撃っては成らないのか、

兵士が立てこもる学校や病院はそうするのか?

そうした指示からの矛盾で、

最終的には従来通り攻撃する部隊、

一次後退して行く部隊など、

様々な形で対応している様に見えます。

 

現状、ロシア軍は一貫した統制を取る事は難しく、

部隊それぞれの方針で進む状態になると考えられます。

特に驚異的なのはマリウポリに展開する部隊で、

その部隊は容赦なく破壊を行っていくかも知れません。

 

また、キエフの攻略に関しては、

時限恐怖とでもいう形の方法も考えられます。

いわば一時的な平和の後に

再び爆撃の恐怖が襲うという事の繰り返しで、

精神的な破壊を目指す方法です。

ある意味拷問に近い方法の作戦です。

 

戦争を善悪で言っているだけの人は、

戦争の本当の怖さを知らないのです。

その戦争が発生しないようにすることが善であり、

戦争を発生させたらそれに関わる全てが悪です。

一度戦争が始まってしまえば、

双方が相手を屈服させることしか考えなくなる。

その為にはあらゆる残酷な方法も手段として用いるのです。

ポーランドやバルト三国の多くの人々は、

ロシアに勝つつもりでいるでしょうが、

その勝つまでの間の地獄は全く想像すらしていません。

米国の政治家であり、日本の政治家も同じで、

ロシアに勝てる、中国に勝てると思っているが、

勝つまでにどれだけの犠牲が生じるのか、

全く想像すらしていないのです。

長い戦火の中では、

訓練された米軍兵士ですらPTSDに掛る状態です。

そういう意味では安易に戦争を考えないでほしいです。

 

貴方は今の生活を捨てても良いと考えますか?

戦火に巻き込まれた後に、勝利したとしても、

今の生活をすぐに取り戻せると思いますか?

 

この戦争はロシアのプーチンも悪だが、

ウクライナのゼレンスキーも、

アメリカのバイデンも、ブリンケンも、

全てが悪であり、

多くの国々はこれらの戦争に関わるべきでは無いのです。

ウクライナを助ける必要もない。

ロシアを支援する必要もない。

その上で両国の和平が成立しやすいように、

中立的な立場で見守るべきなのです。

どちらかを助ければ、戦闘は終わりません。

どちらかに制裁を課せば戦争を止めません。

そういう事を少しは理解してほしい話です。

 

因みにアカデミー賞のウィル・スミスさんの平手打ち。

クリス・ロックさんの過失で

奥さんへの公然侮辱罪が成立する話です。

逆に暴力という平手打ちで事が治まってよかったのでは?

双方がその上で罪を犯して両成敗で終われるのだから。

逆に冷静な対応で、

クリス・ロックさんを公然侮辱罪で訴える方が適切なのか?

そういう形で見れば、ウィル・スミスさんの感情的な反応は、

寧ろ過失を犯したクリス・ロックさんを庇ったことにも成ります。

無論、あれが平手打ちだけで無く、

ボコボコに成るまで殴ったのなら別の問題です。

 

何でもカンデモ暴力反対という話ではなく、

相手が怪我しない程度の感情表現は、

寧ろ言葉の暴力に対する正当防衛として見なすべき話です。

逆に暴力を行わずに法廷でクリス・ロックさんを裁こうとする方が、

グロイ話に成ってきます。

逆にこれで治まったのだから、

むしろメディアは言葉の暴力に対する正当防衛として、

妥当かどうかを議論するべき話と言えます。

まあ、クリス・ロックさんもジョークのつもりが

過失となって生じた事態ゆえに、

法廷で裁かれる話より、あれで終わった事は、

寧ろ不幸中の幸いなのではとも感じる話です。