うつけの兵法 第二十二話「長槍」 | ショーエイのアタックまんがーワン

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【第二十二話 長槍】桶狭間へのカウントダウン 残り14年

〔ドラフト版〕

 

庄内川の治水工事を得て、河原で八郎らとやりあいながら、吉法師は元服を迎える13歳に達した。

相変わらず沢彦の指導で戦ごっこに明け暮れる毎日であった。

吉法師は成長するにつれて激しい気性の持ち主に成っていった。

癇癪持ちともいえばいいだろうか…

突然切れだすのだ。

普段はそういう事はないが、いざ戦の事で思うように事が進まないと切れ始める。

それは劣勢に立たされる状態で切れるのではなく、むしろ味方が勝手な動きをすると切れだすのだ。

 

一方で城内では平手政秀によく𠮟られることが増えた。

合理的というか横着な性格で自我が芽生え、戦ごっこの汚れた服装のまま城内をウロウロすることが増えた。

それを見かけた政秀は、

 

「城主たるものが農民と同じ格好で居ては困ります!!」

 

と、叱るのであったが、

吉法師も着替えるのが面倒だったゆえにその都度、

 

「後で着替える。」

 

と、あしらう様になった。

帰城するやすぐさま食事を取った。

その食事の席では意外な進展もあった。

今まで弟分の小政(恒興)のおかずを横取りするのが日課で、その都度恒興の膨れっ面を拝んでいたが、ある日から小政は吉法師のおかずが切れるや早々と吉法師におかずを差し出すようになったのだ。

最初は

 

「良いのか?」

 

と、恒興に聞いたうえでそれを受け取っていたが、不思議なものでそういう姿勢に切り替わるや吉法師の態度もまた変化を見せた。

この変化は、人間の心理でよく起こる「何か気持ち悪い」という違和感から発生するもので、日常当たり前の光景が変化したことで感じるものだ。

人によってはそのまま態度を変えないケースが多々ある。

ところが吉法師は不思議と態度を変えたのだ。

しばらくの日がたって小政がおかずを差し出すと、吉法師は食事係に、

 

「すぐに代わりを用意しろ」

 

と、命じて、小政にその代わりで出てきた魚を自らが与えたのだ。

しかし、これでは不合理と思った吉法師は、

 

「今後はおかずを先に用意しろ」

 

と、食事係に命じて、逆に自分のところに余分に来たおかずを逆に小政に分け与えるようにしたのだ。

ある意味吉法師は些細な変化が生じたことで、小政に心を開いたのかもしれない。

今までは寧ろ大好きな養徳院の実子ゆえにその愛情に対するライバル心のような感情がお互いにあったとも言える。

それは小政の中により強くあったと思われ、吉法師は何気にその心情を感じ取ってか、むしろ意地悪な形を出していた。

そこに小政の方から逆に心を開いた形となったため、吉法師は寧ろ大事な弟分として小政を認めたのである。

実際小政の方からすれば吉法師が自分のおかずを取り上げるのはいつもの出来事ゆえに諦めて先手を打っただけのことでしかなかったのだが、それを期に吉法師の態度の急変に心地よさを覚え、吉法師を本当の兄として慕うようになる。

この二人のやり取りを猫にしてみるととても可愛らしく見えるだろう。

2匹の猫が最初は餌の取り合いでけん制しあうも、一方が勝ち目無いと折れだしもう一方に権利を譲りだすと、2匹の猫は逆に仲良くなっていく光景を時折目にする。

そういうイメージでその光景を見た養徳院にとっては、とても微笑ましい形に見えただろう。

後に信長と恒興の関係が良好だったのは、こうした経緯があったからと言え、むしろ平手政秀の子らは父の寵愛を意識してか、信長に対抗心を抱き続けた態度があった為、信長は彼らを受け入れなかったと言える。

いわば繊細に人の感情を読み取れる信長は、小さな対抗心であり自分に心を開かない相手を警戒し敬遠したのである。それでも政秀に対する愛情と敬意があったためそこまで蔑ろにはしてはいなかったとも言える。

 

そしてこの変化で小政の心の変化がより良好になったと感じた吉法師は、人に優しくする大切さも同時に薄々と感じ取っていくのである。

 

この物語では「天才」の定義を挙げている。

天才と言って一般的には身近に感じない人は多いかも知れないが、実は天才に成る気があれば誰でも天才に成れるのだ。

身近に居ないのではなく、殆どの人が他人の長所を見ようとしないゆえに天才を見極められていないと言った方が良いだろう。

天才に成る気があればというのは、自分の才能を信じてその才能を活かす場で自らその研究に没頭することにある。

ネット調べでその知識に満足してしまうのでは、その人は決して天才にはなれない。

天賦の才とは興味と好奇心である。

そもそも誰もが持ち合わせるものだ。

この興味を知識で満足してしまうと、他人の才能を借りて理解しただけのことに成る。そして理解したと勘違いして満足してしまう。

興味を持つなら様々な矛盾であり疑問にも直面しなければならない。

興味を飽くなき追及によって不明な部分の解明にまで注いでこそ天才なのだ。

ある意味科学者としてこうしたプロセスで挑んでいる人はすべて天才であると言っていい。

スポーツの世界でも同じで、教わる技術で満足しているのは天才ではない。

研究者として自分が出来ることを増やし、その効果を見極めて更に効果的に機能する技へと生み出していく。

この追求心を持ち続けることで天才に成れるのだ。

いわば天才に成るには興味と疑問を持ち続けて矛盾を許さない追求に没頭できるか否かという部分にある。

そして更なる大きな違いは結果に興味を持たず、そのプロセスを楽しもうとする遊び心を持てるかにも関わってくる。

いわば天才に成れば成るほど、結果を知った喜びは一瞬でしかないことを知る。結果が出るまでの悪戦苦闘の時間こそが一番楽しい状態だと知るのである。

スポーツで勝負に勝ったという喜びは一瞬だが、勝ち続ける、結果を出し続けるにはその一瞬は単なる通過点でしかない。

人の評価は自らのキャリアを終えたときに真価が出るもので、それまで強欲に結果を求め続けるなら、それを出し続ける長い道のりを如何に楽しんでいくかはモチベーションを維持するという意味でも大事な要素となるのだ。

 

とは言え、万物に興味を注ぐ吉法師は、些細な変化をも感じ取ることによって違和感を感じ、そしてその要因を追求しようとするのだ。

「人心」に於いては小政との一件があったこの時点で何かの結論を得たという事ではない。寧ろ、今後起こりうる政秀の子らとの出来事であり、前田利家の起こす事件などを得て、様々な違和感であり、「何故」を考えていくことで学んでいくと言え、そして信長としてそれらをどう統治するのが「公平」なのかを探求していくのである。

 

その吉法師の探求心は今まさに戦の事に向いている。

食事を終えるや自室で戦のことを試行錯誤したり、武芸の研究をするのが日課となっていて、吉法師にとって着替える時間が無駄に感じるほどだった。

 

次回は、あれを試してみよう・・・

今日は岩室のあの動きは面白かったな…

千秋は剣技はいまいちだが、石を投げさせたら凄かったな・・・

 

こうして吉法師はその日起こったことを思い起こして、次に備えて考えるのだ。

今までは勝ちに拘った気質もあって自分しか見えていなかった。

いわば自分が戦場で目立つ事に注視していたといえる。

スポーツで言うなれば選手として結果を出すために、自らの武技にすべてを集約して考えていたのだ。

ところが自分が一歩引いて指揮官という立場で考えだすと、また別なものが見えてくる。

無論、選手であることを止めたわけではない。

ただ、他の人間の動きが見え始めてそれらを観察して分析する事への興味が付随してきたという感じだ。

故に考える時間が足りないほど楽しくなってきたのだ。

そして、大方「次に試す事」が決まって来ると、

 

(どうせ明日も同じ服で出るのだから。)

 

そう考えて寝てしまうのだ。

 

先の庄内川の戦ごっこで八郎が降参しなかったのは、吉法師の成長にとっては都合が良かった。

結果、一度は庄内川から身を引いたものの、何度も何度も再戦を繰り返す日々となり、相手も成長し、自らも成長する切っ掛けとなった。

八郎が近隣の兵隊を集めて再戦してくれば、吉法師も近隣を制圧して兵隊を吸収し、八郎にまた挑む。

庄内川の戦ごっこは当初の50人程度の規模から、200人規模の戦闘へと変化していった。

庄内川の治水工事が完工した時分で、上流の水位が上昇したため、決戦の場所はそこから下流の方へと移っていった。

治水の堰を現代の東海道新幹線陸橋付近と定めた場合、以前の戦地は庄内緑地公園周辺と設定し、新しい場所はその陸橋のすぐ川下の現在の清須市と名古屋市中村区を挟んだ河原の辺りで考えると丁度いいと思える。

※史書にない出来事で、信長の成長過程で必須の出来事と想定したものゆえに地形からの凡その予測でしか判断できない。

 

初陣前の吉法師の軍団には、まだ小学生の年長に達したころ合いの佐々成政や前田利家も加わっており、農民上がりのメンバーとしては中村を制した際に加わった藤吉郎(のちの秀吉)の姿もそこにあった。

無論、成政や利家と違い、農民として混ざって参加していた藤吉郎はまだその頭角を現していない。

しかし後に成長を遂げて信長に仕えるときに、この参戦した時の思い出は信長と藤吉郎を結びつける大きな切っ掛けとなったのではと筆者は考えている。

 

依然として八郎の槍捌きには苦戦を強いられた。

勿論、吉法師たちも太刀のタイプから、槍のタイプへ武器を変更したが、年齢も体格も勝る八郎たちの方が戦闘面では有利であったと言える。

それでも一進一退を繰り広げながら、度々決戦を執り行った。

 

そうした中、堰の工事は終了し、コメの生産も600石分は増加したわけだが、以前信秀が吉法師に伝えたように、更なる石高を増やす為の工事は継続していた。

無論、清州側もその増築には勘づいていたが・・・

工事が始まった1544年は信秀が美濃の斎藤道三こと斎藤利政と戦を始めた頃合いであり、この戦は美濃の守護である土岐頼芸が1542年に斎藤利政により追放され尾張へ逃げ込んだことが切っ掛けとなったと史実では伝えられる。

その意味では信秀単独の戦いではなく、尾張の守護斯波義統主導で行われた戦となり、清州の大和守家、犬山の伊勢守家もこれに参戦した形となっていた。

尾張随一の戦上手であった信秀が主流となってこの戦いに挑んだことは史書の通りであると思われ、斎藤利政の居城稲葉山城まで迫って大激戦を行った。

後ほどこの情勢は記すものとするが、こうした時分でもあって那古野の治水拡張は曖昧な形で清州も黙認したと言える。

 

その治水工事の現場を久々の手伝いで吉法師らは訪れた。

相変わらず遊び半分での手伝いであったが、イベント的に大人たちも楽しむ形と成るため寧ろ歓迎されたと言える。

そうした中、たまたま納屋に立てかかった長い竹の束が突然崩れる事件が起きた。

その竹は治水の溝の側面を補強するためのもので、かなり重く長いものだった。

幸い通りかかった吉法師たちにケガはなかったが、何名かの人夫がその下敷きになってケガしたのを目撃した。

その時は咄嗟に下敷きになった者を救出しに動いたが、その事件が切っ掛けで吉法師は面白いことに気づいた。

 

吉法師が類い稀な天才である所以は、事故で運良く助かったで終わらない点だ。

いわばあの事故は自分に襲ってきたかも知れないと考えるのだ。

その時に自分はどう対処するかを想像する。

竹が崩れるのをすぐさま反応して避けれたか・・・

崩れる竹に反応して持ち手の道具でそれを防げたか…

そこから発想の閃きを生じさせるのだ。

そして吉法師は気づく・・・

 

竹を避けるにしても、防御するにしてもその時に自分に隙が出来る!!

いずれにしてもそれをしなければ下敷きになってしまう・・・

 

そして以前に千秋が八郎の足元に石を当ててケガさせた事を思い出して…自ら竹が降り落ちる際の避ける動作を試してみた。

 

(上から降り注ぐ竹を防ぐため腕は上段に構えて、体は避けるか…)

 

そう見極めてから、

 

(避けた体の足はその際に止まる…)

 

吉法師はそこに生じる絶対の隙の存在を見極めたのだ。

史書などを参考に語る際、日本の戦で盾を用いることはあまり意識されることがない。ところが実際に盾は用いられていた。

西洋の鉄の丸い盾ではなく、寧ろ木製の板状にした盾が使われていた。いわば弓矢を防ぐための盾だ。

絵は船上のものだが、実際の陸でも用いられたと考える。

寧ろ盾もなく弓矢が狙う敵陣に突撃する元来の発想は、ある意味無謀ともいえる。

これは石合戦をする際にも、盾を用いるのは当然と考えるのが普通で、盾を用意する発想すら無かったという話なら、当時の日本人は本当に頭の悪い人たちという事にしかならない。

 

いわば盾が邪魔して弓や石が上手く相手に当たらないのは当然の成り行きで、それゆえに少しでも上から降り注ぐ矢を浴びせるために、上に弧を描く斉射が用いられた訳で、それを防ぐのに盾を上に構えれば下が開くなどという状況が考えられた。

これらは平安時代より用いられた発想ゆえに、それらが進化して戦国のころには前衛が下段に盾を構えて、その後衛が上段の矢を塞ぐといった陣立てくらいまでは発想が進んだと考えるべきだ。

無論、この陣容は鉄砲が主流になって来ると無意味と化して行ったと考えられ、独自の兵書の乏しい日本では自然と伝わらなかったとも考えられる。

火矢を用いて盾を焼き落とすなどの発想もあったと思われるが、基本的には弓矢は殺傷力の低い兵器であったと考えられ、戦ではより近づいて乱戦によって敵を殲滅することがより得策と考えられたともいえる。

そういう意味では騎兵に長けた武田信玄や上杉謙信が恐れられた点も理解できる話で、それ以前の中華ではモンゴルのチンギス・ハンが最強であった点は理解できる。

 

正直なところ、信長が長槍を好んで用いたことを知った際に、筆者は理解に苦しんだ。

長槍を扱うのは相当に腕の長けた人間でないと使いこなせないという事もあって、それでも達人同士なら長槍より短い槍の方が立ち回りがしやすく有利になる点は否めなかった。

いわば物理的な優劣でも、長いリーチの懐に入れば入るほど、短い方が有利になるからだ。

また長い分、重さも重なって逆に動きが鈍って不利にもなる。

そういう意味で長槍が何故重宝された?

ただし、筆者はその分、他の研究者と違い、長槍を用いるなら寧ろ戦闘の素人向けである点は確信していた。

そうした中、石合戦で盾を用いるだろう状況が見え、本来の戦でも弓合戦に対して盾を用いる状況が当然と見極めた際、近づいてきた強兵を有利に駆逐する方法として長槍の使い道を思いついたのである。

 

納屋に立てかけた竹が崩れたように、長い槍を真上に立ててそのまま敵の方に倒すだけならある意味技術は必要ない。

寧ろ戦闘が上手くないものを使いこなす意味ではこの長槍作戦は十分な補足として機能するのだ。

上から倒れて来るその槍に対して、人は必ず避けようとする。または咄嗟に盾を上に向けて防ごうとする。

盾を前面に置いて後ろに後退する動きを見せたとしても、実は長槍の重さとその威力で盾は崩れるか、手を離したっ時点で倒れるのいずれかが生じて、避けた人間に大きな隙が生じる事は否めない。

無論、盾を上に向けた時点で、その正面には隙が出来る。

その隙に弓矢や石合戦なら石を放てば、確実に隙が生じた部分を狙い定めることができる。

または太刀でも短槍でも、そのタイミングで突っ込めば相手の懐を取りやすくなる。

そうした近接での優位性を高めるための長槍なのだ。

おそらく多くの研究者がこの発想に気づかなかったと同様に、信長の長槍戦法はかなり当時としても奇抜な発想だったと言えよう。

それゆえに鉄砲が主流になるまでの期間であっても、織田軍団が強かったのは近接戦闘に於ける優位性が功を奏していたと言える。

 

吉法師は長槍の有効性をこの時点で発想し、八郎たちとの勝負でこれを試すうちに、乱戦優位の状態を担保していったのである。

また三段撃ちの原点ともなる、上手い奴に投げさせろも発想にあったと言え、鉄砲に限らず、弓の射ち手は射ち手として活用していく形が生み出された。

更には本来、戦力にならないとされる雑兵も様々な形でうまく活用することで、ある意味戦力に無駄の生じない機能で構成した。

その意味では一人ひとりの様々な長所を伸ばしてプロフェッショナル化させることでより効果的な機能に成る点を実感していくことにもなった。

先に、誰にでも天才に成りうる…と、いう話を用いたが、吉法師は「天が人に不公平であることは認めない」という発想で、誰もに才を活かす機会があるべきだと信じて、それを実践した分、以後、多くの長所を見極めてその長所を活用していくことの大切さを「天命」として理解していくのである。

 

三国志の曹操と信長の違いは…

曹操も才ある者を活用したが、曹操の才ある者はその才を自ら示したものである。

信長は寧ろ、現代の経営者、寧ろ中小企業やベンチャーで野心的に大きくなろうとする人に求められるもので、才ある者を見出して育てる意味と成る。

信長は尾張という僅かな人の資源の中で、それらを上手く活用して大きくなった人間活用法が注目され、寧ろ大きくなった際は求めずとも才ある者は集まってきたという感じである。

曹操も魏を建国するにあたって似ているような形でのし上がっているが、筆者は信長のそれとは異なるものとして見ている。

寧ろ曹操は才を自負するものを好み、信長は寧ろ才を自負するものは嫌う点で大きく異なると言える。

曹操ならば、竹中半兵衛や黒田官兵衛を自らの側に置こうとしただろうが、信長は寧ろ側に置かなかった。

曹操は才を自負するものを上手く扱えたゆえに天寿を全うしたともいえるが、信長はそれを嫌ったゆえに謀反によって夢が崩れたともいえる。

しかし民主制が主流となる現代社会においては、曹操のような人物は腐敗を招くわけで、寧ろ人に潔癖な信長の方が万民を幸福に導ける人物である点は強調しておくものとする。

 

さて…元服をまじかに控えた吉法師は愈々信長として新たな一歩を踏み出すわけだが、その時分の尾張周辺の状況はいかなるものか…

 

先ずはそこを解説するものとしよう。

 

どうも・・ショーエイです。

オリンピックがとうとう始まってしまいます。

ああ、因みにここまでのグダグダ状態に+最後の演出家まで更迭した件はこれ炎上商法です。

小山田氏の件まではどうしようもなくグダグダだったわけですが、演出家をさっくり切った目算は、炎上して結果、開会式がどんだけグダグダになるのかという興味を引き付けるための最後の演出と言っていいかも。

多分、そういう意味で視聴率はかなり上がるでしょうね。

間違いなく。

その上で、何の変更も加えずに、キャストリストだけ変更して無事に開会式をこなすだけのツマラナイ展開だと思います。

まあ、そういう意味では排除された人達のものがそのまま使われるという状態になってしまうわkですが…

 

日本のフェイク主義ってこういう事を平気でできてしまうところ。

何がフェイクかって?

今更変更加えられないから、そのままやってそれを演出した人は関係ありませんという態度で通す感じです。

実際にその演出は様々な問題視を受けた人が生み出したもので、その人たちの作品を人間性とか関係なく見せられてしまうという現象です。

結局、社会が指摘した人たちの感性がフェイクで表現されるわけで、結果、彼らの人間性を批難した事の意味すらあやふやになるという話で終始するのです。

 

キャストのフェイクを外して考えるなら、本来そこで外された人の感性をそのまま表現してしまう行為は、どんな作品でも受け入れがたいと考えるのが当然です。

実際はそういうふざけた意味の開会式であることはご理解ください。

まあ、政府やJOCなどに質問しても、彼らは関係はないと言い張れるわけだし、前もってどの部分が関与したかも演者以外知らないから、口止めしておけば一般人には解らないでしょうね。

ただし、現実的な話、リハーサルなども込めて今更新規で作り出す時間はないわけで、結局は追い出された演出家の演出がそのまま名前だけ変えて演じられるという事でしか対処が出来ないというわけです。

既にそうした人は現場に出没しないのだから、開会式の演出そのものは関係ありませんと言い張るだけの話です。

 

そいう状況の開会式を、グダグダに成るかもという冷やかし根性煽って視聴率につなげようと政府やJOCは試みているのです。

 

正直言います!!

多分、期待するようなグダグダは起こらない、平凡でツマラナイ開会式になると思いますよ。

そしてその開会式は、辞任や更迭された人たちが手掛けた作品そのものであるのです。

 

それを理解した上で、見る人は見てくださいねというしかありません。

 

因みにIOCのトンデモ・バッカ?…トーマス?トンマッすだっけ…

あいつは空気を読めないのは日本人の方だとか言ったらしいけど…

馬鹿ですか?

その発言自体が空気を読めてないでしょ!!

 

空気は!!

キサマ程度の無責任かつ傲慢な人間が主催するオリンピックをわが国で開催させるのは腹立たしいという意味なのだよ!!

コロナの話は、その一端で、

全ての元凶は、トンマです・バッカ!!Thomas Bschお前のその間抜けさが原因なのです。

そういう反省すら理解できてないから、空気が読めないという話です。

 

アスリートたちの長となるIOC会長がこんな程度であるという事は、すべてのアスリートの頭がこの程度のレベルに見えてしまう責任も感じなさいよ!!

最低でもメダルなど栄誉を手にしたアスリートは全て

傲慢になり下がって、体育会系特有のパワハラ、上から目線でしかモノが見れなくなり、論理的な解釈が脳みそまで筋肉質で柔軟性がなくなっている分、理解すら出来ないレベルに落ち込む。

社会は、そういう偏見を持つしかないという事なのですかね?

アスリートの脳みそは信用できない!!

トンマです・バッカとは、そういう印象を浸透させる存在なのです。

 

ドイツ人への偏見も重なって…こいつはヒトラーの心酔者なんだろうねとも言っておきます。

人間のクズがこういう立場に立つと本当にロクな事は起こらないです!!

まあ、日本のクズとドイツのクズが意気投合すると、すべての国民をだましてでも厄災広げてでも自分たちの利益追求に走り出すのでしょうね。

しかも、そういう事に共感しあってしまう…

 

【日本人言います!!】

オリンピックをテレビで見るな!!なんてことは言いません!!

見たい人は見ていいのです!!

応援するなら応援してもいいのです!!

でも、豊田社長には申し訳ないが…

オリンピックのスポンサー企業への不買運動を浸透させましょう!!

報復の為に世界中でこの不買運動を広げましょう!!

 

そしてIOCのやった事に、明確にNOと社会的制裁与えるのです。

そのためにオリンピックを見ながら、

見つけたスポンサー企業をチェックしてください。

 

例えば、コカ・コーラの製品は買わないようにしましょう。

アクエリアス飲むならポカリスウェット!!

スーパードライなら一番搾り!!

コーラはペプシ!!

 

そんな感じでオリンピックを見れば…

ハッキリ言って視聴率稼がれても、スポンサーにはデメリットしか生じなくなるわけです。

 

IOCにNOを突き付けて、暇つぶしに見るものちゃんと見て、応援するものはちゃんと応援しましょうね!!

その上で代替え商品が効くスポンサー企業には、犠牲を払ってもらいましょう!!