【第二十一話 方程式崩壊】桶狭間へのカウントダウン 残り15年
〔ドラフト版〕
この物語では山本勘助が愛用したとされる「兵は詭道なり」という孫子の兵法の一句を用いる。
一般的な解釈では、「戦は騙しあいであり常に臨機応変に対応するべし」というのが定着しているが、もっとこの言葉を深く読み解くと、戦では常に予期せぬ想定外の出来事が生じるものと捉えて、現代のビジネスにおいても応用できる言葉とする方が良い。
再び庄内川の河原で清州の八郎ら率いる集団に挑むこととなった吉法師らは、川に面して一列に隊列を組んで、対岸の敵を挑発した。
ただ相手は那古野村の子らが現れただけで挑発することもなくいきり立っているんだが挑発されて更に血が上ったようである。
こうした挑発も沢彦は戦で大事なことと吉法師らに教えた。
いわば相手を自分たちの罠に嵌めるには、相手がムキに成って力押しを仕掛けてくることだ。
卓上の教育では逆に挑発に掛かってはならないと教えるだろう。
そしてそう学んだ誰もが挑発などに掛からない冷静さを心掛ける。
ところが人間の心理は複雑で、解ってはいても引っかかるのだ。
挑発の基本は相手を煽ることではない。
相手を焦らせることがポイントである。
煽られて血が上ってムキになる人間も多くいるだろうが、
実際に現実的な思考で考えると軍を任されている人間が
簡単に冷静さを失うと考える方が不思議なのである。
マンガであり小説の世界、もしくは歴史学者ですらこの辺を勘違いしている人が多い。
相手の性格をついてもほぼ効果はない。
悪口を用いて相手がムキになる事は現代社会のネット上でよく見かけるだろが、ステータスを持つ人はそういう言動にも比較的冷静に対応しようとしている。
いわば好感度を大事にする芸能人は悪口などはあえて無視するような姿勢で対処できるわけだ。
それが出来ない芸能人も居るには居るだろうが、
そちらの方が稀で、大半は上手く冷静に対応できている。
これは軍の指揮官に於いても同じで、
馬鹿にされてムキに成って出撃するようなのを指揮官に使っているのは寧ろその人選に問題があると言える。
では何を以て挑発するのか?
「焦り(アセリ)」を誘発するのが挑発の基本である。
ここでも孫子の基本をおさらいしよう。
「彼を知り、己を知らば百戦危うからず。」
この言葉を応用して
自分が困る事は、相手も同じように困るという事に着目してみる。
自分が軍の指揮権を任されている立場からすると、戦における功績を求められる立場になるわけだ。
これは現代社会でも同じことで、営業成績であり実績が出てこないと自分の評価が下がってしまうという部分に直結する。
そうした中で戦では持久戦に持ち込めば持ち込むほどこうした焦りが生じるのだ。
ここが心理的なポイントで、焦ってはいけないと理解していても、どうしても焦らざるを得ない状況に陥るのだ。
そうした心情を逆手にとって、兵士に敵兵の前でダラダラとのんびり過ごす様子を見せつけることでいわば「挑発」の効果が得られるのだ。
これらは逆に兵糧攻めであったりするとより効果的になって、むしろ敵は戦意喪失、いわば打つ手なしの状態になる。
ある意味秀吉の中国攻めの手口はこういう感じとも言っていいかもしれない。
勿論沢彦はそこまでの高度な方法をここで教えるつもりはない。
寧ろ単純に引っかかる相手が徐々に引っかからなくなる様子を学ばせながら。「では、どうする?」と考えさせる機会を望んでいた。
吉法師らは
「清州の馬鹿連中!!河童が怖くて川を渡れないのか?!」
と、かなり子供らしい文言で挑発した。
清州側の連中は、その言葉に腹立てて石を投げあう石合戦なくして渡河しはじめた。
前回吉法師らが簡単に逃げて行った分、それで十分と思ったのだろう。
挑発は真ん中に陣取る吉法師らが主に浴びせたことで、憤り立った八郎の標的は吉法師らの狙い通り自分たちに向けられていた。
見事に計に嵌った…
渡河してくる八郎らに、吉法師らは石を投げつけた。
八郎は木の盾でそれを防ぎながら突進してくる。
八郎が渡河を終えるくらいの間合いに成ると、吉法師らは徐々に後方へと距離を取って動いた。
「また逃げるのか!!」
八郎は後退する吉法師にそう浴びせかけた。
すると吉法師は…
「逃げているのではない!!今からお前に戦の何たるかを見せてやる!!」
と、逆に挑発に乗せられた。
さすがは…おバカ…
岩室たちも内心…
(若が挑発に乗ってどうする?)
と、密かに感じたであろう。
しかし、八郎はっそんな吉法師の言葉を気にかけることなく追っていった。
計はそのまま為された。
この状況を土手で見ていた沢彦は、
(なんとも子供らしい光景かな…)
と、笑いを浮かべた。
そして、
(どうやらあのうつけた言葉は寧ろ逃げる言い訳に聞こえたのかもしれんのう・・・)
と、意外な事に気づいた。
(実戦でもこれは作用するやもしれん…前回無残に逃げた分、逆に強がって見せた方が相手は警戒せぬか…なるほどのう…)
まさに沢彦が感じたとおりである。
無論、八郎が兵法を理解した将であることはないが、それを理解した者でも人間の心理の驕りや怠慢を引き出すことは多々にある。
かの諸葛孔明が用いる「挑発」という計は、こうした心理を巧みに利用したものであったと言えるだろう。
吉法師たちの布陣は面白いほどに形を整えていった。
逃げる吉法師に合わせて八郎は鶴翼の奥深くまで入り込んでいった。
するとその周りを囲むように他の者たちが取り囲むように動き、そこで一斉に投石を開始した。
相手が年少者とはいえ、石に当たればかなり痛い。
清州側の子らは一斉に崩れ落ち、痛みをこらえながら川の方へと退散していった。
ところが数百単位の大きな戦と違い、数十単位の少数戦では時折想定外の戦局が発生する。
吉法師らに近づいた八郎ら5名ほどは、むしろ投石の的に成らなかったのだ。
いわば投石すれば吉法師らに当たってしまい可能性があったためだ。
またその5名は猛者ともいうべき存在で、多少の痛みは平気だった。
更には槍の様な丈の棒を振り回して暴れまわっている分、吉法師らも意表を突かれた感じになってしまった。
吉法師らは使い慣れた刀の長さの棒を用いていた分、槍よりもリーチが短い。
迫ってきた八郎にまず山口と長谷川が仕掛けていったが、八郎の槍捌きともいうべきか、長いリーチをぶん回して近づく隙を与えず、防戦一方となる2人に時折突きの一撃を加えて撃退した。
吉法師もその光景を目の当たりにしてどう対処していいか困惑した。
そして八郎以外の残った者たちは、投石してくる左右に突進していきこれらを粉砕し始めた。
新介や小平太が勇みよく対峙したが、やはり長物相手に打つ手がなくあっさりとやられてしまう。
少数戦ゆえに個の勢いで一気に形勢が変わってしまう。
吉法師は岩室、加藤、千秋らで八郎を囲むも、迂闊に近づけないまま、防戦の一方であった。
振り回す得物に対しては、その軌道を木刀で抑えることで対処はできたが、八郎はそれを防がれるやすぐさま突きに切り替え、そして今度は逆回転に振り回すなど実に巧みな動きを見せている。
そういう状況下で吉法師も何発か八郎の攻撃を食らうありさまだ。
(こんな攻撃をどうやって倒すんだ…)
吉法師の頭の中は混乱していた。
そんな中、八郎の攻撃で一時的にもだえていた長谷川が起き上がり、背後から八郎に不意の一撃を浴びせるが、八郎は全く怯むことなく、
「痛てぇな!!この野郎!!」
と、すぐさま振り向いて長谷川を蹴りの一発で吹き飛ばした。
その直後に切りかかった岩室は怒りに乗じた八郎の上段から振り下ろしてくる連打に押し負けて頭上に一発を食らってしまう。
吉法師は今まで同年代の子らに武術で負けたことがなかった。
ここまでで唯一本気でやりあったと言えるのは新介との勝負位である。いわば自分よりも強い相手を見たことがなかったのだ。
しかし、今回の相手である八郎は全く異質な存在であった。
吉法師も上手く打撃を与えるも全くダメージを感じないのだ。
そして岩室に浴びせた上段からの怒りの連打が今度は吉法師に向けられた。
無論、剣技に長けた吉法師はすぐさま頭上に木刀を構えてこれを防ぐも、長いリーチと八郎の馬鹿力で振り下ろされるその攻撃に持ち手はどんどんと下がってしまう。
また布陣した那古野村の子供たちはあっさりと他の4人に粉砕されて既に散り散りに逃げ出してしまうありさまだ。
この光景を眺めていた沢彦は
(これは若にとって意外な収穫があったやもしれん…)
沢彦のいう意外な収穫とは、八郎という人物を差すのではない。
むしろ本気で負けたという経験のことである。
(しかし…このままボコボコされて万が一があっても不味いな…)
沢彦は子供の喧嘩という認識で口出しはしたくはない。
しかし、この時代、現代の様に法律が浸透して完全に管理された社会とは違い、こども喧嘩でも打ちどころ悪ければ死人が出る時代である。
程ほどという状態で引き際を考える者なら安心だが、子供ゆえに寧ろその見極めは逆に怪しい。
そういう意味もあって沢彦は傍で付き添っていた河尻に、
「秀隆殿…不本意ではあるが止めに行ってもらえぬか?」
すると、河尻は
「御意!!」
と、すぐさま動いた。
何とも過保護な状態…そう感じるだろうが…
寧ろこれがリアリティーである。
とは言え、八郎に押された吉法師は既に耐えきれない状態まで追い込まれていた。
万が一八郎の一撃が吉法師の頭上に致命的な形で入れば吉法師は歴史に名をとどろかせる事なく「うつけ」のままこの世から消え去ったであろう。
その矢先である…
吉法師と一緒に八郎を囲んでいた千秋が八郎の膝に向けて石を投げつけ見事にぶち当てた。
木刀ではビクともしなかった八郎だが、足に食らった一撃はさすがに効いたようである。
そこでようやく八郎の連撃は止まった。
そして吉法師から怒りの矛先を千秋に向けたその瞬間、八郎に隙が出来た。
窮地に立たされた吉法師は、
(今だ!!)
と、仕留めるタイミングが見えたその矢先、背後から河尻が割って入り、
「今日の喧嘩はこれまでだ!!」
と、声をかけて来た。
すると怒り心頭な状態の八郎は、
「大人が喧嘩に割り込むな!!」
と、河尻に意気込む感じで食ってかかった。
何気に千秋から浴びせられた投石で足の痛みを相当に抱えたのか、八郎は少しビッコをひいていた。
そして河尻は意気込む八郎に近づいて、
「今日の喧嘩はおしまいだ…その足では…」
というや八郎は河尻に向かって得物を振り回した。
それに対して河尻はすぐさま八郎の方へ間合いを詰めた状態でその攻撃を防ぎ蹴りで軽く八郎の引きずった足を蹴り飛ばした。
すると八郎はもだえるように転がり込んで、足を抱えながら悶絶した。
吉法師は河尻のその動きを何気に見逃さなかった。
(凄い!!ああするのか!!)
吉法師が驚いたのは、河尻の蹴りではない。
寧ろ間合いを詰めてから防いだ動作に感激したのだ。
武術的な物理計算で考えると、
振り回す力は起点の内側に成れば成るほど力は弱まり、外へ行くほど力は大きくなる。
これは野球のバットで考えるといい。
バットの手元にボールが入るとどうして打球は弱まる。
また時折バットが折れたりもする。
逆に芯と呼ばれる外側のちょうどいいところで捉えると、力は最大限に引き出される。
ところが今度は外すぎると内側ほどではないが実は球の球威に持ち手の支える力が徐々に押し負ける状態になる分、軸が折れやすくなる。ある意味自身のパワーと球威の衝突が手に思いっきり伝わってくるという形だ。
とはいえ内側へ行けば行くほど力の伝達は弱まるのである。
物理学がまだ無い時代でも、そういう事は感覚的に知識として伝わっている。
吉法師の場合は、むしろ才能として微かな感覚の違いを感じ取っている分、河尻の動きを見ただけで何となくその原理が理解できるのだ。
足を抱えて悶絶した八郎に、
「そんな足ではもう戦えないだろう…とりあえず喧嘩は終わりだ。」
と、言い放ち、
通りがかりの行商人を装ったふりのまま、
「ほらガキども、今日はさっさと帰れ!!」
と、追い払うように言い放った。
吉法師は河尻の立場と役割は沢彦から聞かされている。
そして河尻が乱入したことで周りを見渡せば、
確かに那古野村の子供たちは散り散りになって逃げまわっていた。
そして吉法師は喧嘩の勝敗よりもむしろ河尻の見せた動きに興味が移っていた分、
「皆、今日は引き上げるぞ!!」
と、潔く引き上げた。
後日、吉法師は盛重の剣術の指南の際に、河尻が見せた動きを師範である盛重に問いた。
盛重は、
「若、剣を構えて私と距離を取ったまま立って居て下され」
と、言い長柄の棒が芯で当たるように振りかざした。
吉法師の受けた衝撃はかなり大きなものであった。
そして次に
「では私の側に立って同じ攻撃を受けてください。」
すると今度は衝撃はさほど大きくはなかった。
吉法師は体でその違いを体感することでようやくその原理を納得した。
そこで盛重は、
「若、我々が何故腰に太刀と小太刀を二本付けているかご存じですか?」
と、語る。
無論、吉法師はよく知らない。
「解らん!!」
吉法師は躊躇なく答えた。
「では、ご覧あれ…」
というや、まず太刀を構えて吉法師に対面した。
次の瞬間、盛重は太刀を投げ捨てて、小太刀を取り出して吉法師に一気に間合いを詰めて、いわばドス突きの構えでその懐に飛び込んだ。
あまりの早業に吉法師は驚いたほどだった。
そこで盛重は、
「敵と間合いを詰めた際に、太刀では距離が長すぎるのです。小太刀に切り替えれば詰めた間合いではそれだけ有利に動けるのです。」
吉法師はその言葉に可愛らしく、
「おお!!」
と、感激する言葉しか発せなかった。
沢彦から話を聞いていた盛重は吉法師に、
「どうやら今回は八郎とかいう御仁に苦戦されたようですな。」
と、言葉を柔らかくして聞いた。
寧ろ負けたと言われるより素直に吉法師は受け入れた。
「あいつを倒せる気がしなかった…」
吉法師はそう答えた。
そこで盛重はようやく、
「負けたと感じましたか?」
と問いた。
吉法師はそこも素直に
「負けたと思った。」
と答えると、
「負けたことで今、次の戦い方を見極めたわけですな…」
と、言うと、
「ああ、そうだ!!次は勝つ」
そう吉法師が答えるや、
「では負け戦も悪くは無いでしょう」
と優しく諭すと、
吉法師はそこも素直に、
「ああ、悪くはない」
と認めた。
そして今度は厳格な表情で、
「しかし、首を取られては負け戦に成りませぬ…もっと引き際を見極めて大敗を避けるよう心掛けて下され。大敗こそ恥ずべき負け戦で、撤退は次への布石の負け戦と思ってください。」
吉法師は盛重に諭される形でようやく沢彦が言っていた言葉を理解した。
勝ちに拘るのは人間の嵯峨である。
吉法師は寧ろ負けず嫌いの性格もあって今までは勝ちに拘っていた。
ところがこれを機に「負け方の必要性」を意識するようになってくる。
発明や科学の世界では、ある意味「失敗」はつきものである。
その「失敗」を積み重ねることで「新たな発見」を生み出して、ようやく発明や解明という所に到達する。
これは戦やスポーツの世界でも同じなのだ。
ところが戦やスポーツでは負けを許されないケースが多々存在し、冷静に負けを拾うという事も難しいかもしれない。
故に凡将は常に大敗にして散っていくのだ。
吉法師が天才的に戦神となるのは、負け方を知り尽くすことにある。
いわば程よく戦って引き上げるのだ。
これは後に信長として美濃攻略で見せる技となるのだが、
勝ちを焦らず犠牲を少なくして大局へ備える。
それにより絶対なる勝利を引き寄せるのである。
そしてこれがさらに後の姉川の戦いでも生きるわけで、
朝倉、浅井の奇襲に大敗せず立て直せた所以でもある。
この後、庄内川の八郎との戦いは、投石の三段撃ち。
いわばコントロールの良い投げ手に石を集中して投げさせるため、石拾い、渡し手と逆に投げるのが上手くない者に役割を与えることで、効果的な攻撃を繰り出す方法を用いたのだ。
それにより渡河する八郎らに程よく打撃を与え、
渡河終える頃には、速やかに退散する状態を繰り返した。
そして連日の戦いの末、ケガや疲労で疲れた八郎たちを最後は渡河したところで一気に畳みかけて勝負を決めた。
子供の喧嘩としては、かなり狡猾なやり口であるが、
吉法師はこういう勝ち方こそ将たる者の勝ち方と割り切るようになる。
ただ、負けた八郎は吉法師の戦い方に納得がいかず、結局は心服することはなかった。
そして…吉法師はようやく元服の時を迎えて、初陣を飾ることとなる。
どうも・・・ショーエイです。
ブログを始めて、何気に6年くらいたった感じです。
なんだか気づけばそんな時間が…
僕なんて当時10歳くらいの設定だったのが…もう16歳。
まあ、サザエさん方式なので年取らない設定ですが。
ところで東京オリンピックを強行開催するの?
まあ、知らないけど…
開催中にデルタ株+新たな変異種発見でパンデミックが拡大したら、本当に笑いものに成るからもうどうでもいいといえばどうでもいい話です。
ある意味日本人というより日本の政治家であり、無知なサポーターに科学的な懸念を伝えても馬と鹿に念仏と同じなんでしょうね。
ワクチン打っても重症化しないだけで感染しなという話は出てきましたよね。
更には9月くらいに3回目の接種が必要という話も。
そして疑問なのがワクチンの効果は本当に変異種に対処できるか?
新たな変異種がワクチンをすり抜ける可能性は?
色々未知が重なる状況下にあるという事です。
運よくの博打に出られてもという感じです。
ある意味ギャンブル依存症体質の国家なのでしょうね。
このうつけの兵法でも語っている話ですが、
勝てばなんでもいいというのが本質で、
どういう相手に勝ったか、どういう勝ち方をしたかは関係ないみたい。
とにかく日本人がどんなレベルでもメダルを取ればいいという…
オリンピックなんだから最高レベルの勝負がみたいという考えはないに等しい。
最高レベルの参加者で、最高レベルの勝負ができない状態で、何が面白いの?
NBAのレブロンやカーショーが来ない。
MLBの大物は来ない。
エムバペやネイマールも来ない。
はっきり言ってどうでもいい大会だね。
これでメダル取りました。
薄っぺらい栄誉だよね。
相手の最強と雌雄を決して初めて本当の勝利なのです。
レベルの下がった大会なんて見るに値しない。
本当に勝負の世界を大事に考えるなら、
そういう気持ちが当然で、そういう人の方が明らかに勝負強いのです。
国全体が衰退状態のこの国では負け犬根性が浸透しすぎてるのかな?
まあ、パワハラ気質のこの国の状態は、強いものには逆らえない根性が勝負事でも出てくるんでしょうね。
はっきり言って東京五輪のメダルの価値は3流の大会程度の価値でしかないと言っておきます。