【第二十話 勝利の方程式】桶狭間へのカウントダウン 残り14年
〔ドラフト版〕
庄内川の河原で悔しい負け方を経験した吉法師は、翌日の剣術稽古で師範の佐久間盛重にその胸中を語った。
吉法師は沢彦の言葉を多少理解はしたものの、負けて逃げるということに納得していなかった。
「決してみなければ勝負の行方は分からんのじゃないのか?」
吉法師はそう盛重に投げかけた。
盛重は黙ったまま吉法師の主張と沢彦が伝えたかった意味を考えていた。
吉法師の言葉は続く…
「勝てたかもしれない勝負に何故逃げるのだ!!むろん負ければ首が飛ぶのは解っておるが、それは覚悟の上だ!!」
吉法師の表情に悔しさがこみあげてくる。
吉法師からすれば逃げたことで相手に恥をさらした形となったことが一番く口惜しいといった感じだろう。
ましてや相手が農民の子相手だったわけで、武家としてのプライドも重なってのことだ。
「俺は新介にも勝ったのだから、あの八郎とかいうやつにも勝てた!!」
盛重は吉法師の悔しさは十分に理解できた。
しかし、沢彦が伝えようとする意図も何気に理解できた。
すると盛重は、
「若!!剣を構えて下され」
というと、吉法師は突然のことだったがそれに従った。
吉法師が木刀を取って構えるや、盛重は上段から振り下ろすように軽く切りつけた。
普段の稽古通り、吉法師はそれを構えた木刀で何気なく防いだのだった。
すると盛重は、
「若、今なぜ防がれた?」
と、聞いた。
無論、当然の反応ゆえに吉法師はその質問の意図が解せない。
「なぜ防いではならんのだ?」
その言葉に盛重は、
「若が今私の一撃を防いだのは当然のことです。でも、それは私の一撃から逃げたのと同じことです。」
「逃げた?」
「私は軽く振り下ろしましたので、若が私の一撃を恐れなければ、反撃することも出来たでしょ。」
吉法師は言われてみればという感じで、
「確かに」
と答えるや、盛重は
「では、次は逃げずにそのまま反撃してみて下され」
と言って再び同じ一撃を繰り出した。
吉法師はそれを今回は防がずに、中段から体ごと盛重の懐に入るように突きを入れた。
すると盛重はその攻撃を体ごと避けて、今度は素早く吉法師の首元へ寸止めの一撃を与えた。
そして、
「若…今、私は若の攻撃から逃げました。そして逃げたことで若の首元の隙を見つけて振り下ろしたのです。」
盛重は再び吉法師と対面する構えに切り替えた。
稽古の習わし通りに盛重が再び構えをとるや、吉法師も態勢を整えて再び向き合うように構えた。
そして盛重は対面した状態でこう語った。
「武技の勝負に於いて、防ぐ、避けるは逃げたのと同じです。逃げずに相手の謀(はかりごと)に嵌って首を取られるのは、逃げて相手に恥をさらすより愚かなことなのです。」
武術指南の厳粛な雰囲気ゆえに盛重の言葉は吉法師によく届くのであった。
「戦に於いて退くことは武術の防ぐ、避けると同じことです。武術の構えが敵の攻撃を退けることにあるのと同様に、敵の攻撃を退けるために戦では陣というものを敷きます。」
盛重はさらに続ける。
「国という大きさで戦をするなら、城もその陣のうちです。ゆえに野戦で防ぎきれない時は、城を守るのも兵法です。」
そして再び盛重は上段に構えて、
「武術では首を取られたら負け、戦では城を取られたら負けです。その勝敗が着かないうちは…」
と言って再び上段が振り下ろすと、吉法師はそれをしっかりと受け止めた。
そこで盛重は、
「逃げても負けではないのですぞ…若」
というや、吉法師もようやく納得したようで、
「解った!!」
と、受け止めたまま答えたのであった。
ギリシア神話で有名なアーテナーの言葉、「絶対の勝利を」。
無論、キリスト教宣教師の存在すら知らない吉法師にそんな言葉は何の意味も持たないかもしれない。
しかし、吉法師は「逃げる」という事に踏ん切りが着いたことで、この「絶対の勝利を」という意味に近づけたのである。
いままで吉法師は「絶対の勝利」を常に求めて、
「絶対の勝利」を目指すのに常に勝たなければ…
いわば常勝が条件だと思い込んでいたのだ。
しかし、庄内川でその常勝が消えうせたことで、自身に抱いた神がかった妄想に区切りが着けたといった感じだろう。
何度も語るように吉法師は自身の「天命」をすでに意識していたわけで、それゆえに「絶対の勝利」はその条件であると思い込んでいたのだ。
無論、これを機にその意識が変化したわけではない。
むしろ「逃げても良い」という新たなルールが付与されたことで、より柔軟に「勝利の方程式」を考えやすくなったと言っていいだろう。
人によってはこれを「姑息」と感じる部分、そこが吉法師の中にも存在したわけで勿論完全にそれが抜け切れたという訳ではない。
それゆえに後日再び庄内川での決戦を考える吉法師は八郎との一騎打ちを捨てきれずにいたわけだ。
盛重との稽古の翌日、那古野村の悪ガキと岩室ら供回りを交えた作戦会議で吉法師は先ず八郎との一騎打ちに挑む懸案を打ち立てた。
するとこれを聞いた沢彦は、
「大将が自ら一騎打ちを望むものではない!!お主にとってこれは初陣に挑むための前哨戦じゃぞ。」
姑息さを半ば受け入れつつある吉法師だが、やはり男子として武技での勝負に拘ってしまうのだ。
ある意味姑息に挑む前に、正々堂々とした部分を出しておきたかったのだろう。
しかし、それを沢彦は「初陣の為の練習」という位置づけで止めたのだ。
それでも吉法師のそういう拘り部分を早めに取り払いたいと考えた沢彦は、
「まあ、一騎打ちに拘るのなら、一騎打ちになりやすい状態を作ればいい。」
と、理解を示すと、吉法師は食いついてきた。
「どうするんじゃ?」
そこで沢彦は、
「鶴翼の陣を試してみるか?」
と、戦らしい提案をした。
無論、卓学を全くしない吉法師らは鶴翼の陣という言葉は何となく知っていてもそれが何なのかは知らない。
しかし戦の実戦でそれを試せるならと興味深々で乗り出してきた。
鶴翼の陣とは陣立ての基礎中の基礎であるが、実際に現代ではその基礎中の基礎の構造すらまともに理解されていないのも事実である。
ストラテジーゲームなどでもお馴染みのものだが、最初からV字の状態で布陣するのは間違っている。
ある意味、最終形態がV字なるのが本来の陣立てである。
最初の形態は一字で構わない。
一文字の一の中心を押し込めば、自然とUかV字のような形になっていくのが鶴翼の陣だ。
いわば一の真ん中に大将を置いて、敵がそこめがけて推し進めてくれば、真ん中を中心に後方へ下がっていくというものである。
そうすることで鶴が翼を上に向けて畳むように、突っ込んでくる敵を囲むというのが基本的な動きとなるのだ。
弓などの飛び道具を用いる際は、味方に当たらないようにV字の状態で総攻撃を仕掛けるなど工夫も様々で、ある意味伏兵を用いた方法なども鶴翼の陣の特徴といえるのだ。
沢彦は敵の大将を八郎という少年としたうえで、大将自ら先陣を切って突進してくることを見切った上で、この基本的な陣形を教えた。
それゆえに先陣切った大将と那古野側の大将の吉法師が最終的に一騎打ちになりやすい状況が生まれると説明した。
ある意味この陣立ては吉法師に退くまたは逃げるという事が戦術の大事な要素であることを意識させる意味でも役立つと考えた。
案の定、吉法師は乗り気でこの陣容を採用した。
そして包み込んだ状態で他の者は石を投げつけて八郎以外の敵を粉砕するという作戦で挑むこととなった。
吉法師らは鶴翼の陣が機能するようにしばらく沢彦の指導で練習したのだった。
そして再び庄内川の決戦場へと足を運んだ。
先の敗戦で意気消沈していた那古野村の悪ガキどもも、鶴翼の陣を用いて練習したことで自信が着き、意気揚々と赴くのであった。
すでに相手が年長者であることは忘れているのも事実であった。
果たしてその決戦は如何に・・・
どうも・・・ショーエイです。
世の中はオリンピックの開催どうなるので盛り上がっているようですが、根本的に何かおかしくない?
開催国の感染状況という部分では確かに危うい話でもありますが、ある意味感染状況が一時的に緩和される可能性はあります。
ただ、緩和されるだけで感染拡大が治まるという訳でないのですが。
そういう事を考えて中止にする決断は、日本政府または東京都の判断になるべきです。
次にIOCは…
アメリカ、イギリスの感染状況が落ち着いたから開催できる?
選手がオリンピックに参加するのは問題ない?
はぁ?
オリンピックに参加する国は英米だけじゃありません!!
アフリカや中南米の国々、アジア諸国もその対象です。
こうしたワクチンが届かない国々選手が十分な力を発揮できない、または十分な選考も出来ない状況下にあって、何のオリンピックなの?
一部のメダルを取れる人たちだけ参加すればいいという話になって、何がアスリートファーストなんでしょうね?
限られた枠にしかチャンスが無いオリンピックなのは明白で、そんな大会ならやる意味すらない。
期待された選手も、期待されていない選手も参加して雌雄を決することでメダルの意義があるわけで、期待されていない選手の大躍進もその一環なはずです。
バッハがマラソンを札幌に持って行った時点で、こうしたフェア精神は崩壊しているわけで、あの嘘つき男爵は結局は本命が勝てば盛り上がるといった意味で八百長仕組んでるようなものです。
こういう輩が調子ぶっこいてやろうとしている興行は許すべきではない!!
総括した話で中止にするべきという結論なのです。
最近になってようやくバッハとコーツの本性がメディアで取り上げだされたのでありがたいことです。
出来れば中止に早くなってほしいね。
そしてその二人をIOCから追放!!
コーツに関しては2032年ブリスベン大会決定の裏でホコリが立ち込めそうなので、この辺で首にすればいいのに。
因みに変異ウィルスの怖さは以前にもブログで書いたように、日本で発生する変異株が一番怖いという話。
既にいろいろな変異株が混ざり始めているので、ファクターXを持つ日本人から変異したら本当にワクチンすら効かなくなるという懸念は、科学的に危惧されるものなのです。
実際に発生してから、やっぱりでは遅いのです。
でも、そうならないと気付かないのが日本政府なので、これ以上変異が進行しないことを願うしかないですね。
全てが神頼みの国ゆえに、科学の話なんて理解できないのでしょうね。
こうした主張に腹を立てる人こそ、そういう人たちなわけで、
なんとも皮肉な話です。
寧ろ理解できる人たちの主張が弱くなるのも、日本の中枢がポンコツ化しているせいなのでしょう。
因みにこの日本の状態に信長たまが出現すれば、そういうポンコツはすべて容赦なく抹消されるのに…
物理的に抹消しなくても、論理的に理詰めで抹消していく感じで・・・