【第十七話 己】桶狭間へのカウントダウン 残り14年
〔ドラフト版〕
吉法師は父・信秀の助けも有ってようやく治水工事を着手することが叶った。
それでも那古野村の子供たちと約束をして、ひと月あまりで実現した。
吉法師は沢彦と悪童ら、そして政秀を伴い領主として正装で那古野村に向かった。
この2年前に初めて城下を訪れた時とほぼ同じ行壮だ。
先方の河尻秀隆が先ず村を訪れた。
そして大きな声で、
「これより那古野城主吉法師様が御触れを出しに来られる!!村民は全員表に出て触れに従う様に!!」
と、伝えると村民はゾロゾロと外に出て街道を固め始めた。
500戸3000人規模が街道に並ぶと、家族で固まったとしてもおおよそ300mには成る。
そうした中、暫くすると吉法師の一団が到着した。
あの時と同じように農民たちは地べたに平伏してこれを迎え入れた。
この時の一団の先頭には吉法師が立っており、その横に沢彦と政秀がが並び、その後ろを悪童たち、そして佐久間盛重、信盛らが続いた。
吉法師は平伏した農民たちに近づくや、
大きな声で、
「全員面を挙げて楽にせよ、」
と、言い放った。
農民たちは言われるがまま面を上げた。
その列に並んでいた新介、小平太ら子供たちは、
行列の先頭に立っている吉法師を見て、ようやくあの時の悪童が那古野の領主であったことを知る。
知るというより確証した。
そして吉法師の脇にいた政秀が、
「こちらにおわす方は那古野城主の吉法師様にあらされる、これより城主直々に御触れを出される故によく聞いて従え!!」
と、伝えた。
ハッキリ言えば吉法師が領主である証明はこうすれば成り立つ。
しかし、それは沢彦の方針ではない。
偉い人間が偉そうに自らを証明しても、人はただ威圧されるだけだ。
人を威圧だけで支配すれば、一度力を無くした時に人は簡単に見限る。または反抗する。「飼い犬に噛まれる」という表現に成るだろう。
そして時は戦国の下克上である。
いついかなる時に敵に攻め立てられ窮地に陥るか解らない中で、領民が敵方に寝返る事など当たり前なのだ。
領主が領民を締め付けて従わせていただけなら、尚更領民はここぞとばかりに寝返るだろう。
沢彦は吉法師をそういう人間に育てたくは無かった。
故にああした約束で証明させたのだ。
無論吉法師も領主として出向く方法は思いつくだろう。
そして治水と言う約束を交わすなど本来面倒な事だ。
それでも沢彦の提案に臨んだのは吉法師の才覚ゆえの事と言っても良い。
こうした才覚は論理で考えられる事ではない。
いわばペットに愛情を注いで共に暮らす喜びを求めるか、
それとも厳しく芸でも仕込んで自分に従わせようとするかの違いの様なもので、その人間の感性とも言える部分だ。
吉法師は感覚的に前者である。
織田信長という人物を今までの価値観で眺めれば寧ろ後者の様に感じている人も多いだろう。
冷酷で無慈悲な性格と評して。
無論、冷酷で無慈悲な人間であることは否定しない。
しかしそれは自分の敵に対しての感情で有り、
逆に味方に対しては異なるのだ。
こうはいうものの後に佐久間信盛を追放した件などを挙げて、異論を述べるものも居るだろうが、そもそも地位に胡坐をかいてその他の家臣や領民を蔑ろにした人間を情で許す方が慈悲なのか、それとも許さない方が慈悲なのかと考えればその判断の本意は解ってくるのではなかろうか。
大人に成ればなるほど、他人を計算づくで見てしまう。
また計算して考えようとする。
芸能人や政治家が好感度を意識する時など、こうした計算を用いるだろう。しかし、捉える方は十人十色で実際は計算してどうにかなる話では無い。
寧ろ計算するより素直に直感で行動する方が良いとも言えるが、この直感というのはその人間の本質で、それは才能とも言える部分だ。
解りやすく言えば「違和感を感じる」という時は誰しも経験を持つだろう。
この「違和感」は自分のポリシーや信念に基づいて感じ取る部分で、それが野心的な部分なのか、人情的な部分なのかで変わってくる。
野心的な違和感は寧ろ計算に近い。
いわば保守的な考えで、自分の事が優先なのだ。
ここの直感部分が「ここでは嘘をつく」といった行動に成る。
人情的な違和感は個人の信念と言える。
ある意味自分の生き様として曲げられない部分だ。
野心的な違和感と違って損をしやすいと言える。
こうして説明するならば三国志で描かれる曹操と劉備の対比と同じになる。
曹操は曹操で成功している訳で、劉備も最終的には曹操に対抗しうるだけの力を得るのだ。
それでも曹操が中華を平定できなかったのは対比の劉備の存在があった故。
先行して力を得ても、損し続けた劉備を捕らえられなかったのは劉備という人間の徳の偉大さで理解すると良いだろう。
野心的な違和感で行動する才能は、威圧によってその勢いは付きやすいが敵を多く作る事にも成る。
いわば多くが怯えて従うだけで心腹する者はごく僅かな側近だけ。
逆に人情的違和感で行動する者は信頼を得られやすく、味方が増えやすい。何故なら多くの人がその存在に安心感を抱くからだ。
損を多くするが、その分助けも多く得られる。
その助けが威圧に対する反感からのものであれば、敵中に於いても得られるのだ。そうして劉備は生き残た。
大人に成ればこうした両者のやり方は計算によって使い分けられる。
そこは違和感では無くむしろ「こうしたらネットで騒がれる」という警戒感によるものと言えるだろう。
そして計算では「これくらいなら問題ないだろう」と魔が差す事も生じるのだ。
こうした計算で誤魔化し誤魔化し立ち回って成功する人間も居るが、そこには力や金、権力と言った威圧で黙らせていると言える。
結果その計算には信念が無く行動原理がブレてしまう為、人は信用しなくなるのは言うまでもない。
吉法師は実は人情的な違和感で考えるのだ。
かつて吉法師が感じた「死後の違和感」
「自分が農民に生まれ変わったら…どう生きて行く?」
そこが根底にあるゆえに、自分で自分を眺めて違和感を感じた事に抵抗を持つのだ。
言葉を代えれば、「自分が嫌だと思う事は他人も嫌だ」という事を知っているのだ。
しかし、劉備のそれとはまた異なる。
幼いながらもある矛盾に疑念を抱き、それを解決しようとする。
「では、戦争ではどうなのか?」
そう戦争では自分が攻め込めば敵は嫌がる…
それをためらっては天下を治める力を得られない。
自分が天下を治めなければ農民で生まれた時に農民として理不尽な社会で生きる事を強いられる。
野心的に都合よくそこで妥協すれば、
「情など捨ててしまわねば天下は望めぬ」
という結論で終わるだろう。
誰しもが織田信長という人物がその結論で終わったと誤解しているのだ。
吉法師は妥協で終わらせない。
複雑な疑念が子供ながら何年も頭を過っていたのだ。
これが天命を受けた定めなのだ。
そしてある時に吉法師は答えを見つけた。
これを「魔仙道」とでも言おう。
以前、語った様に、
「敵に対しては魔道を、味方に対しては仙道を」
というものである。
「敵は常に味方を脅かす存在で、その味方を守る為にはその敵を排除せねば味方は逆に苦しむ」
そういう考えのもとで、あの時那古野村の新介は敵として対峙した。
無慈悲なまでに叩きのめしたが…
さすがに殺しては成らないという違和感を感じて手を止めた。
そういう自分に吉法師は「何故だ」と問いかける。
相手を敵と定めて仕留めねば、自分が反撃で殺される。
そういう気構えだったはずで、これが本当の戦場であったら死活問題だと感じた。
しかし、それ以上に手が動かなかった。
心が敵では無いと判断したからなのか…
子供ながらに考えた。
天命を受けた故に、どこかで天からの歯止めが掛かったと理解するべきか…
那古野村の村民が面を上げて吉法師を見た。
まだ12歳の幼い子供である。
そんな吉法師を見るや新介、小平太ら村民の子らは吉法師が本当の領主であったと確認し、吉法師に向かって手を振って、
「吉法師さまぁ!!」
と、大きな声で声援を送った。
本来は無礼とされるモノであるだろう。
しかし、吉法師も彼らの存在を確認すると誇らしげに手を振って返した。
子供たちの突然の行動に、その親は無礼だとばかりに叱りつけた。
その様子を見た吉法師はすぐさま馬に乗って近くへ駆け寄り、
「構わぬ!!新介、小平太に他の者はワシの供を致せ!!」
と命じて、自分の列に招き入れた。
新介らは少し誇らしげに吉法師の命じる通りに列に加わった。
こうした些細な出来事で、吉法師はまた新たなる悟り垣間見るのである。まだ、言葉として確立は出来ていないだろうが、何かが吹っ切れた感覚で理解した。
「和に応じる者は味方であり情を以て接す、不和なるものは敵と見なして無情を用いて退ける」
深く読み解けば法の根底ともいうべき内容になる。
不和とは社会秩序を乱すもので、社会の敵=罪として裁くべきという意味にも成る。
法の中でこそ無情とは忖度無く公平に裁くという表現で用いれるが、戦国の下克上の世では、無慈悲という意味合いに成ってくるだろう。
勿論、こうした言葉として論理的に理解した訳ではない吉法師は、感覚的に「和に応じるもの味方、応じないものは敵」と区別する意味で理解したに過ぎない。
そしてその結果が、徳川家康と浅井長政の命運を分けたものである事は言うまでもないだろう。
こうした奇妙な天命論で話を考えるなら、
秀吉が天下を取れたのも信長の天命が導いたもので、身分に関係なく出世が出来た故の話であり、家康が天下を取れたのも、家康が信長の和の精神に逆らわなかったからと言える。
そして農民上がりでも天下を取れた歴史と、和を貫き通した恩恵が江戸幕府を起こしたのだと考えれば、信長の天命は日本という国の価値観に大きな変革を与えたと誇れるのかもしれない。
吉法師らが村民らが集まった街道の中腹に差し掛かると、そこには那古野村の村長らしき人物が待っており、その面前で平手政秀が御触れを大声で読み上げた。
「これより庄内川より那古野に向けて水田用の治水を行う。それに当たって村民から毎日100名の人工を出すことを命ずる。」
治水が行われるという話を聞いて、村民は大いに喜んだ。
そして政秀は目録状をその村長に手渡して、
「明日までに100名の人工を選別したせ、して明後日、朝より庄内川の清洲橋(現・東海道新幹線鉄橋付近)に集まるよう下知する。」
と、言うや村長はそれを平伏して受け取った。
その様子を見て吉法師は自分の側で隊列させた新介らに、
「明後日、約束の工事じゃ、お前らも集まって手伝え!!」
と言うや、新介らは喜んで、
「御意!!」
と、既に吉法師の家来に成った風で応じた。
翌朝、吉法師らと那古野村の子供たちは予定通り清洲橋の治水現場に足を運んだ。
現場には那古野村からの100名の人工に50名の大工が集結していた。
工事の初日とあって監督役の役人が那古野から派遣された。
この役人には信秀の所に仕官して間もない金森長近が担当した。
金森長近は元は美濃の土岐家の家臣で、斎藤道三に土岐家が追われると、父定近と共に一度は近江に潜んでいた。
1542年18歳に成ると、当時斎藤道三と争っていた信秀に仕官したのだ。
この当時はまだ金森可近と名乗っていた。
政治的な手腕と言うより、勤勉な姿勢を政秀から評価され今回の役目を与えられたのだ。
勤勉というのも、勉学や教養の方で勘違いする人も多いだろうが、勤勉と言うのは仕事に対して忠実に学ぼうとする姿勢である。
簡単に言えば解らない事を解ろうと努力する事であり、自分の仕事がどういうものかを的確に把握する力である。
ある意味こういう人物はどんな場面でも頼れる存在と言ってもいいだろう。
工事を始める前に祈願をして人災が起こらないようにする事は、昭和時代にはよく見られた光景だ。
戦国の当時もこうした儀式は執り行われていたと考える。
可近は大工の棟梁らとその儀式の準備を行っていた。
そこに吉法師ら子供たちがやってきたのだ。
無論、沢彦も同行している。
吉法師は作業をするつもりで来ていた為、農民の子らと同じような格好で現れた。
それを見た大工の棟梁は、
「何ですか…あのガキどもは…?」
と、近くに居た可近に尋ねると、
可近はその子供らの方へ振り向いた。
昨日の御触れ出しの時には同行しおらず、現場で治水工事の下見をしていた可近は、吉法師が来るなどとは聞かされていなかったため、吉法師を見るや驚いて、小走りに近づきながら
「若!!いかが為された!!」
驚く可近に吉法師は
「工事を手伝いに来た。」
と、簡単に伝える。
そして可近はその後ろに控えていた沢彦を見つめて、
「若自ら、この様な作業を?」
そう聞くと、沢彦が、
「後学の為、邪魔に成らない程度に頼みまする。」
と申し訳なさそうに伝えた。
勿論、沢彦は子供が工事の手伝いなどすれば邪魔にしか成らない事は知っての事だ。
そこへ可近の後ろで話を聞いていた棟梁が、
「ワシらは工事が捗らんでも文句言われなきゃ、一向に構わぬが…金森さまはそれでいいだかぁ?」
その言葉に可近は困り果てた。
いわば自分の上司に当たる人物は平手政秀で、吉法師はその政秀を介しての存在だからだ。
いわば社長の息子であっても、重役の指示から外れれば会社員の査定として響く意味を持つ。
無論、沢彦はそういう心情も察した上で、
「若がここに居る事は政秀殿も承知の事、その若が居る間足手まといに成る事は仕方ないじゃろ。」
吉法師は沢彦の「足手まとい」という言葉にムキに成って、
「ワシらは足手まといなどには成らん!!」
と意気込むや、
棟梁はなら仕方なしという表情で、
「じゃあ、若殿、容赦なくコキ使わせてもらいますだが…いいだか?」
と、言うと吉法師は、
「構わぬ!!」
と言い切った。
祈願も終わり工事が開始された。
吉法師ら子供らは川べりの石拾いが作業として割り振られた。
大工たちは用意した木材を加工して堰を作る作業。
那古野村から来た人工は吉法師らと同じように石拾いと川底の地ならしである。
無論、若殿である吉法師が作業している以上、可近もこれを手伝わざるを得なかった。ある意味真面目な性格故の事だ。
子供たちは石を拾って桶に集め、大人たちがその桶を担いで仮置きの石場へ持って行く。
仮置きするのはまたその石を工事で使うからだ。
最初は遊び半分でやっていた単純な作業も、一時を過ぎると子供たちは飽きてくる。
飽きてくると子供たちは水を掛け合ったり、小石をぶつけ合ったりしながら遊び始めるのだ。
それを見た沢彦は、
「それが足手まといじゃ、遊びたいのなら手伝うのを止めてさっさと遊びに行け!!」
と叱ると、意外にも子供たちは素直に従い仕事に集中するのだった。
子供なりに手伝うという意識を持ったプライドなのだろう。
軽作業で重労働でなくとも寧ろ精神的に疲れは溜まってくるものだ。
この時代は今の様に10時や3時の休憩など基準に成っていない。
寧ろ昼飯を食べる時くらいしか休ませてもらえなかったとも言える。
その昼飯でさえ、食ったら作業を始めるといった感じでせかされる様な環境だ。
吉法師はこの環境を自らで体験したのだ。
今の政治家は勿論、官庁の職員として働いている人間でこうした作業を経験した人間がどれほどいるだろうか?
逆に今の労働基準が確立されたのは、こうした経験を得た官庁職員が労働者の気持ちに成って成立させてくれたものと言えるが、逆にそれを監督する役所に経験者が少なくなると、その労働基準の意味すら履き違えて考えるのだ。
沢彦が吉法師にそういう経験を得て、自ら底辺の気持ちを理解できるようにとこうした教育を施したのだ。
勿論、子供によってはこんな仕事は底辺のやる事だと投げ出してしまう事も有っただろう。
吉法師も内心ではそう考えた。
しかし、自分が吐いた言葉のプライドを沢彦が上手く刺激してくる故に、上手く乗せられて踏ん張るのだった。
単純といえば単純な子供であり、単純故にうつけに見える。
しかし、その単純さが寧ろ我慢という過程を得て才能を開花させていくのである。
作業を始めてから3日目にも成ると、吉法師はチマチマと石を拾う作業に飽き飽きしてきた。
これは作業を投げ出すという事ではない。
天才とこの小説では一括りにして語るが、
天才は天才の境地を既に会得している場合が多い。
吉法師が天才であるゆえに、孫子の兵法、「己を知り、敵を知らば百戦危うからず」という事を自然と意識できるのだ。
いわば「己を知る」こと、そして「敵は何であるか」を見極めて考えようとするのだ。
兵法ゆえに生兵法者は敵を知る=情報と勘違いしやすい。
しかし敵は常に見えている敵だけではなく、見えていない己が持つ敵も含まれるのだ。
吉法師は孫子を知っている訳ではないが、
自らが作業に飽きてしまうことに己を理解する。
そして飽きてしまい作業のペースが徐々に落ちて行くことを、
作業上の「敵」として意識した。
普通の人は「仕方のない現象」と割り切ってしまうかもしれない。
ところが吉法師はこの苦痛を改善しなければ自分が投げ出してしまいそうな感じに成ってしまう。
自らが「足手まといには成らない!!」
そう豪語してしまった事も「己を知った」部分で有り、
敵はそう言わせた沢彦であり、投げ出すことは沢彦に負けた事を意味するのだ。
そういう葛藤の中から、何か自分を保てる方法を考えざるを得ないのだ。
そうして…吉法師は三日間考えたのである。
どうも…ショーエイです。
本当に小説を書くのって頭を悩ませます。
どういう形で面白くその場面を表現するべきか、
様々な構成に悩まされ、
時間だけが経ってしまう。
前も話したように、この治水の話は実は端折りたいようですが、何故か端折ってはいけないという不思議なプレッシャー存在するみたいです。
ある意味、吉法師がこの作業を投げ出したいという葛藤と同じなのかも。
では、最近の日常の話…
オリンピック開催問題、コロナ問題、ミャンマー問題、米中関係。
色々言いたいことはありますが、
もう失敗するなら失敗させようという事しか考えられない。
馬耳東風なのは解っている分、
ヒントすら与えたくもない。
寧ろ、失敗するなら失敗してくれがヒントに成ってしまうかも知れないが、その失敗を得て各国の国民が気付けば幸いかな。
ただ運よくというケースもあるので何とも言えません。
特にコロナに関しては変異種が運よくそれほど脅威に成らなければ、運よくワクチン接種で終息する可能性はあるという事です。
逆に運悪ければワクチン効果が機能せずに、更に脅威を招くという危険性も。
そうなったらリーマンショック以上の不況が待っているという恐ろしい話も出てきます。
その時に成って、経済凍結をやって完全ロックダウンをやっておけば良かったと気づいても時すでに遅しなのです。
まあ、こればかりは人間のサガなので致し方ない事とは言え、判断が出来なかった事を誰のせいにも出来ないとは言えます。
ただ中途半端にフラフラ経済とコロナ対策で右往左往している状態は、結局そういう人たちが国の上に居るんだという印象で見ているだけです。
米中関係にしても、中国の対応に関しても、中国が過激化していくように世界が無用なプレッシャーを与えている事に気付いてほしい。
単純な人間の心理です。
「お前が悪い」、「お前は悪い奴」だと決めつけられて、素直にその人がそれを認めますか?
自分の権利でやっている事にそういう言い方をしても、結局相手は言った側に腹を立てるだけです。
自分が中国と同じ立場に成ったらどう考えるか?
敵を知るとはそういう心理の意味も含まれるのです。
腹を立てて、会話が噛み合わずに、喧嘩でしか解決できない状態なら相手は喧嘩に負けない様に武装するだけです。
相手がナイフを手にするなら拳銃を、相手が拳銃を手にすれば機関銃を…法律の規制の届かない戦いで、喧嘩に成って負けない様にしていくのは人間として当然の反応なのです。
この現象を知らないで外交で解決しようなんて到底間抜けな話です。
そういう状況で戦争に発展させて、局地戦だけで終わると思いますか?
尖閣諸島近辺の局地戦で戦争が終わると思いますか?
沖縄は確実に戦禍に巻き込まれます。
下手すれば本土にもテロやら何やらが発生します。
サイバー攻撃も、台湾も巻き込んでの戦争に成ります。
戦争に成って勝てばいいけど、勝つまでの過程で皆は犠牲になるのです。
それを守らねばと考える前に、何をもって抑止とするべきか、
それを「塾考」しなければ成らないのでは?
そういう「塾考」無しに単純に反応しているだけの状態は、うつけよりも間抜けな思考としか言いようがありません。
まあ、そういう意味で呆れてるだけなのです。

