うつけの兵法 第十六話「兵は詭道なり」 | ショーエイのアタックまんがーワン

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【第十六話 兵は詭道なり】桶狭間へのカウントダウン 残り14年

〔ドラフト版〕

 

戦の世では所詮は騙し合い、故に兵は常に臨機応変に事を構えよ。

かの武田信玄の家臣山本勘助が愛用したという孫子の名言である。

「兵は詭道なり」という言葉は、騙し合いという意味で理解されがちだが実際は計画性に捉われず、常に臨機応変で柔軟に状況を見極めねばならないという意味。

Covid19のコロナ対策で迷走する国々は、いわばこれが欠けていると言える。

 

古渡に赴いて信秀に謁見した政秀は、早速那古野の治水工事の話を伝えた。

そして、

 

「清州を説得する材料として、吉法師様は年貢の半分を与える事で交渉する案を申されましたが…大殿はどうお考えに成られますすか?」

 

信秀は政秀から吉法師の教育の為という事も伺っていた上で、その提案をしばし熟考した。

 

「清州に見す見す年貢の半分をくれてやるのは腹立たしいな…しかし、清州がそれ以外で庄内川の堰を設ける事に納得はしまい・・・」

 

信秀は迷っていた。

 

「だが…一度堰を設けて治水すれば、後の水田はある意味広げやすいか…」

 

すると政秀が、

 

「確かに…しかしあからさまにそのような事をすれば、清州は勘づき黙ってはいないのではありませぬか?」

 

「そうじゃ…問題は…今は和睦状態に有るゆえに迂闊にこちらが仕掛けるような不手際を起こせば、伊勢守が大和守の方に付きかねぬ。」

 

尾張の三角関係ともいうべき勢力バランスの話である。

いわば出る杭は打たれるとも言う話で、迂闊に他より抜きに出ようとすれば、他は連携してこれを叩こうとする。

すると信秀は何かを閃き、

 

「政秀よ…ならば、那古野に置ける水田の年貢の半分を譲る旨を念書にしてしたためよう。」

 

その言葉に政秀は、

 

「はて…吉法師さまの案をそのまま受けるのですか?」

 

それに信秀は、

 

「形式上はそうなる…が…」

 

と、留め置いて、

 

「しかし水田は増やせばいい。寧ろ倍にする」

 

「水田を1200石に増やして今は半分は清州にくれてやる。しかし一度争いと成れば別じゃ…」

 

「だから年貢を半分くれてやっても、石高が増えるなら問題ないだろう」

 

政秀はようやくここで信秀の意図を掴んだ。

 

いわば治水して水田を開発するには時間が掛かる。

素直に600石のまま開発を止めておくより、早々と可能な限り広げておく方が効率が良いのだ。

そしていざと成った際に、その広げた分を使う。

念書に年貢の半分とした以上、水田を広げても年貢の半分を差し出せば相手も文句は言えないという事。

逆に600石程度増える「見込み」と記したに留めて、相手に年貢の半分という文章にのみ焦点を当てさせれば、「見込み」より大幅に拡張できただけという事は言える。

相手が念書に承諾してしまえば、逆に虚偽した事にはならないのだ。

いわば石高を増やすことは時間が掛かるが、年貢の約束を反故にするのは一瞬である。

一度、戦と成ればそこで大きな差が生じるという事だ。

 

無論、信秀がこうした方法でこっそりと自国の水田を広げる手立てを思いついたのは、吉法師が齎した話が切っ掛けである。

そして信秀はこれを好機とばかりに事を勧める様に、更に画策を巡らせた。

 

「政秀、これから久々に那古野へ遊びに行く…吉法師に直々に話しておくことがあるでな…あと、清州へはワシが出向く、その際はそなたは供をせよ。」

 

「はっ!!御意」

 

と、政秀が言うと、

信秀はさっそく外出の準備に立ち上がり、その後政秀と共に那古野へと向かった。

 

翌日、吉法師と政秀は古渡の信秀の下を訪れた。

吉法師も元服前に成長した事も有って、

且つて信秀が通い詰めた養徳院の子供たちへの語りは披露される事はほぼ無くなった。

そうした中で政秀は普通に宴席を設けて信秀を迎え入れた。

上座に着いた信秀の隣には吉法師が座った。

その席には政秀ら那古野の家臣団の他に、沢彦も招かれていた。

 

信秀は宴が始まるや、沢彦に

 

「沢彦和尚、実に面白い教育を吉法師に施してくれてるようじゃ」

 

すると沢彦は、

 

「真に恐れ入ります」

 

というや、信秀は誤解が無い様に、

 

「真に感謝しておる。下手に紙で教えるより吉法師の為に成る。」

 

と、沢彦に頭を下げて感謝を表した。

そして信秀は吉法師の頭を撫でながら、

吉法師に向かって、

 

「吉法師よ、和尚の師事でよく遊んで、よく学ぶがいい」

 

と、言うと、吉法師は

 

「御意」

 

と返事した。

更に信秀は、

 

「良いか”能ある鷹は爪を隠す”という言葉を覚えておけ、そして治水の話はワシが上手く纏めてやるぞ、安心せい。」

 

「有難き幸せ。」

 

と礼儀正しく、言うと、

信秀は、

 

「お前の話の通り租税の半分を清州にくれてやるわ、その分治水で600石とは言わずに石高を好きなだけ増やして見せよ」

 

まだ少年の吉法師には直ぐにはその意図を理解できなかった。

さらに信秀は、

 

「よいか…目先の利益だけを追うな!!武士(もののふ)とは大局に備えて強かにすることも肝心じゃぞ。」

 

と、伝えると、

吉法師は信秀に、

 

「是非、その話を詳しくお聞かせ願えますか?」

 

と解説を求めたが、

信秀は、

 

「それでは面白くない。寧ろ、そなたの力でこの父を驚かせてみよ。」

 

と、吉法師に自らで考えるように促した。

吉法師はそう言われると、その言葉に寧ろ奮い立った。

実際にこの時期の吉法師は他人が出す答えに興味を持っていない。

寧ろ会話の流れとしてそう聞いただけだ。

ある意味可愛げが無いとも言えるが、

相手が何も言わないのなら、勝手に自分で想像する事を許されたと考える。

 

そして信秀は、父として我が子を愛しむ様に頭を撫でながら、

 

「お前は自由に遊べ、遊びながら学べ…」

 

というと吉法師の顔を見つめながら、

 

「よいかワシはお前を信じる、そなたもワシを信じて、何があっても動じるな。そしてこの父のやり方を学んで見よ」

 

と、言い聞かせるように語った。

父親として信秀は自分と同じように

吉法師が自分で答えを見つけ出そうとすることを期待した。

親子故に解り合える共通の思考と言うのか、

吉法師の成長を陰で見守った父親ゆえに理解していた事なのか、

ただ答えを与えるのでは無く、考えさせることに徹したのだ。

 

その日信秀は那古野で一泊するや、

翌朝政秀と共に清州へ向かった。

 

名目上は守護の斯波義統に治水の許諾を求める形であったが、

そこに大和守家の織田達勝も同席した事は言うまでもない。

勿論のこと達勝はこの話を渋ったが、

信秀が吉法師の後学の為に是非と嘆願した上で、

租税の半分は清州に渡すという事を

守護斯波義統の下で誓約したため、達勝も承知した。

また、治水の為に嵩上げする堰の場所も清州と那古野の間とすることで、清州側もその堰を利用できるという利点も盛り込んでいた。

いわば現代の庄内川に掛かる東海道新幹線鉄橋辺りに堰を設ける形で合意したのだ。

達勝として見れば、信秀が那古野の治水でどれだけ水田を増やそうが、誓約通り租税の半分が保証されるなら言い逃れは出来ないと踏んでいた。

無論、信秀が自らのそのずる賢さを封じる形で誓約したのだから、我が子可愛さに嘆願しに来たのだとも考えた。

達勝は内心

 

(嫡男の後学の為にとは、所詮は信秀も人の子か…)

 

と、寧ろ信秀には特別な戦略性は無いだろうと考えた。

 

常識に捉われる者は、非常識が起こるとは想定しない。

いわば常識では租税は7割取るのが当たり前で、

7割の租税を取らない事業など無意味で利が無いと考える。

また、自らに利の有る話ゆえに

人は希望的観測に陥りやすくなる。

 

達勝も愚か者ではない。

故に信秀に何らかの戦略的算段があるのならと考える。

その意味では、庄内川は弾正忠家の領内に川上がある為、清州に伺いを立てることなく治水するだけならそこから引けたのだ。

現代の名古屋城の堀に繋がる堀川は、清州との間よりもっと北東の位置から繋がっている。

いわば自国の領土の治水で考えるなら寧ろその辺りから引いた方が良いのだ。

無論、清州はそれを認める事は無い。

寧ろそこよりも庄内川の川下に位置する清洲領の水を握られてしまうからだ。

そうした争いの種を避けての交渉だった故に、寧ろ単なる親心として理解した。

領主として治水事業に参加させることで、嫡男吉法師の領国経営を補足する為だろうと考えた。

それに協力する意味で租税の半分を上納する形に成るのなら、達勝としても悪い話では無いのだ。

さらには大和守家と弾正忠家は和睦した状態にあって、守護斯波義統の下で尾張国内は現状纏まっている状態とも考えれた。

そういう意味で主従の礼を尽くして嘆願した信秀の申し出を無碍にすることも出来ないと判断したのだろう。

 

後にこの大和守家は信長に滅ぼされる事に成る為、

その結果だけを知ってしまえば、

達勝の決断は弾正忠家に力を与えた暗愚なものに見えてしまうかもしれない。

事実は小説より奇なりというのは、

結局小説の結果から、敗者=愚者としてしまう為、

敗者側の思考を雑に描いてしまうからだ。

そういう意味で達勝の決断を考えて見れば、

尾張国内を纏めるという名目で思考した場合は、

信秀の嘆願を受け入れた姿勢は寧ろ英断であったとも言える。

 

暴れ馬の様な信秀を寧ろ三河、今川への備えとして支援すると考えるなら、尾張という国で考えた場合、妥当でもあり、

斯波義統の下で主従の関係を維持しているのなら、

大事な家臣団の一人と見なすのも当然である。

 

結果として寧ろ達勝の時代に以後信秀が清州へ攻め入る事態は発生しておらず、三河、今川と対峙する最前線に立って戦っている。

更にはこの時期1546年前後は、尾張が総力を挙げて美濃の斎藤道三と争っていた時期でもあり、遡って2年前の1544年に信秀は大垣城を奪い取っている。

無論こうした戦功も有って弾正忠家は他の尾張織田家から警戒されていたのも事実だが、最有力の家臣として一目置かねば成らない存在だったとも言える。

 

様々な疑念が生じて尾張国内で小競り合いを起こすことはあっても、信秀が斯波家や大和守家を打倒するような謀叛を起こさなかった事から、主家に対しての忠義はそこそこに読み取れる。

そういう意味でも信秀は尾張国内の一家臣団であることを弁えている。

如何に力を持っていようともこうした家臣を使いこなそうと考える事は英断で、寧ろ達勝の後継者織田信友の様にこれを排斥しようと画策する方が暗愚と言えるのだ。

 

こうした流れの中で、吉法師と那古野村の悪ガキとの間で交わされた約束事はようやく実を結ぶことと成った。

そしてそこからひと月も経たないうちに人工も用意されて、庄内川の堰止め工事が開始された。

 

つづく

 

どうも…ショーエイです。

更新のペースが遅くなって申し訳ないです。

最低でも月2話のペースで頑張る予定です。

是非、お待ちください。

 

さて…世の中の事ですが…

接待の問題やら、議員同士の大人数での会食を問題視するのは当然ですが、

夜の街に出かけた事は寧ろ問題視する方がおかしいです。

 

知り合いからコロナ問題で経営が大変だから、

何とか遊びに来てくれと頼まれて、

「問題に成るから行けない」

と断れる人を信用しますか?

 

自分の身の安全しか考えていない人にしか映らないです。

寧ろ、「大変そうだから助ける」

という気持の方を大事にするべきなんじゃないのかな?

 

正直、日本人は人情人情と言うけど、

全く人情を理解していない人が多いのでは?

加藤浩二氏はこの人情を批難したらしいけど、

人情解って無いのかな?

失望したよ!!

口だけのキレイごとか?

 

基本、政治家であっても芸能人であっても、

プライベートは尊重されるべき。

一般人も会社の外に出たら会社の規制に縛られるのは、

ある意味奴隷と同じ。

一歩、就業時間を過ぎたら、そこは一個人である。

 

勿論、政治家だからコロナ対策に従順に従うべきという見解は理解はするけど、政治活動ではないのならそこは自己判断で良いと思う。

無論、それが報道される事は仕方ありません。

公人なのだから…

でも、その行動がプライベートの範疇なら、基本的に社会は問題視するべきではない。罰則なんて以ての外。

ただし、その有権者が次の選挙でどう判断するかは、

その選挙区の人たちの判断に任せるべきです。

 

ただ、日本の政治家にこうした民主制に於ける個人の権利を適切に説明できる人間が居ないのは残念です。

結局、社会の目の流れに合わせて同調するしか能の無い人ばかりという事ですよね。

 

でも、よく考えて見て下さい。

友達を平気で見捨てる奴を信用しますか?

それともどうしても見捨てられなかったという心意気を評価しますか?

苦境に立たされた友達を見捨てられず断れなかったという人の方が、

人情あると思うけど…

逆にそれを理解もせずにルール違反と処分するだけの脳みそ程、ゴミ人間なんじゃないのかな…

ゴミ人間の上司(総理や幹事長クラス)が部下の議員の話に耳を傾けると思いますか?

友人の苦境を打開するには議員としてそれ相応の地位も居るし、発言権だってあるかどうかも解らない現実。

そういう中でその人が出来る限界と言うのもあるのです。

その限界をよく考えれば理解できるはずなのに、

そういう限界を考えてあげもせずに、ただ単にルール違反だからと非難できる社会って・・・日本人として誇れますか!!?

まあ、知らんけど…