うつけの兵法 第十四話「紙一重」 | ショーエイのアタックまんがーワン

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【第十四話 紙一重】桶狭間へのカウントダウン 残り14年

〔ドラフト版〕

 

馬鹿と天才は紙一重と言われるが、

一般的には馬鹿に成るか天才に成るかは

紙一重で解らないという意味で理解されているだろう。

しかしそれは大きな間違いであると言える。

簡単な話、現代風に言えば理系と文系ではものの見方が根本的に違う点である。

1万円札の福沢諭吉の名言

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。」

 

これを文系の人は、先ず人類皆平等という意味で理解し感動する。

皮肉屋の意見だと、この言葉が「学問のすすめ」からきている事から、

学問の機会は平等に有るべきで、結果勉強したものが勝つのだという意味で資本主義の基礎を説いたと伝える人も居るわけだ。

文系の人は、こうした解説を読んで「成程一理ある」と言った感じで納得するだろうし、根拠なくそうではないと否定するかもしれない。

 

では理系というか論理的な思考で見ると…

先ずは言葉上の矛盾に気分を害し、何故その言葉を用いたのかを深く追求してしまうのだ。

勉強したモノ勝ちという意味に成るなら、勉強したものが人の上に立つという意味で、根本から「天は人の上に人を造らず」という意味から逸れてしまう。

福沢諭吉を軽視して、こいつの言葉は矛盾だらけとしてしまえば、それはそれで終わりな話になる。

しかし、福沢諭吉を軽視せずに矛盾が生じる言葉の意味をさらに追求すると…

実は資本主義の話では無く、寧ろ民主制における個人の権利を説いた意味なのではと解釈できてくる。

その個人の権利を守るために学びなさい、でなければ貴方の権利は守られず権力に使われるだけの存在にしか成らない。

と、言う意味で理解すれば言葉の意味と「学問のすすめ」の意味は合致する。

恐らく「学問のすすめ」で伝えたかった本意はそこに在るのでは…

ただしこれが否定されるなら合理主義者は、

成らば福沢諭吉の言葉には何の価値も無くなると結論付けるだけなのだ。それ以上の議論も無駄。合理性が無い。で、終わり。

 

天才は合理的な意味で通じるなら受け入れるが、非合理になった時点で「無意味」と捨て去ってしまう。

一般的には福沢諭吉の言葉だから「正しい」のだと、どの様な解釈も受け入れてしまうのだろう。両方の解釈を採用して十人十色でその感性も異なるという形にして綺麗に纏めようとする。

結果、天才からすれば合理性の欠けた矛盾した言葉に成るから意味不明と切り捨てるのに対して、一般的にはそれを無礼な行為と咎めて理解しようとしない事をバカにするだろう。

 

吉法師が勉強に興味を持たなかったのは、こうした「無意味な学問」に成ってしまう話を強要されるからで、それを受け付けない故にうつけとされたのも事実だ。

ただ、勉強をしないのは本当に動物的な本能だけで生きて行くタイプと同じ行動にも成るゆえに一般的な見識でその心を判別するのは難しいとも言える。

 

沢彦の誘導もあって、農民の子らと領主である証明として治水工事を行う約束をした吉法師は、その沢彦と共に守役であり那古野城の実質的な賄い頭である平手政秀の下を訪れた。

吉法師は城主として那古野村の石高を高める為に治水工事を行うとだけ説明した。

ある意味、突拍子もない言い方である。

その後、沢彦から事の経緯を聞かされた政秀は、

 

「その様な話で治水工事を行うとは、それこそ城主としての我がままでしか有りませぬぞ!!」

 

と、吉法師は政秀から叱責を食らった。

 

那古野村に水を引くには、当時の地形でも清州との境界にある庄内川から治水せねばならなかった。

現代のゲームの様に簡単に水を引ける話でも無かったのも事実で、濃尾平野と言われるほど平地であった那古野に水道を造るのに約3キロ、また庄内川の水かさをそれなりに上げなければ、農地まで水が届くことは無いとも言えるだろう。

いわば川の水位は農地が存在する平地より低い所流れていたと想定でき、その水を農地に持って行くにはその水位より低くなるほど掘り下げるか、水路の手前に堰を設けて水位を挙げた上で流す必要性があったと言える。

そんな工事を簡単に出来るはずも無く、ましてや主家筋となる清州が簡単に認めるとも思えなかった。

そうした説明を政秀は吉法師にした。

無論、教育係として沢彦が「水は高いとこから低い所に流れるもの」

だという補足の説明をした上で、吉法師はその話を理解した。

 

そして政秀は、

 

「若は、今の話を理解したのですか?」

 

と、吉法師に聞くや、

吉法師は、

 

「理解した。」

 

と、言い放ち、

 

「成らば清州が納得するようにすれば良いのであろう」

 

と、切り返した。

これに政秀は、

 

「どう清州が納得するのですか?弾正忠家の石高が増える話を快くは思ってくれませぬぞ…」

 

すると吉法師は

 

「ならば清州にも堰(セキ)で止めた水を分けてやれば良いのではないか?」

 

吉法師は続けて、

 

「清州も同じ条件で石高が上がるのなら、その堰を設ける話は双方が利する話になるのだろう。」

 

と、問いかけた。

戦略的な視点で考えていた政秀は吉法師の発想に驚いた。

寧ろ、大人になれば成程、こうした大人の事情が絡んできて、現代風にいう「WinWin」な考えは中々思いつかない。

いわば自分たちが相手より優位に成る事に固執してしまう。

ある意味、自分たちの領地の石高を高めて、相手の石高は現状維持にすることが出来るなら有利に慣れるという話だ。

しかし、あからさまな行動だと相手がそれを警戒する。

ただでさえ津島や熱田を押さえて経済的に優位に立つ弾正忠家が石高でも更なる力を付ける事は警戒されるだろうと政秀は考えていたのだ。

そうした視点より何も知らない子供の方が得策を唱える場合も有るのだ。

無論、清州がその流れに簡単に乗る保証はない。

寧ろ「WInWin」という発想より、弾正忠家がより力を付ける話に感じられないとも言えないのだ。

しかし政秀は吉法師の言葉で、その交渉を進められる可能性は見いだせた。

そこで政秀はあえて更なる課題を吉法師に与えた。

 

「では、その工事の原資はどうされるのじゃ?」

 

原資とはいわば資金のことである。

無論、吉法師は原資という言葉を知らないが、

沢彦が、

 

「原資とはお金の事じゃ」

 

と、また説明した。

どれだけ天才肌であっても何でも発想で乗り切れるわけではない。

寧ろ、

 

「那古野の城の金でやれば良い」

 

と、子供らしく言い放つ。

すると政秀は、

 

「城にはその為の資金は用意ありませぬぞ・・・戦でも起こったら負けてしまいます。」

 

と、吉法師にも解りやすく説明した。

無論、現代人の様に「働く」なんて発想は思いも付かない。

政秀に資金の事で拒まれては、吉法師は打つ手なしであった。

ところが沢彦はこの話の流れを面白いと感じた。

 

「政秀殿。若に少し時を下され…金の作り方を色々教える機会にしてみたいでのう。」

 

その言葉に政秀は

 

「成程…では、若、沢彦殿としばし相談なされよ」

 

と、言って席を立った。

 

如何に天才と言えども、知識の無い所からは発想は生まれない。

知識は学問のみならず経験や観察力によって得る事も出来る。

しかし既に存在する知識ならば教わる方が何倍も速い。

いわば学ぶという事は本来そういう意味で教わるものだ。

吉法師は今、必要に迫られた状態で沢彦から世の中の経済を学ぶことと成る。

ただし吉法師のそれは天運に恵まれ沢彦という、いわば家庭教師を得れたにすぎない。

もしそれが無いのなら、吉法師、後の信長はもっと長い時を費やして、さまざまな事を経験しなければ才能を開花できなかったと言える。

 

沢彦は吉法師に、

 

「さて、どうやって金を作る?」

 

と、あえて漠然とした質問をした。

吉法師は少し考えた。

沢彦はこうして考えて色々な発想をあえて思い浮かばせるのだ。

すると吉法師は、

 

「城にある名品を売って金には出来ないか?」

 

すると、沢彦はその答えに目をつぶって暫くの時を得てから、

 

「うぅむ…成らば熱田にでも行って知恵を拝借してみますか?無論、しろの名品を売るというのは最終手段で、それ以外に何かやり方があるやも知れん。」

 

すると吉法師は、

 

「ならば弥三郎の親父殿(加藤左衛門)に会いに行こう。」

 

弥三郎は熱田の加藤家次男という事は以前紹介していた人物で、武家見習いとして那古野に入って吉法師と共に学び、悪童の仲間として活動してる一人だ。

それに対して沢彦は、

 

「では、悪童全員で熱田に行きまするか」

 

と言い、準備を整えた後日、熱田へと向かった。

以前熱田を訪れた際は、実に物々しい状態であったが、吉法師が愛馬「たま」こと「天翔」に跨って動けるように成ってからはかなり自由に

成った。

それでもその陰で河尻秀隆や佐久間信盛が動いていた事には変わりはないのだが、馬を飛ばして行けば熱田までの5,6キロの距離はさほど遠くない。

現代競馬の天皇賞・春が3200m(3.2キロ)ほどあり、その勝ちタイムは3分20秒位で、そこから逆算しても10分程度で行ける距離と考えてもいい場所に成る。

 

沢彦は前もって左衛門に予定を取り付けた上で、直ぐに会えるとの返事であったため、早速熱田へ行くことが適った。

 

吉法師らは熱田へ到着するや、以前信秀がやったとき同様に、熱田神宮東門に馬を止めて、本殿を参拝した。

本殿を参拝するや悪童の仲間、千秋季忠の父親がここの宮司としてこれを出迎えた。

これに悪童ではなく礼儀正しい作法で対処した吉法師を見て、他の悪童たちもそれにならった。

以前熱田に訪問した際、学んだことがこういう場面で活きてくるのだ。

それは熱田の加藤左衛門が出迎えた際も同じである。

吉法師は大人の儀礼を見事に酌み交わして、初めての経験と成る他の悪童に手本を示したのだ。

そうした手本を示せることで、単なる肩書だけのリーダーでは無く、

リーダーシップを示せるリーダーとして意識させることが適うのだ。

そしてこうした事で他の悪童たちは吉法師に本心から敬意を払えるように成る。

 

現代社会でも同じである。

リーダーとは英語で「LEADER」で、「LEAD」する者を意味する位は知っていると思う。

ただ、「LEAD]するという言葉は、スポーツの先行するという意味では無く、「導く」という意味に成る。

これを理解していても、リーダーであるという「先行」の意識が働いて、「導く」が出来ない人間が多くいるのも事実だ。

 

ここで吉法師はただ単に父・信秀より教わった作法を他のものに示したに過ぎない。

しかし、その作法は堂々としており、流暢に見えれば見える程、他の者たちに感銘と尊敬を与えるのである。

また普段の粗暴な吉法師とのギャップも彼らを驚かせた要因と成った。

他の者たちはそんな吉法師に習ってタジタジながらも作法に従った。

無論、加藤弥三郎や千秋季忠は吉法師同様に慣れた感じで応対できたのだが、それでも吉法師の堂々とした振る舞いに敬意をいだくのだった。

 

リーダーとは口先で知識をひけらかすだけの者では務まらない。

行動で示せる者が適正なのだ。

自らを他人への手本として示すことで、他人は感銘を受けてそれに習おうと意識する。

口先で指示するだけの人間は、ただ単に権限に従わせているにすぎず、人は表面でしか受け入れない事を知るべきなのだ。

寧ろ行動で示せるリーダーは他人が自分に従ったり、尊敬を求めるような意識は持たず、部下がミスした場合それをサポートする事に自然務めてくれる。故に自然とリーダー性への敬意が持たれるのである。

 

長いものに巻かれる日本社会では、こうしたリーダーが評価されにくいのも事実で、忖度、媚び諂いの中で権限だけが先行してしまうのは本当に残念な話だ。

結局、外交上の対等な場に成ると相手に太刀打ちできなくなる。

いわば世界をリードできる人材がその立場にないこの国が世界をリードできるはずが無いという事だ。

故に失墜していくのだ。

戦国の世で失意していく国は、結局リーダー性の欠如が齎した結果とも言えるだろう。

 

熱田の加藤左衛門はあれから少し成長した吉法師に、

 

「しばらくお会いせぬうちに、随分とたくましく成られたようですな。」

 

「あれから剣技なども習い、今では馬も乗りこなせるように成り申した。」

 

「なるほど…どうりで武士らしい面構えに成られた訳ですな。」

 

そう談話をしながら左衛門は交渉用の座敷へと案内した。

左衛門は城主であり客人である吉法師を上座に座らせて、自身と他の者は下座で連座するように計らった。

すると同席したした沢彦が、

 

「左衛門殿、こたびは商いを学びに伺った故に、この様な配置は好ましくありませぬ。皆下座にて対面する様にお願いできませぬか?」

 

すると左衛門は上座に案内した吉法師を見た。

吉法師もその目線を察してか、

 

「左衛門殿、構わぬぞそのようにお願い申す。」

 

と、礼儀正しく答えた。

吉法師は案内されるがままに上座に座ろうとしただけで、別段そこに拘りを持っていなかった。

すると下座で縁側よりの入り口側に左衛門が座り、その奥側に吉法師ら客人を座らせて交渉の席を取り繕った。

そして左衛門は、

 

「交渉の席で有るなら、この様な形が望ましく双方が対等であるという形に成りまする。」

 

と、説明した。

すると吉法師は、

 

「入り口側が家主に成るのか?」

 

と質問した。

吉法師は好奇心旺盛でこう質問するのではない。

吉法師は合理的に理解しておかないと忘れるから合理的な意味を知りたいのだ。

いわばこういう配置が当然だから覚えろでは忘れてしまうのだ。

ある意味、右と左がどっちだか解らなくなる。

また場合によっては上座と下座で交渉する場合もあり、日本では馴染みのない英国式の円卓のような形もある。

どういう場面で使い分けるかをハッキリさせる意味で理屈が欲しいのだ。

様々なケース様々な方式を覚えるのに、こういう場面ではこうだからと記憶していくのは面倒くさい。いわばそれを覚えるのに暗記する時間が無駄という話に成るのだ。

天才ゆえの思考と思われがちだが、基本海外の学生はよく質問する。合理的な理解に成れたものはその方が効率良いと理解しているのだ。

単純に理屈で理解すれば、忘れても道理で思い出せるので簡単なのだ。

いわば、「こういう場面だからこういう理由で使えば失礼は無い」という理解で同じことが思い浮かぶように成る訳だ。

 

吉法師の質問に左衛門は、

 

「入り口側が家主である方が理想です。何故なら襲撃が有った際に最初に切り殺されるのは入り口側で、客人はしばし身構える猶予が出来るという配置に成ります。」

 

すると吉法師はその座敷の下座側の引き戸を差して、

 

「そこから襲撃されたら対等…いや寧ろ家主が縁側に逃げやすくとなるという事か?」

 

と、更に質問した。

この質問には左衛門も驚いた。

優秀な商人は柔軟に話を理解できる。いわば合理的だ。

故に自分が気付かなかった事を気付かされた時は、素直に受け入れるのだ。合理的でない者は矛盾してでもそれに対抗してしまう事はよくある話で、そういう矛盾で対抗する人間なら吉法師は信用しない。

左衛門は、

 

「確かにそう成りますな…」

 

と、吉法師の質問に大いに笑いながら、

 

「では、家主の特権という事で縁側に逃げ道を設ける為としましょう。逆に客人に失礼な話に成りますが」

 

吉法師はこういう素直な回答が好きだ。

それと同時にこの天才少年は上座と下座の配置も戦略的に理解するのだった。

上座の側に小姓を置き、下座の両端に家臣を、そして客人を真ん中に座らせるのは、上座の主が守られるための配置であると。

そしてそういう仕来りから通例の常識は自分の身を案じて考えても良いという事でも理解する。

もし左衛門が合理的では無く、通例の常識だからと回答するなら、吉法師はそんな話は受け入れないだろう。そしてその通例の常識を受け入れない故に「うつけ」とされるだろう。

紙一重とはこういう話でもあるのだ。

 

左衛門はいよいよ本題の話へと切り替えた。

 

「して、本日はいかようなお話を?」

 

すると吉法師は、

 

「庄内川より那古野の村に水を引くため資金が欲しい。どうすれば良いのか?」

 

すると沢彦は礼儀に関して口を挟む。

 

「若、教えを乞うのなら、どうすれば良いか教えていただきたく、とする事でより相手の知恵を引き出しやすくなるのですぞ。」

 

と、言うと吉法師は素直に、

 

「どうすれば良いか教えていただきたく思いまする。」

 

と訂正した。

吉法師が政秀と異なり沢彦の話に耳を貸しやすいのは、実は沢彦が

「知恵を引き出しやすくなる」という「利」の話で語るからである。

逆に「相手に失礼だ」という言い方に成ると、「何が失礼なのか?」と人間は反発心を抱くのだ。現代のネット上ではこういう事でぶつかり合う事が多く、結果、「失礼」とは誰に対してに成ってくる。

人間対等なら「礼」は不要である。そう考えて礼を用いなかった者が失礼なら、それを指摘する方も失礼。礼を意識して考える側も失礼に値するのだ。

礼はあくまで相手に敬意を与えてその敬意から生じる「利」を説かねば、礼を払っても礼を受け入れずに交渉を閉ざす側は更に「失礼」に成るのだ。

「礼」に心など求めるものでは無い、「礼」を以て「礼」で返すことで初めて作法として成立するのだ。

そういう意味で左衛門はこう切り返した。

 

「若輩ながら、私でお力に成れる事なら何なりとご協力させて頂きます。」

 

と、丁寧に伝えた。

そうした中で吉法師は那古野の村に治水を行う話を伝え、その資金を何らかの方法で捻出できないかを尋ねた。

すると左衛門は、

 

「成程、それは実に興味深い話ですな。」

 

現代の地図を参考に地形見ると、名古屋駅周辺に江戸時代の堀以外に川と呼べるモノは通って無かったと推察できる。

清州との境に流れる庄内川は現代の名古屋城北部には流れており、この一帯が米作りの中心だったと思われる。

川から2,3キロ以上離れた名古屋駅付近は寧ろ畑中心のエリアであったと言えよう。

 

畑の作物は収穫から長くても一月しか持たないが、米なら1年以上は持つ。畑作の農民はその米をある意味買わねば成らない。

畑にも租税が掛けられるため、大人一人の一年分=1石を得るのは大変な時代であったとも考えられる。

1石という単位は、お酒で有名な升で100升分。

升と言っても解りづらいので、

米を炊く際の目安である1合でいうと1000合分である。

現代の単位で1合=180ml=200グラムで、50合=10Kgと成る。

1000合はいわば200Kgで、10Kgの米袋が20袋積み重なった状態である。

現代の価格では、米10KG=4000円(コシヒカリ)で、

20袋=8万円だろうが…それが一人分。

農業技術の進化した現代でも、4人家族で年24万のコストな訳で、戦国時代の価値ではおおよそ10倍近い価値に成るとも考えられる。

 

ある意味、現代の月収20万円の年収=4石と換算しても良いかもしれない。

 

米の収穫面積は1反(たん)=300坪=991.7㎡でこれで1石分の収穫量とされている。

解りやすく言えば、31m×31m=1反というおおよその計算に成る。

サッカーのフィールドが100m×65mとすると、大体6反分の面積に成ると言える。

ここまで考えると田んぼの面積は想像しやすい。

 

左衛門は庄内川から那古野村に治水した際、そこで広がる田んぼの面積を推測し計算した。

長さは3キロで、新田と成るのは内陸の2キロ分。

治水から水路を伸ばして300m位。

2000m×300m/1000=600反。

ざっくりと600石増える計算に成る。

無論、こうした計算法を当時の尺などに変換して吉法師にも説明した。

治水に掛かるコストをおおよそ100人で1期(3か月)で換算して、1石=1人工/年で換算すると、25石分の必要となる。

この資金を左衛門が用意して、吉法師に貸し出す話をした。

 

返済はおおよそ600石増えるところから、利息を付けて100石分で返済するとし、25石分を4年間でどうかという提案をした。

年利でいえば75%と闇金顔負けの金額だが、生産量の増益分から換算すると17%分で、この増益分は吉法師にとっては何十年と続く話だ。

そういう相場で考えると良心的と考えられる。

沢彦もこの話を聞いて妥当と判断した。

吉法師に相場がどうかの知識は無い。

普通の人間ならそれ故に困惑するだろう。

しかし、吉法師はうつけである故に、

左衛門の話を好意的に捉え、

単純に増える石高にその利を見出した。

この時代でも一般的には交渉の段階で値引きをするのが常である。

左衛門もその辺を踏まえて25石の4年間とした。いわば別段25石の2年間分50石の返済でも構わないと考えていた。

ところが吉法師はそんな値引きをすることはしなかった。

沢彦も値引きをするもの踏んでいたが、

吉法師はほぼ即答で、

 

「ならば、それでいい」

 

と、承諾した。

沢彦は一応、

 

「商人との交渉の席では多少の値引きは構わないのだぞ。」

 

と、吉法師に教えるが、

 

「いや…条件はそのままでいい。俺が損する話ではないなら、左衛門殿も儲ければいい。」

 

と、言い放った。

吉法師は強欲かもしれないがケチではない。

普通なら些細な利益も追求して考えるだろう。

100円でも安く、10円でも安くという考えだろう。

吉法師は寧ろ興味を持たない。

いわば4年間で100石分の米高で自分は600石の領地が増えるのだから、100石の内50石分の米高をケチる必要性は無い。

寧ろそれだけの利益が見込めるなら、言い値で構わないという発想だ。

逆に言えば左衛門のお陰で自分は何の出費もせずに、目的が果たせるのだから寧ろ有難いと考え、その上で儲けが見込めるならそこに執着する事はしたくないという気持なのだろう。

良く言えば度量が広いと言えるが、

一般的にはネギリをしない事で寧ろ「うつけ」と見られても可笑しくは無いだろう。

 

左衛門は前者の度量の広い人物と吉法師を評価した。

吉法師を儲けさせれば自分達もそれだけ大きな利益が見込める。

そういうj人物ゆえに大事にし、そして育て上げたいと考えるのだ。

逆にケチ臭い相手なら、寧ろ儲けの少ない取引相手ゆえにそこまで肩入れしようとは考えないだろう。

 

結果として吉法師の判断は長い目で見た時に正解に成るのかもしれない。

 

勿論、沢彦も吉法師を良い形で評価した。

いわば目先の小さな利益に固執せず、それ以上の利益に満足する意識を評価した。

いわば大局を見据えて小事を捨てられる。

そういう人物と見極めた。

そして後の信長と成る吉法師はそういう人物であったのだ。

 

こうして吉法師は治水の原資を得る事が適い、約束通り那古野村に治水を齎す一歩を得た。しかし…次の問題は清州との関係である。

 

どうも・・・ショーエイです。

多くの人が天才というものを美化して考えている。

漫画などでも天才キャラはクールで冷徹な感じ表現される事が多い。

ところが実際のそれはただお勉強が出来るだけの秀才の事で、

天才では無いのです。

現実の天才を見て下さい。

ディエゴ・マラドーナ、長嶋茂雄など、

どこか爆裂した感じで、生きざまにインパクトがある感じです。

無論、メッシであり、イチローも天才の部類ですが、

基本天才と言うのは他の人とは感性が違う故に理解されにくい人が多いのです。

クレヨンしんちゃんの野原しんのすけも天才キャラと言えばそう成ります。

 

天才と言うのは普通の人が拘るところは捨て去れて、普通の人が気にしないところ気にするのです。

値切るというのは生活を切り詰めて考える人などにとっては大切な生活の知恵です。

ところがそういう値切りなどには興味を感じないのが天才なのです。

値切る時間の無駄。高いと感じたら買わないだけ。

寧ろ拘るのは、買った後の品質です。

価格に見合う品質なら問題視しないが、価格に見合わない品質またはサービスだと激怒する。値切ればそれだけこちらが不利に成る。

 

金銭感覚の違いと言うかも知れないが、安いものを安く買っても安いものは安いものという感覚で、寧ろ良いモノを相応の価値で買う方が価値ある買い物と考えるのである。

天才は野心的な考え方でもあるゆえに、庶民とはその時点で感覚が違うのである。

ところが値切らない値切れないという風にも見られ、そういう姿勢を馬鹿にされるのも天才なのです。

 

他人は他人、自分は自分。それ故に社会性は全くないのが天才です。

他人にどう見られようが気にしないタイプが多く、トラブルを起こすのも天才ゆえなのです。

それ故に馬鹿に見える。

天才ほどコロナ禍でマスクをしないとも言えます。

いわばマスクを付けるという行為に拘りを感じるのです。

信長的に考えれば、

マスクを付けていると命乞いしているようでヤダ。

そんな拘りです。

逆に自分の命大事な人は天才でもマスクをします。

むしろ命大事な人はマスク着けて防護していれば良いだけの話。

自身はコロナに感染しても文句ないし、感染したら死ぬかもしれない。

そこは承知の上で、天才ほどその時に腹を括って死ねたりする。

いわば自分の考えに責任を取ろうとする。

感染したくない人がマスク着けているのだからそういう人には迷惑掛からないだろう…いわば会話しなければ。

 

ここが天才のポイント。

と言うよりマラドーナ的主張とでも言うべきか…

 

マスクせずに会話して文句を言われたら…

君がマスクをしているなら問題ない。嫌なら会話しない。

 

マスクをしていない事を言われたら…

感染したくないなら声かけるな!!そうすれば喋らない。

 

インタビューなどの際に指摘されたらこういう言い方をするだろう。

 

社会に反発心を持つため馬鹿にされがちだが、

法律上で義務化されているわけで無いから問題ないで終わりなのです。

義務化したら?

マスクが再び品薄に成って社会問題に発展するかも…日本だと。

 

いわば天才であればあるほど他人と自分の違いを明確化する。

十人十色で個人個人の考え方の違いがあるゆえに、

その個人の見識をぶつけて争えば喧嘩に成るだけ。

喧嘩に成れば絶対に勝たないと気が済まない。

社会がでは無く、個人の考えを尊重しろが

天才の社会性としての結論なのです。

他人は他人の考え方で生活し、それはそれで尊重する。

マスクを付けるも付けないも個人の考え方次第。

感染に気を使う人はマスクをして、

気を遣う気が無い人は自己責任で…

 

医療崩壊やら感染をまき散らす行為という話も、

医療崩壊?自宅待機者がこれだけ居て何を言っているのか?

感染をまき散らす?その前に安心して自宅待機出来る社会システムでロックダウンしろ。

 

根本的に個人の生活を制御するのは難しい。

その上での自宅待機というロックダウンだが…

個人の生活コストが嵩むだけで、ストレスが生じる。

そこまで計算してロックダウンしろという話です。

 

マスクをしろという話では無く、

寧ろ無症状の感染者をPCR検査ガンガンやって隔離しろ!!

 

根本的にマスクを着用して外出して、無症状感染者がどこに潜んでいるか解らない状態で放置している事が問題でなのです。

マスクするしないの話は関係ないのです。

この合理的な部分を理解している故に、

マスクしても意味無いよ。感染する時はマスクしてても感染する。

と、知っているのです。

 

一般的にはマスクに拘るだろうが…

天才と言うより一般的にクレイジーな人は

無症状の感染者を放置している社会が一番問題なだけという事なのです。

 

紙一重とはこういう話です。