うつけの兵法 第六話「熱田」 | ショーエイのアタックまんがーワン

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【第六話 熱田】桶狭間へのカウントダウン 残り16年

〔改訂版〕

 

信秀は吉法師を抱えて熱田へ到着した。

一行は先ず熱田神宮を訪れて、

そこに馬を置き神宮を参拝した。

 

江戸時代の宮宿の図を参考にすると、

現在の熱田神宮の西側から南に掛けて

熱田(宮宿)の街は広がっており、

現在の地図で堀川から先の南側は、

海が広がっていた状態である。

※ブログ版なのでネット引用の地図を載せます。

 

神宮の西側の通りは既に街を形成していたため、

信秀ら一行は神宮東側より入って、

東門に馬を置いた。

そして、本殿を参拝した後に、

徒歩で南門へ向かい熱田の街に入った。

神宮境内を出るとそこには大きな港町が広がっていた。

多くの船が行きかう波止場があり、

街路は網目の様に形成され、

いくつもの建屋で埋まっていた。

 

吉法師は信秀に連れられて、

そこから東海道の本道に該当する、

大通りへと出た。

 

真新しい光景に吉法師は興奮して、

 

「まるで明〔みん〕の様ですな」

 

と、明の絵巻で見た光景を例えて信秀に伝えると、

 

「堺はもっと大きいぞ」

 

「堺?」

 

この時吉法師は日ノ本に

堺という場所が有る事をまだ知らない。

すると信秀は真西の方角を差して、

 

「あの山を越えて先に行った場所に堺という街がある…

堺は今では京より大きいかも知れんな。」

 

と、伝えると

吉法師は更に興奮して、

 

「京より大きいのですか!!」

 

と、興味津々に答えた。

無論、吉法師の中では明の都と京の区別すらついてないが、

京が日ノ本の都である事くらいは知っている。

吉法師一行が大通りに出ると、

そこには多くの人が行きかう賑わいがあった。

供回り入れて総勢50名位の団体であり、

明らかにどこかの領主の一団で有る事は察せられる状態だが、

街に居る人達は何のお構いなしにいつも通りに暮らしていた。

吉法師は那古野とまるで雰囲気の異なる事に疑問を感じて、

 

「父上、何故ここの者たちは普通に暮らせるのです?」

 

その質問だけでは信秀は意味を解せなく、

 

「どういう事だ?」

 

と、聞き直すと、

吉法師は街の人々を見ながら、

 

「那古野の城下で民は私たちを恐れていました。

でも、ここの者たちは父上を怖がっておりません。」

 

ようやく意味を理解した信秀は大きな声で笑いながら、

 

「おお!!なるほどな、そういう事か!!」

 

そして、

 

「ここの者たちは商人だからじゃ!!」

 

と答える。

その答えに吉法師は、

 

「商人?」

 

恐らく現代人でも信秀の答えを理解するには苦しむかもしれない。

すると信秀は少し言葉を考えて、

 

「商人は何も言わずとも大人しく働いて税を納める、

農民は何も言わねば働かず税を隠してしまうからじゃ…」

 

10歳の吉法師にはまだ税の事などよく理解できていなかったが、

商人は何も言わずとも働き、農民は働かないという事は理解できた。

そして信秀は、

 

「農民は服従させて働かせるもので、

商人は儲けさせてさえやれば勝手に働く。

だから領主を恐れなくても構わないのだ。」

 

信秀は君主として当然理解するべき事を伝えたつもりだった。

現代の言葉として聞いても、

労働者と経営者に対して言っている様な話にも聞こえる。

ただし、現代では経営者はよく税を隠す。

 

しかし、天命を得た吉法師には納得できない話である。

いわば農民は領主を恐れて暮らし、

商人は自由に暮らせる。

天命を理解する者には、

次の定めで

「農民に生まれ変わったら地獄だ」

と考えてしまい、

「次、農民に生まれ変わって地獄の様な暮らしに成るのは御免だ」

と想像してしまうのだ。

故に吉法師の中では万民が公平である事が望ましいのだ。

天命を知るものは常に自分が恵まれた状態で生まれるとは限らない事を理解し、

天命は全てに平等であるだろうと思い込んでしまう。

そう理解する故に、初めて特別な使命を帯びるのであって、

それを理解しないものは一時の隆盛を得ることが有っても、

時代に埋もれて行く存在にしか成れないのである。

いわば時代に淘汰されるのである。

無論、世の中が天命を理解できずに淘汰する事も有る。

しかし時代として天命は生き続け、そして新たな時代へ受け継がれる。

エイブラハム・リンカーンもそうであった様に、

天寿を全うする事が天命では無い。

何を残せたかが天命なのである。

 

ただし…信長の天命は何も残らなかった…

全てが夢幻の如く消え去ってしまった。

安土城が消え去ったように、

信長の治世の功績は何も残されていない。

ただ魔王として天下に布武を示した事以外は…

 

この物語では、その実像を解き明かすべく、

細かい情勢を記したうえで史書に残されなかった部分を

解析していくものである。

信長に関連する史書は太田牛一の信長公記などがあるが、

実際は軍書または兵書に近く、公式性はない。

宣教師の残した部分も、細かい領国経営は記されていない。

寧ろ公式な記録を記していた人物は

村井貞勝であったと推測できるからだ。

 

明智光秀は信長に仕える中でキリスト教の知識もあった。

光秀が本能寺へ向かう際に、

信長がキリストの様に成る事を恐れたのである。

いわば信長がキリストの様に神として崇められると、

自らはユダの存在として歴史に残る事を理解していたからだろう。

実際に稀薄では有るが史書の記録などから、

信長の治世は高い評価を得ている。

魔王と称しながらも万民に自由を齎した存在であった。

これを筆者は敵にとっては魔道、味方にとっては仙道をという意味から、

「魔仙」という言葉を生み出した。

ただし魔仙は権力者の象徴であって聖者では無い。

いわば仏教の開祖ブッダが悟りを開いた部分でも有り、

権力者では本来民衆の心に寄り添う事は適わないのだ。

ただ、大陸の諸葛孔明や関羽、そして菅原道真などの様なケースも有り、

光秀は信長がその領域に達する事を嫌ったとも思える。

無論、その領域に達する功績も光秀は認めていたわけで、

ある意味信長の功績を消し去った後に、

すべて自分の功績として書き換えるつもりだったのかもしれない。

 

光秀が実際に狙ったものは信長に関するあらゆる記録でもある。

それらは京の二条城や村井貞勝の屋敷、

そして安土城に有ったと推測でき、

村井貞勝の屋敷は本能寺の目の前に有ったとされているから、

光秀はこれらを側線して攻撃している。

安土城本丸に関しては本能寺の変後、光秀の腹心の明智秀満が入っている。

彼が安土城本丸を焼き払っていないとしても、

それらを占拠した際に必要な物は全て焼失させていると考えられ、

もし仮に何らかの物が残されていた場合、

明智秀満が坂本城に敗走し自害する際、

全ての遺品を掘直政に引き渡しているはずである。

いわばそこに紛れていたはずなのだ。

しかし、その遺品は全て明智光秀の収集物であったとされている。

 

光秀を擁護する側からすれば納得の行かない話に聞こえるだろう。

これこそ正に光秀が日本に残したもので、

「隠蔽すれば全ては謎に伏し、隠れたものは美化される」

という話である。

光秀が韓信に相当する人物で有ると同時に、

曹操という「乱世の姦雄」たる人物であったとする意味で、

自らを美化する策に長けていた点は、

寧ろ現代に至って全てを総括して見れば理解できる話だ。

もし美化される様な誠実な人間ならば、

謀叛では無く、寧ろ出奔していたか、

最低でも正々堂々と反旗を翻したであろう。

謀叛以外に信長を倒す方法が無いとしても、

美化するならその汚名を被る事を句にしたためた訳で、

「時は今雨がしたしる五月かな」

なんて句を残すことは無かったと言える。

これを美化している事事態、

陰湿な定めを受け継いだこの国の実態と言えるのかも知れない。

 

では、実際に信長の治世とはどのようなモノだったのか。

この話はとりあえず桶狭間までの物語としているので、

この辺の話は今の段階で簡単に説明しておこう。

 

信長の治世では楽市楽座などの話が有名で有るが、

寧ろ貨幣経済を農民まで浸透させた事が大きい。

詳しい記録は残ていないので様々な研究者が

勝手な妄想で色々と言っている部分でもあるだろうが…

 

先ず、信長は明の永楽銭を輸入し、自国通貨を作らなかった。

その理由は海外貿易を既に念頭に置いていたため、

独自の通貨では対外的な価値の保証が得られない事を知っていた。

歴史研究家でこの部分を考慮していないのはある意味想像力が足りない話だ。

今でこそ為替が国際基準で成立しているが、

どこぞの国が勝手に通貨を作っていきなり為替の基準に入ろうとしても、

その価値は評価を受けない。

これは明でありポルトガル、スペインとの貿易でも同じで、

それならば信用のある永楽銭を輸入する方が対外貿易で得策と考えた。

また永楽銭の価値は日本国内でも統一の価値で認識されており、

国内流通に関しても信用が得られた点でも便利であった。

 

農民への租税は寧ろ軽かった。

家臣の所領運営に差しつかい無い程度の税徴収を許していた感じで、

検知なども領主単位に任せる方針としていた。

では、信長はどうしたのか?

米の納税を軽くし、信長は米を農民から安く買い取って、

商人にある程度の高値で捌いた。

商人はそれを流通で捌くことで利益を上げる仕組みで、

信長は米の専売やその他に塩、油、酒などの扱い、

大きな利益を上げていた。

これらの専売権は寺社にあったともされ、

そういう意味で本願寺一向宗と揉めたことも考えられる。

 

こうした貨幣経済ベースの治世であったため、

農民は食う為の米では無く、売る為の米を作る感覚になり、

多くの米を買ってもらえれば多くの金が入るという意識改革も生まれた。

例えそれが実際は買いたたかれた値段でも、

税として義務付けられるよりは全然やりがいのあることに成る。

それ故に信長治世の農民は良く働き、

収穫量も著しく高かったとも言える。

いわば米を沢山作れば儲かる仕組み故に、

作業範囲を広げて田畑を耕せば自然収穫量も上がる。

食うだけの為の田畑ならば、

無理せずにそれだけの作業で終わらせてしまうが、

金に成るならそれ以上の作業にも精が出る話に成る。

そういう意味でも収穫量が1.2~1.5倍には上がったと考えられ、

場合によっては2倍にも成ったかもしれない。

 

逆に秀吉は寧ろ農民が金を以て武器を買い、

再び一向宗の様な反乱に発展する事を恐れたのかもしれない。

自身が農民出身であり、野心的な出世を成し得た分、

農民から信長が登場する事を恐れたと言える。

晩年の秀吉は大陸の話を耳に出来た環境でもあり、

黒田官兵衛などから「史記」などの話を聞いたであろう。

史記には秦の始皇帝が没した後、

農民上がりの「劉邦」が漢を興している。

秀吉は権力を握った自らを始皇帝と見定め、

死して生まれ変わる「劉邦」の存在に信長を見たのだろう。

勿論、生前の信長は秀吉に、

「おれは来世で農民に生まれても天下を狙える世にする」

という理想は農民出身の秀吉には聞かせていた話だろうし、

その実践の代表が秀吉自身であったことでも察せる。

故に秀吉は信長を恐れ、そのシステムを破壊した。

 

政治的な見識からも破壊した理由は説明が着く。

いわば信長が農民から買い取っていた米の分は

徴税で徴収すれば良い話で、

税で得た米は寧ろタダ同然で手に入り、

それを商人に流せば利益は更に増える。

これは塩、油、酒なども同じである。

それを権力で服従させれば、信長以前の時代の通り、

世の中は治まるわけで、

天下人としてはそれだけ大きな利益も得られる。

故に刀狩りと太閤検地が実施されているのだ。

寧ろ家臣に対しては徴税による収益も向上し、

領国経営もやり易くなる。

しかし、これでは農民の働く意識は薄れて行くことに成る。

 

信長と秀吉、どちらが賢いかは読み手の判断であろうが、

あえて言うならば、今の日本の経営者が陥りやすいのが

秀吉の考え方である。

いわば日本は秀吉の定めも受け継がれているのだ。

 

他国は旧ソビエト連邦の様な社会主義政策を取っていたのに対し、

信長は既に資本主義経済のベースを築いていた。

今でこそ当たり前の様に理解されているシステムが、

当時ではまだ理解すら及んでいなかった時代で、

信長がそこまでのシステム化していたのかと疑問に感じる人も多いと思う。

しかし兵士ですら金で雇うシステムであった点を考慮すれば、

これが実態であり、その原資をどうやって生み出したかを逆算すると、

ここまでのシステム化された社会で無ければ寧ろ成立しない。

それに対して秀吉は逆行した政治を敷いたことに成る。

 

無論、資本経済の問題点は脱税である。

故に貧相な家臣に対しては軽い税をキッチリ取り立てるようにも指示している。

その際に検地を行っても構わないという大雑把な経営指導で有ったとも言えるが、

結局信長自身はある意味日の本一の豪商で財を成したビリオネアーという存在で、

徴税に関してはほぼ無関心であったと言える。

何故なら租税に頼らずとも、金は幾らでも入って来るのだから。

いわば上納というものを廃止した上で、

織田商事として米の買取などさせて働かせていたと思われる。

所領を持たない下級武士に対しても戦争以外でこうしたビジネスで働かせ、

給金を支払ったと考えれば合理的に成立する。

様々な記録に残っている部分を精査して考えると、

信長治世の実態の辻褄はこうした考えで合ってくる。

更に信長が永楽銭を旗に掲げた意味も、

「I Love 金儲け」という意味の看板なのだろう。

 

同じ時期にしてヨーロッパのルネッサンス期には

農業資本主義や商業主義という資本主義のベースが誕生している。

寧ろ信長が同じ時期にこれらのシステムを考えていないとする方が、

日本人の能力として悔しい話で、

日本でも既にそういうシステムが構成されていたとする方が良い。

ただ、それがキリスト教宣教師によって齎されたアイデアで有る可能性も否定できないが、

恐らく信長なら信秀のこの時の言葉

「商人は儲けさせれば勝手に働く、農民は服従させて働かせる」

からヒントを得て、「農民も儲けさせれば勝手に働くように成る」

という部分は気づくはずで、

実際に熱田などの商人から「専売」という方法の膨大な利潤を教われば

徴税なくして国を潤わせる方法も考えれたと言える。

いわば「専売」とは現代では「独占禁止法」に該当する行為で、

その利益は巨万の富を生み出すのである。

 

光秀や秀吉も定めを受けた存在であり、

それは家康も同じなのだ。

しかし、それは万民を導く意味での「天命」では無く、

寧ろ「運命」という定めである。

もし彼らの定めを「天命」として理解したのなら、

この国だけの話で言えば、家康に天下を取らせる定めだったのだろうと言える。

しかし結果、現代社会の規範となるはずの信長の功績を

この国から消し去ったのならば、

いわば西洋中心のグローバル化を進める為に、

日本はその中心的な役割から遅れを取らせる意味での「天命」となり、

明治維新からの追い上げも、

ただ軍事的な躍進を遂げたのみで、

グローバルなビジネスで日本がようやく活動するのは

第二次世界大戦での敗戦を迎えた後である。

しかし、信長が天命で広げようとした「働く意義」

いわば「人は儲けさせれば自然と働く」

という社会原理は全く理解されず、

寧ろ秀吉の「服従させて労働を強要する」という考えが浸透し、

結果今の沈没寸前の日本が有ると思えば奇妙な「天命」である。

 

いわば信長の天命が世の中によって淘汰されたのは、

日本を世界の中枢として活動させない為の呪縛と言える。

自分の事、日本だけの国益で、

世界全体のバランスを考えられない国が、

世界の中枢に成っても誰も喜ばない。

それは今、2020年現在のアメリカを見ても同じで、

寧ろ禍をまき散らす存在でしか無い訳である。

日本という国が、

平和という武器を前面に掲げて世界に貢献する姿勢が無いのなら、

黙って世界の平和を待っていれば良いという話で、

これが日本の「天命」と成ってしまう。

故に何れも運が齎した「運命」であり、

日本人全体が日本に課せられた「天命」を理解できない内は、

このある意味悪しき「運命」の呪縛によって淘汰される国と成るのである。

 

恐らく信長の様な「天命」を得た者は、

心としての優しさは感じられないのかもしれない。

しかし、これが結果としての優しさに成るわけだ。

むしろ情けや憐みの優しさは

個人の優越感が齎す場合、

いわば己を美化する為のものも有れば、

本当に情という気持から来るものもある。

他人がそれをどう感じ、どう評価しようが、

実は当の本人ですら内心自分を疑う事でも有るのだ。

 

吉法師は我がままである。

寧ろ信長に成ってからは利己主義に近い考えである。

ただ全ての人間を利己主義という考えで割り切る分、

合理的に考えられるのである。

そして自身への裏切りは全て非合理な考えで、

合理的な世の中を阻害するモノに成るのだ。

 

天才の考える事は難しいとされるが、

合理的な世=天下泰平であり、

信長にとって如何なる生を受けようとも、

自分が自分で有り続けられる事を望んでいるだけだ。

その結果は利己主義では無くなり、

共存共栄の社会を齎すのである。

 

自分が利己的である様に他人も利己的であるから、

道徳など不要である。

寧ろ、他人も利する話で自分も利すれば、

お互いが共存共栄する利害を見極められる。

現代風に言えば「WINWINな関係だ」

いわばこれは商道の基本と言える。

 

この時、吉法師が想像したのは

単純に万民が笑って暮らせる世の中である。

ある意味少年らしく青臭い話である。

父親信秀が現実を説いても、

吉法師には関係が無かった。

ある意味、この世に極楽を齎せなければ、

恐ろしくて死ぬに死ねない位は考えたかもしれない。

そして吉法師は信秀に、

 

「私は農民もここの様に暮らせる世にしたいです。」

 

と、ハッキリと言った。

信秀は寧ろ吉法師の優しさから来る戯れと

和やかな笑みを浮かべながら、

 

「もしそれが適うなら天下を取れるぞ!!吉法師よ!!」

 

と、吉法師の頭を撫でながらそう言った。

内心、信秀もそう考えた時期があったのだろう。

誰しもそう青臭い事が過る時期はある。

しかし現実に直面する中で、

不可能に近いと考え大人になるにつれて割り切るのである。

そういう意味を込めて信秀は吉法師に語り掛けたが、

吉法師は

 

「成らば天下を取って、この世を極楽にして見せます!!」

 

と、言い放った。

信秀は「極楽」の話はどうでも良かった。

寧ろ吉法師が天下を目指すと意気込んだ事に

頼もしさを感じ大きな笑いとと共に

 

「おお!!成らば天下を取ってみせろ!!」

 

と、大喜びで吉法師を抱き上げ自分の肩の上にのせて

肩車をした。

二人の会話は単なる親子の話である。

相手の本心などはどうでも良い。

お互いに親子としてコミュニケーションが取れていれば良いのだ。

そして目線が高くなった吉法師に信秀は、

 

「どうじゃ世の中がよう見えるだろ!!」

 

と言うと、

目線が上がって熱田をより見やすく成った吉法師は、

寧ろさっきまでの会話など忘れて

熱田の賑わいに見とれた。

 

「父上!!熱田は素晴らしい所です!!」

 

吉法師のその言葉に信秀は、

 

「ならばもっと楽しい所へ行くか!!」

 

と、吉法師を肩に乗せたまま、遊郭街へと足を進めた。

吉法師はもっと楽しい所という期待を込めて

 

「そんな場所〔ところ〕がまだあるのですか?」

 

と高い目線で見渡しながら聞くと、

 

「宴じゃ宴、熱田はいつでも宴が楽しめるぞ!!」

 

とだけ信秀は伝えた。

信秀が向かったのは東加藤という商人が運営する

芸子の居る遊郭であった。

遊郭とは現代風に言えば風俗である。

ただ風俗と言っても様々だが

信秀が向かった先はいわば名古屋の栄にあるキャバクラ、

寧ろそれより品格のある高級クラブといった所だろう。

現代人からすれば子供をそんな場所に連れて行くなんて、

非常識にも程がある話だろう。

しかし当時はそんな常識などなく、

むしろ現代でも自分の顔の利く店なら常識を考えずに

子供の社会勉強と言う観点で連れて行く人も居るかもしれない。

 

この後、吉法師は素行がどんどん悪くなっていく訳だが…

それを見てどう考えるか、

むしろ天下統一に向けて躍進する信長を見てどう考えるか・・・

それは人それぞれであると思う。

実際はその子供の素養次第でしか無いのが現実で、

常識の中に押し込んでも奇才は生まれないとも言えるのだが…

 

信秀一行が熱田に居る噂は熱田の商人たちの中で直ぐに広がった。

 

熱田商人の権益は加藤家が牛耳っていた。

この熱田の加藤家は

鎌倉時代の加藤景正という瀬戸焼の開祖が本流と考えられ、

その末裔が美濃に移り住み岩村城に居城していたとされる。

岩村城が落城しその身を追われたのちに熱田に移り住んだらしい。

熱田で商業拠点を開設し、その後津島などに分家を派遣することで

加藤家の繋がりを活用した流通網が構築されて行った。

 

瀬戸焼という陶器を武器に豪商で名を馳せた一族と考えられ、

鎌倉時代より続くその家系は

いわば現代風でいう華僑やユダヤ商人の様な繋がりを基礎に、

各地に点在していたと考えられる。

当時の記録上明確な記述は見当たらず西と東加藤の存在は、

どういう形で有ったか時代時代で異なっても来る。

寧ろ信長と信行の御家騒動の話を参考にするならば、

津島でも加藤家が牛耳っていたと考えるべきで、

津島を西加藤とし、熱田を東加藤とする方が話の辻褄が合う。

 

瀬戸焼という高品質な工芸品を取り扱えたことで、

加藤家の商人としての優位性は十分に有ったと考えられる。

現在の愛知県瀬戸市は尾張東部に位置しており、

美濃と三河を跨ぐ場所に該当する。

尾張東部を瀬戸焼の本流と意識すると、

自然、熱田が加藤家の本家であったと推測できる。

この物語ではそのように考えるものとする。

 

所領が分断されていた戦国の時代に於いて

加藤家の様な商人は大事にされていた。

いわばそれらを蔑ろにしてしまうと、

領内に入って来る流通が止まる事も懸念された時代である。

商人側としても流通の拠点を不本意に失う事は、

寧ろ大きな損失と考えるべきで、

両者が共存共栄する上で権益保証という判物を

領主側が発給する事で、

いわば護衛契約という形が取られていたと思われる。

その上で権益保証という契約の中で租税に値する利益の一部が納付され、

契約締結の際にその金額が定められていたのだろう。

 

加藤家の当主左衛門〔加藤景正が四郎左衛門としていた記録から〕は、

江戸時代の記録で西浜御殿とされる場所に

大きな遊郭を構えていた。

熱田の加藤家が後に東西に分かれるが、

記録上の話では桶狭間以後の話である。

江戸時代の参考資料では西浜御殿と東浜御殿があり、

熱田の加藤家が分家した際に分かれたものと考える。

よってこの当時は東浜御殿に加藤家の屋敷があり、

船着き場に近い西浜御殿とされる場所に、

大きな遊郭施設があったとした。

 

西浜とする場所に構えられた大きな建物は、

芸子を抱えたいわば接待用の施設である。

そこに信秀ら一行が訪れる事を想定して、

加藤家当主自ら玄関口で待ち構えていた。

 

信秀の一行が加藤家の遊郭に到着するや、

左衛門は自ら外に出向いて信秀を迎え入れた。

 

「弾正忠さま…当家に足をお運びくださいまして誠にありがとうございます。」

 

と、丁寧に左衛門があいさつをすると、

信秀は肩に乗せていた吉法師を下ろして、

礼を正したうえで、

 

「加藤左衛門殿、自らの丁寧なご挨拶痛み入る。」

 

と、信秀も丁寧に返礼した。

こうした武家と商人の関係性は

大陸より伝わる常識であったとも考えられる。

革命の歴史が強いいわば中国では、

行商人の支援を得て天下躍進に繋がったケースも多く残り、

そうした行商人の離反はある意味脅威とするべきものと考えられていた。

行商人側も力を持たせる相手を選んで繋がりを築く。

いわばどの勢力に投資する方が

自己の権益を有利に運べるかを考えていた存在とも言える。

これは堺公方とされる足利義維〔よしつな〕を抱えた

細川晴元の家臣三好家(元長、長慶)が堺商人より出資を受けて、

勢力基盤を拡大した事でも想定される話である。

特に三好長慶は堺との繋がりは深かったと考えられる。

記録上では1539年に信秀はまだ細川晴元の供をしていた三好長慶に

献上した鷹を与えている。

行商人の情報から早々と有力な人物を信秀は把握していたとも考えられ、

彼がそうした関係を大事にしていた事も伺える。

 

肩車から降ろされた吉法師は

信秀と左衛門の礼儀に準じたやり取りを眺めて、

自らも政秀より散々に行儀を教わっていた事もあってか、

その様子に感銘を受けた。

 

(父上の様な人でも、こういう事をするんだ…)

 

ある意味、信秀が見せたのは上下の関係でなく

寧ろ対等な形の礼儀であった。

故に子供ながら格好悪いとは思わなかったのだ。

すると挨拶を交わした信秀は吉法師に、

 

「吉法師よ、加藤殿にちゃんとご挨拶を」

 

と、促した。

吉法師は勿論、行儀よく、

 

「織田弾正忠家嫡男、那古野城城主の吉法師と申します」

 

と挨拶すると、

左衛門は吉法師に頭を下げて

 

「加藤瀬戸家当主の左衛門と申します。以後、お見知りおきを…」

 

と、大人としての礼儀を示した。

吉法師はこうした大人としての作法に更なる感銘を受けた。

いわば自分が大人として扱われた事より、

寧ろ自分が大人として対応出来ている事に喜びを得たと言えよう。

 

こうした感動や感銘は世の中では些細な事かも知れない。

現代の教育ですら意識はされていないが、

幼少期のこうした経験であり感動は、

青年期を得て大人に成った際に、

深層心理に対する社会的修正力を養うのである。

 

単純に言えば、幼少期に虐めを受けた経験のある子は、

人に対する優しさを感知しやすく成り、

自分が仮に人を害する事をしてしまったら、

すぐさま過ちを認めて関係修復に努める事が出来るように成る。

ただし幼少期のそういう経験を覚えていればの話で、

当人が忘れてしまうと、そういう深層心理は芽生えないケースもある。

 

吉法師にとって礼儀を大事にすることは、

自分も気持ちが良いし、恐らく相手も気持ちがいい事だという、

単純な意味で理解した。

こうした意識は後の信長が

家臣に礼や感謝を伝える部分で生きてくるのである。

無論、逆の意味の癇癪〔かんしゃく〕持ちに成る部分は、

この後の吉法師に降りかかる不運が齎すもので有る事は

言うまでも無い。

そういう意味で信長は2重人格者の様な感じに成る。

 

そうして信秀ら一行は一部の護衛を門前に残して、

加藤左衛門に案内されるまま遊郭の中へと入って行った。

 

どうも…ショーエイです。

さて今日は「傾城の美女」の話をします。

 

「傾城の美女」と聞いて

美人に気を付けろという単純な意味で

理解している人も多いと思います。

でも、実際この話は女性に限った話では無いです。

 

あくまで男が美女の気を引くために、

ついついその言葉を鵜呑みに聞いてしまう心理を語った話で、

美女に限らず友人でも社員でも同じなのです。

 

では、傾城するのは何が原因か?

人間には嫉妬や妬み、恨みという業が存在します。

傾城の助言を用いる人は、

和を搔き乱して自分の立場を高めようとする人です。

 

「あの人は信用してはダメです。」

と、権力者に直接助言する人は全て傾城です。

明らかな結果を以て助言する場合は、また別です。

 

日本という国は実際に「傾城の美女」化した状態で、

 

北朝鮮は信用できない。

中国は信用できない。

ロシアは信用できない。

 

と、自分の好みで言っている人なのです。

信用できないから必ず禍を齎す。

まあ、当たり前の様に聞こえる話を

正論の様に主張してますが…

 

信用してもらっていないなら裏切るというのは

人間として当然の行動なのです。

貴方がその言動で人から信用されなく成ったら、

どうしますか?

 

まあ、見限って裏切るのは常識かな…

 

国際社会が上手く機能していく上では、

裏切らせる様な姿勢はNGなのです。

 

中国に対して脅威としたところで、

今のまま技術躍進が進む状態は継続していき、

信用されない状態で孤立させれば

自己防衛の為に軍事力を拡大するのは当然の流れです。

だって中からしてみれば信用されていない事を理解しているので、

いつ悪者にされて攻撃されるか不安で仕方のない話に成るからです。

 

それで結果戦争と言う状態に成った際、

中国に不信感を抱いていた人たちは、

「ほれ見ろ」

と、言う話に成るのでしょうね。

 

その「ほれ見ろ」を結果として齎したのは、

その人たちの不信感が齎した結果でしか無いのです。

それで戦争に成って勝てれ良いけど…

負けたらもっと最悪。

勝ちも負けも無く、ただ被害だけ発生する戦争が、

現代の状態です。

そういう事も考えずに言って、

結果、国を亡ぼすのです。

 

名君はそういう言葉を鵜呑みにしません。

信用できるか信用できないかは、

お互いの信頼関係の下で、

相手がその信頼を裏切らなければ良いのです。

 

ヤクザな言い方で言えば、

ある境界線を敷いてその境界線を越える真似をしたら

その時は容赦しない。

その境界線は合理的な意味のもので、

国連に於いては国連憲章に基づく話の中で、

内政不干渉という協定上、国の権利行使として

理解できる範疇か、

それとも人権保護の観点から譲歩させる話か、

この辺を「合理的に議論」して妥協する交渉をしなければ成りません。

 

ウイグル問題を例に挙げるなら、

ウイグル人の強制避妊などは人権問題に該当します。

しかしウイグル人が国=中国に順応して暮らす様に教育する事は、

ウイグル人によるテロ発生の事実などから、

中国の国家安全保障上の内国問題と考えるべきなのです。

現状、この境界線が入り組んだ議論に成ってしまう為、

中国政府に妥協させる議論は難しいのも事実です。

 

中国政府の権利としての部分は認めつつ、

人権保護の観点から修正させるべき点は修整するように交渉できなければ、

ただ一方的に西側の価値観を押し付けているだけの話に成ります。

仮に現状のまま中国に圧力を用いても、

中国が何れも妥協する事ない状態に成れば、

ウイグルの人たちの人権は何も改善しないのも事実です。

香港のケースのように寧ろ状況を悪化させかねない。

 

そういう状態で

結果として戦争する事で決着付ける話にしかならなければ、

双方が軍備を拡大して構えた状態を齎すだけなのは

目に見えて解る話です。

その上で南シナ海の話も絡んでくると、

まあ、そういう話も解決しないですねとしか言いようが有りません。

寧ろ、沖ノ鳥島埋め立ての事実が生じる意味では、

日本と中国に対する2重基準をどう策定するかも議題と成る話でも有ります。

 

2重基準が生じる上では、話し合いで中国が南シナ海のケースを

妥協することは無いのも理解できるからです。

 

日本人の言っている話は戦争で決着付けること前提の話でしか無く、

橋下徹くんの持論などは正直幼稚な話として一蹴させてもらいます。

 

自分達の都合の悪い事は隠す。

日本人特有のダメな発想で、相手にバレバレでも

証拠が云々で隠し通す。

基本、証拠はバレてる時点で既に発生しており、

国際基準では疑義を持たれた側が

逆に不正がない事を証明できなければ有罪とする事も出来ます。

「桜を見る会」「森友・加計」の様に、

政府が証拠を隠蔽できる状態で、

証拠を見せろと開き直る状態を良しとするのは間抜けな判決で、

寧ろ刑事裁判では

隠蔽した事実が明らかな状態なら、

不正が無かった証拠を明確に提示できなければ有罪に成ります。

いわばアリバイ証明。

まあ、あれだけの証拠が出てきているのに、

証明するべき証拠を隠蔽した自民政府を擁護するレベルも

民意が低いから仕方のない話として笑うしかないのがこの国なのかも。

 

ある意味、日本を滅ぼそうと思えば、

現状黙ってて勝手に滅んでくれというのがベストな話で、

中国人ですら日本をあえてバッシングせず、

おだてて調子に乗せたまま葬り去ろうと思っているのかも知れません。

 

ほっとけばドンドンダメになるだけなので、

それで良いならどうしようも無いよね。

だって国民の大半がダメに成っている事実から現実逃避したいのだから…

傾城の美女として、日本人は「一番最悪な女化」している事に気づけよ!!

 

上に書いた証拠証拠と言ってバレバレの事実を隠蔽する奴、

他人を悪く言って問題を複雑化する奴、

自分の主張を肯定させる為に

さらに他人同士の関係を悪化させる工作までして、

他人を巻き込んで大きな問題に発展させようとする奴。

 

これって最低最悪な奴だと思わないですか?

傍からみると日本てこんな状態ですよ。