うつけの兵法 第五話「無情」 | ショーエイのアタックまんがーワン

ショーエイのアタックまんがーワン

タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

【第五話 無情】桶狭間へのカウントダウン 残り16年

〔ドラフト版〕

 

那古野城下の視察を途中で切り上げてた吉法師の一行は、

その足を古渡へと向けた。

那古野から南へ約3キロの行程である。

那古野城下の視察時とは異なり、

古渡までの道のりは、道中の人払いはするものの、

平伏させることはしなかった。

寧ろ政秀は先遣隊に命じて、

道中の人に吉法師様を拝むように命じて、

起立した状態で道を開けさせた。

 

この吉法師の一団を那古野から少し下った道中で

目撃した一人の少年が居た。

少年の名は、日吉丸、後の豊臣秀吉である。

少年は父親に連れられて熱田に買い出しに出かけた際に、

その行列に遭遇したのだった。

日吉丸は麻の粗野な服に身を包み、

鼻をたらし指をくわえてそれを眺めた。

立場が異なれば感じ方もまた違う。

日吉丸は馬上で大事に抱えられている

年も同じくらいの吉法師を見て、

少年ながらに羨ましいと感じた。

多くの配下に守られつつ、

我が物顔で道中の真ん中を

悠々自適に通り抜けていく様に、

自分もあんな身分に肖りたいと羨むのであった。

 

無論、日吉丸がこの時期に吉法師と遭遇したという記録は特に無いが、

恐らく尾張中村で幼少期を過ごす上で、

清州であり、尾張のいずれかの領主の行軍に遭遇し、

それに羨む気持ちを抱いたのは間違いないであろう。

その気持ちが晩年夢を達成した秀吉に

憧れていた人を統べるという喜びを与え、

強欲なまでに権力に固執した事を考えれば、

話としては結びつく。

 

勿論、この行列の主が吉法師で有る事を

日吉丸は全く意識してなどいない。

誰であれ自分と年が近い一人の少年が、

羨むくらいに輝いて見えたのだ。

 

(いいなぁ…あんなの…)

 

一方、その吉法師は多くの家来に守られたまま、

難無き道のりを進んで古渡へと入って行った。

齢10に成るまで、ほぼ那古野城から外に出る事の無かった吉法師…

 

ほぼ、とここでしておくのは冠婚葬祭に於いて、

外に出た可能性は否定できない為としておこう。

それは祖父である織田信定が吉法師4歳の時にこの世を去っており、

その葬儀は勝幡城で行われたとも考えられるからだ。

ただ、4歳の時の出来事故に吉法師もハッキリとは覚えておらず、

移動したとしても輿の様なものに入れられて移動した可能性もある。

ただし、これらは現代人の感覚で冠婚葬祭を考えた形で有り、

親族はそれに出席するのが当たり前だという

現代の常識での先入観であるともいえる。

 

戦国時代の葬儀は、喪主である相続者と、

それを認知する重臣が参列するだけという形で十分であったとも考えられ、

親族が必ずしも参列するという事は無かったとも言える。

いわば、吉法師の名代として平手政秀が参列したのみで、

吉法師は那古野に居た事も想定できるのである。

実際に仏式の葬儀が日本で定着するのは、

江戸時代に入った1635年頃とあり、

それまでは火葬や納骨などは行われていたが、

葬儀自体の規模や方式はまちまちで有ったと考えられる。

 

また、冠婚葬祭の度に、物々しい人員を宛がって移動させるなら、

その人員をそのまま城の守りに配置して、

常時緊急事態、いわば紛争に備えさせておく考えの方が

寧ろ合理的な状態であったとも言える。

尾張内外に敵の多かった織田弾正忠家なら、

寧ろそうした警戒状態で考える方が当然で、

自分の意思での移動手段が持てない、いわば馬を操れない子供は、

姫君同様に城の中に閉じ込めておく方が無難と考えても良い。

 

そう考えると実母である土田御前と吉法師が面会できた可能性も薄く、

面会出来たとしても土田御前が那古野へ行く形が取られた可能性が高い。

いわば嫡男の安全を最優先で考えた場合、

嫡男である吉法師は常に安全な場所から動かさず、

寧ろ正妻でも代わりの利く土田御前をある程度の警護の下で

移動させた方がお家のリスクとしては幾分下がる。

戦国の女性が乗馬に長けていたかは育ちの其々で有るが、

供回りを従えて引き馬でゆっくりと移動する方法は一般的であったと思われる。

 

しかし、後の信長と土田御前の関係、そして弟、信行との争い。

それらを踏まえると、実は信長と土田御前の間には母子の情が無いとも言える。

度々、土田御前が吉法師いわば後の信長と面会出来ていたのなら、

会えるまでの「待ち遠しさ」が寧ろ強い情を持たせたと考える。

息子の居ない日常、母のいない日常に意識が芽生えれば芽生える程、

会えた時の絆はより深まるとも言える。

しかし、10年もお互いにその存在を意識しないと、

寧ろ母子でも情は無く、

いわば吉法師にとっては日常に存在しない他人に成ってしまう。

特に吉法師の様に那古野城主として、

織田弾正忠家の若君として育った環境で、

政秀であり養徳院や小政など寂しさを感じさせない存在に囲まれていた分、

実母の存在を意識することは無かったとも言える。

 

そう…

古渡に到着した吉法師が先ず面会したのが、

実母である土田御前であった。

 

一方の土田御前は嫡男の吉法師は那古野に置かれ、

暫くは吉法師を案ずる日々に悩まされたが、

次男の信行、いわば勘十郎が誕生すると、

信秀は勘十郎を正妻の側に置くことを許し、

自身と共に古渡に住まわせた。

故に土田御前の気持ちの中では吉法師よりも、

むしろ自分の手で育てた勘十郎への情が強まったと言える。

 

故に吉法師と実母の土田御前は、

10年以上面識が無かったと考える方が、

辻褄が合ってくる話に成る。

 

巷に存在する小説などでは、

土田御前が吉法師を毛嫌いしていたと書かれる。

おそらくそれはある意味正解であったと言える。

 

吉法師が土田(御前)に面会した際、

上座には土田が座り、その横に勘十郎が居た。

吉法師は父と面会する時と同じように、

臣下の礼を取り、礼儀正しく挨拶を述べた。

 

「母君、土田御前さま…お初にお目に掛かります。

那古野城城主、吉法師にござります。」

 

頭を下げてそう述べる吉法師に、

土田の隣に座っていた勘十郎が、

 

「苦しゅうない、面を上げよ。」

 

と、子供ながらの悪ふざけでそう述べた。

土田は子供戯れと笑いつつ、

 

「勘十郎、吉法師はそなたの兄上じゃぞ。」

 

と、軽く注意する程度に言った。

実は吉法師は全くそれを気にもしていなかった。

寧ろそのまま礼儀正しく面を上げて見せた位である。

この時、吉法師にしてみれば初めて実母に会う事で、

粗相の無いようにと逆に子供ながらに気を使っていた程で、

ある意味少し緊張気味で、些細な事など気にも留めていなかった。

寧ろ同行した政秀は、黙ってはいたものの、

その不義、無礼には少し懸念を感じていた。

 

(何やら…不安がよぎる…)

 

面を上げた吉法師に土田は、

 

「さあ、吉法師や母の側に来られよ。」

 

と、自分の左にいた勘十郎と反対の右側に手を招いて、

吉法師を呼び寄せた。

吉法師は

 

「はっ!!」

 

と返事をして、

少し遠慮がちながらも、土田の隣へ向かった。

 

多くの読者はこの吉法師の礼儀正しさに疑問を感じるやもしれない。

寧ろ勘十郎の方が礼儀を知らない設定は、

通念の見識からすると逆である。

ところがこの信長の礼儀作法

後の斎藤道三と正徳寺で会見したとされる、

道中とは一変して礼節を弁えて対面したというエピソードを参考に考えると、

こうしたメリハリをつける姿勢は、

幼少期より礼儀作法を会得しているから

ごく自然に為せる技と考えれば、

実はこの方が現実味が高くなるのである。

 

無論、実母と初めて接触する吉法師は、

緊張気味で土田の隣にちょこんと座ったまま、

ただ黙っていた。

ある意味、実母に対して人見知りしている感じである。

一方の勘十郎はまだ齢6つの子供で、

母親土田にべったり寄り添って甘えていた。

無言でただ座っていた吉法師に、

勘十郎はそばに有った菓子を手に取り、

吉法師に差し出した。

吉法師は

 

「有難き事」

 

と、礼儀作法から離れられない状態で

両手でそれを頂戴し、口に含んだ。

土田は勘十郎の頭を手でなでながら、

 

「勘十郎は優しい子じゃな…」

 

と、褒めた。

吉法師は菓子を口に頬張りながら、

勘十郎に優しい笑みを返している。

 

そんな光景を見て政秀は少し後悔した。

 

(これは母子のあるべき姿ではなかったか…)

 

政秀は、吉法師に母君と対面する際、

粗相の無いよう礼儀正しく振舞えと念を押した。

無論、吉法師もその土田と会う事は初めてな分、

寧ろ特別な意識を抱いていた。

故に、母子の対面としては何処となくぎこちない。

 

土田は礼儀正しい吉法師の頭をなでて、

母親らしく、

 

「そなたは随分立派に育ったのじゃな…なんと利発で賢い子じゃ。」

 

と、そんな吉法師を褒めたたえ、

 

「政秀殿、誠に感謝するぞ。」

 

と、政秀に対しても労いの言葉を与えた。

この時点では、吉法師と土田の間には

何のわだかまりも生じていなかった。

むしろ礼儀正しく育った吉法師に

土田は我が子として好感を抱いていただろう。

逆に吉法師は堅苦しい行儀を維持しなければ成らない状態に、

徐々に疲れ始めるのである。

いわば実母に初めて会ったという感動が

少しづつその場にいる疎外感を感じさせていくのであった。

 

暫くの時を我慢した後、吉法師は政秀に

 

(もう十分じゃ!!)

 

と、言わんばかりの目線を送って、

その場を終わらせようとした。

それを悟った政秀は、

 

「御前様!!そろそろ大殿の所へ参る時ゆえに…」

 

すると土田は

 

「もう少しゆるりとされよ…まだ会うたばかりじゃ」

 

恐らくその時間は10分ほどであったのだろう、

それでも土田とどう接して良いのか解らない吉法師には

長い時間に感じた。

そして、吉法師は再び土田と対面する場に戻って、

 

「母上、大変貴重な時を有難く思います。」

 

と、挨拶を述べた。

そこに政秀が

 

「日暮れまでには那古野に戻らねばならぬゆえに、

真に失礼ながら…」

 

と頭を下げると、

 

「何ともせわしい話よの…」

 

土田は甘える勘十郎の頭を撫でながらも

残念そうに述べた。

土田は結局、吉法師に好感を抱きながらも、

心の中でどことなく距離感を感じていたのであろう。

故に「去る」という事にあえて無理に引き留める気持ちも無く、

直ぐにその関心は勘十郎へと移ったと言える。

 

土田との面会を終えた吉法師に政秀は、

 

「母君と会われて如何でした?」

 

と、聞くと

吉法師は困惑した表情で、

 

「あれが母君なのじゃな…」

 

と、言っただけであった。

会う前は、まだ見ぬ相手故に色々と思いを巡らしていたのだろう。

しかし、実際、会ってみればくつろげる余裕などなく、

むしろ会ったというだけの満足感でお腹いっぱいに成ったような感じだ。

恐らく普通に憧れる有名人に、実際に会った瞬間、

その人が距離感を抱いて感じてしまうと、

何気に熱気が冷めていくようなものだったのかもしれない。

それは吉法師に限らず、

土田の心にも気づかない程度に抱かせた感情でも有ったのだ。

 

吉法師と政秀は、土田の御所から大広間へ移動して、

そこで信秀に会った。

二人が到着するや、挨拶もままならぬ間に、

 

「吉法師よ!!熱田へ行くぞ!!」

 

と、立ち上がって我が子吉法師を抱きかかえて

颯爽と馬に跨った。

佐久間盛重が吉法師を抱えて馬に乗った様に、

今度は父、信秀が吉法師を前に抱えた。

初めて父親にそうしてもらった吉法師だが、

そこには父子の心地よさを感じた。

母との対面の後のギャップなのか、

吉法師にとっては何だか嬉しい形だったのだ。

そして信秀は予め那古野での話を聞いており、

吉法師の頭を撫でながら、

 

「吉法師よ・・・そなたは面白い感性を持っておるの。」

 

吉法師は何のことか解らないが、

優しく声を掛けてくれる父親の顔を振り向いて見上げた。

 

「よいか…熱田は極楽じゃ!!」

 

と、信秀が言うと、

吉法師は何気にその意味を理解して、

嬉しさと大きな期待を込めて、

 

「熱田は極楽なのですか?!」

 

信秀は頭を撫でたまま

 

「ああ、そなたが見たかったものを見せてやる!!ちゃんと馬に捕まっておれ!!」

 

と言って馬を走らせた。

先頭を駆け抜ける信秀に従う様に、

供回りの者たちも急ぎその後を追った。

 

信秀に抱えられながら馬の手綱を握りしめ

後ろを振り返ってみた吉法師は、

熱田へ向かうその行軍の姿に

ある種の憧れを持つ形で奮い立ったのであった…

 

 

どうも…ショーエイです。

先ず、竹内結子さんのご冥福をお祈りします。

大好きな女優さんの一人だった故に、

本当に何故?という感じです。

 

さて菅政権に代わって感じた事は、

携帯電話の利用料金値下げ…

やるなら直ぐに行動してという話です。

選挙の目玉公約として

一般の人の興味を向けさせるための

方便とも言えそうな話です。

いわば本気なら既に何らかの行動を行っているべきで、

国民にどういう交渉状態に有るのかを

オープンな形で示すべきです。

それが見えない状態は、

ハッキリ言って本気度が無いと考えるべきです。

 

次に、河野大臣の脱ハンコ、脱紙文書。

いわばデジタル化を促進する改革に感じる内容ですが、

隠蔽しやすいシステムにしているだけで、

これも中途半端です。

紙文書よりデジタルの方が消去が簡単だから。

本当に国民の為にこれをやるならば、

隠蔽対策も含めてどうするかを議論するべきです。

ある種民間の第三者機関、

いわば弁護士会でも良いですが、

彼らが文書の不正削除を監視できる様な形で

クラウドサーバーを利用して

デジタル文書を保存化出来るように考えた上で、

脱ハンコの政策を推進するべきです。

 

今のままでは、河野大臣にその意識は無くとも、

間抜けなまでに利用されて、

隠蔽しやすいシステムを促進しているだけの話に成ります。

これに賛同している小泉進次郎もいわば間抜け。

誠実な姿勢を前面に押し出し、

改革を一生懸命アピールしているが、

本人たちは根本的な隠蔽システムの構築に携わっている事に

気付いてもいない。

ただ周りから言われるがままに、

時代にマッチングした改革という点だけで、

一生懸命に成っているだけです。

 

まあ、半沢直樹の様な作品を国民は見ているのだから、

少しはこういう闇の部分を気を付けて見るべきじゃ?

 

日本国民は解らない事は

人任せにして信用するという悪い癖が横行してます。

人を疑う事は悪い事だ、

解らない事に口を挟むべきではない。

という感じが多いにも関わらず、

ゴシップ記事には飛びついて、

噂話レベルで誹謗中傷を平気で楽しむ。

 

ある意味、国民の資質としては最低です。

信念と行動が全く伴わない国民性。

その上、長いものには巻かれろ気質。

 

半沢直樹を見て半沢直樹の様な人物に好感しながら

その実は半沢直樹の足を引っ張る方へ、

知らず知らず踏み込んでいる。

そして現実に彼の様な存在を目の当たりにすると、

青臭いと小馬鹿にする。

 

こういう社会ゆえに、

寧ろ織田信長の様な強硬な姿勢の人物の方が

望ましいのかも知れません。

 

所で…NHKの「麒麟が来る」の信長像…

正直、普通の人にしか見えず残念です。

あんなものは天才の域ではないです。

明智光秀を良く見せる為に、

寧ろ普通の人にしてしまった分、

信長の魅力は全く感じない。

まだ、真田丸の時の市川海老蔵の信長の方が、

奇妙な雰囲気と誤解されやすい雰囲気が出ていて、

好感が持てたと言えます。

 

信長たまを勘違いしているのは

「戦が好き」なのではなく、「勝負事の駆け引き」が好きなのです。

実際に「戦」自体は嫌いなのです。

相手を称えられる戦いなら好きだが、

相手をたたえられない戦は大嫌い。

 

平凡にこの言葉を見れば一緒ですが、

実は全く異なる意味の話で、

スポーツ観戦で応戦するチームがただ勝てば良いという見方と、

勝敗は別としてどういう試合が見られるかを楽しむ

と言う違いほどの差が有ります。

 

また相手が戦う理由も大事で、

明確な大義を以て挑んでくる戦いには大いに敬意を払うが、

大義の見えない戦いを挑んでくる相手は嫌い。

まあ、信長たまが自分本位である点は魔王気質なのですが、

基本的には外交で上手く纏めたい人だったみたい。

そして外交で纏まらない相手は全て敵。

いつ相手が隙をついて攻めてくるか気がかりで仕方ないから、

とりあえず先に潰しておこう。

という考え方。

足利義昭がどうしようも無かった為、上手くやりようが無くなったから、

いわば「俺が天下を取る」という方針に強引に変えちゃったのも

「魔王」気質故の話だけど…

滅茶苦茶な人だねと思わせる位、

「クレイジー」な感じゆえに天才なのです。

実際は戦が嫌いだけど、敵は潰しておかないと安心して暮らせない。

自分の領民たちの平穏を考える上でも、

自分の領地に攻め込ませるわけには行かない。

あるいみ「クレイジー」な気遣いも実は有るのです。

 

また命がけで勝負を楽しむ故に、

相手の動きを良く観察しているわけです、

そして「負ける」時の判断も早く、

損失の少ない撤退を決断できる。

いわば戦で100%勝つ事は無い訳で、

勝ちに拘ればその損失は大きく成り、

そしてその敗北を挽回する事が叶わなくなって、

いずれは滅びる。

素早く負けを認めて撤退することは、

寧ろ損失を少なく抑え、

次の勝負で不利になることは避けられる。

 

第二次大戦の日本軍の戦い方は、

とにかく勝ちに拘って、

撤退を許さず、

結果損失を大きくしていた愚策な訳です。

寧ろ犠牲を少なくしていく考え方の

米軍の戦い方の方が賢明だったのです。

 

打算的に損失少なくすると考える事は、

それに参加する兵士としては、

犠牲が少なく済む話ですが、

打算的に損失の事を考えているから、

その指揮官に心は無いと感じる人も多い。

 

でもね。

心無く判断する人間に、

こういう打算的な考えは生まれないのです。

 

味方の力あっての勝負という事を

常に意識する故に、

味方を大事にする気持ちが優先され、

それ故にそれが最良の選択で有る事を知る訳です。

ある意味「負ける」という恥を背負っても、

何が最優先であるかを冷静に考えられる。

 

寧ろ自分の力を誇示しようと戦う人間は、

負けるという恥を背負う事すら無く、

撤退より決死を覚悟してしまうのです。

 

ただ「戦が好き」という人間は、

勝つことの優越感に浸ることに酔いしれているだけの話で、

普通なのです。

 

戦をするという責任感の下で、

「勝負を大事にする」人は

常に損失の無い、犠牲が出ない方法で挑もうとするのです。

 

まあ、現代風に言えば…

金儲けの為に顧客を顧みずに、

ただ利益だけを追求している企業より、

顧客の事を最優先に考えて、

顧客の満足感から利益を得る企業の方が、

より末永く大きく成長するという感じと同じとも言えます。

 

後者を心無い戦略と考えるのは、

それは無知な普通の人だからで、

そこを理解できないがゆえに利己主義に走るのです。

今の日本はどちらが主流に成っているのか…

そう考えると本当に残念な国ですよね。