どうも…ショーエイです。
W杯の歴史を見て感じた事ですが、
1986年のマラドーナが活躍したW杯は随分昔の話の様で、
オッサン先生からするとついこの間の様にも感じる様です。
人間とは記憶が鮮明に残っていると、
意外と最近に感じる様で、
その部分がボヤければボヤける程、
随分昔の様に感じます。
こうした精神分析を元に人類というモノを考えてみると…
例えばペレ選手・・・
映像ではほぼ白黒です。
クライフ選手に成ると…
若干カラーに入ってきます。
マラドーナ選手に成ると、
ほぼ完全にカラーと成りますが、画像がぼやけています。
そして、ジダン選手の頃に成ると、
色もかなり鮮明に残り、映像の古さが若干緩和されます。
2000年初期から活躍し始めたロナウジーニョ選手に成ると、
デジタル映像化が進み、更に鮮明に成ります。
今の若い世代はメッシ、クリスティアーノ・ロナウドそしてネイマールの時代ですが、
画像が鮮明に残るジダンの時代を見て古いと感じるのか、
それとも歴史的に近い時代と考えるのか…
先ほど話した人間の精神構造…
記憶が鮮明に残るほど近く、ぼやける程遠い…
オッサン先生の様に中年期に成ると、
20代からの記憶はほぼ近い感じらしいです。
これを人類と言う1万年規模で割り出して考えてみると…
1万年前から、紀元前4千年までは、
歴史的な産物がほぼ壊滅的です。
人間で割り出せば0歳から10歳位までの記憶に匹敵すると考えます。
いわば人類の幼年期です。
中年に該当するオッサン先生は意外と3歳位の事も覚えているようで、
アキラ君という保育園の友達や、
当時の近所の事まで思い出せるというのですが…
それでも断片しか覚えていないほどボヤけていると言います。
そして紀元前4千年~ミレニアム2000年に掛けてが少年期。
ある意味。紀元前4千年~西暦1000年までが小学生、
西暦1000年~1500年に掛かてが中学生、
1500年~2000年までが高校生という感じに成る。
ほぼ、1950年~2000年に掛けての映像のクオリティーでも、
古い新しいの感覚は伝わるのではと思います。
更に遡って、アルフレッド・ディステファーノ、プシュカスの時代は、
白黒でもそこまで映像が残っておらず、
ましてや、1930年代のジュゼッペ・メアッツァなど
文章と記録でしか知るよしの無い人物です。
1930年代と言えば…野球ならベーブ・ルースの時代、
1950年はミッキー・マントル、
ペレ選手の2度目のW杯制覇の1962年チリ大会と言えば、
1961年にロジャー・マリスが61号を放った時代です。
マラドーナがペレに対して、
「彼はもう博物館に入るべきだ」
と言った様に、ほぼ博物館の様な時代の記憶です。
王選手がギリギリ現役の頃の記憶は
幼少期のオッサンも覚えているそうです。
でも、記憶の中では既に博物館モノです。
記憶という部分で行けば、書物の品質、
史書の鮮明度などを考えれば
その記録が人類の記憶として徐々に伝えられやすく成ったと言えます。
幼年期から少年期変わる、紀元前4000年から西暦0年までは、
若干の書物が残り、歴史的な動きもかなり詳しくなってきた時代です。
それから西暦0年から1000年に掛けては、
紙の文化が浸透し始めて、
本というモノがその記録を残し始めます。
1000年~1500年に掛けては文化的な書物、
物語、寓話などに限らず、説話、論文なども登場し、
記録がより論理的に残され始めます。
物語などもこの時代のモノは、
若干原本でも小説として読めるモノが登場してきます。
三国志というモノを考えれば・・・
陳寿の三国志の記録が西暦250年頃~290年で、
羅貫中作とされる三国志演技が1300年ころです。
現代では三国志演義ベースの印象が強いほど、
書物としての記憶と言う意味では、
それだけ鮮明なモノと言えるのです。
錯覚なのですが、1300年に書かれた三国志演技が
鮮明に現代に伝わった分、
西暦600年の唐の時代より、
三国時代の方が身近な歴史に感じる。
書物が残す記憶と言うのは、
そういう錯覚も生み出すモノと言えるかも知れません。
更に、1500年~1800年はその文化が更に広まり、
地球規模へと歩みを進め、
1800年~は音が記録の一種を担い始め、
ラジオなども登場し、それがテレビへと進化していきます。
それから2000年までに映像の記録はドンドンと鮮明化していき、
2000年~2018年現在までは、
驚くほど記録としては近い感じに成ったと言えます。
故にここを以てして人類は青年期に突入したと考えても
面白いのではと思うのです。
20代からの記憶が鮮明に思い出されるため、
つい最近の様に錯覚してしまう症状と同じで、
これからの人類の記憶は映像、音声としてより鮮明に記録される分、
歴史としてもより近く感じ始める。
20世紀の1900年~2000年までの長さより、
21世紀の2000年~2100年まではかなり身近に感じると思われるのです。
例えて見れば1914年~1918年に起きた第一次世界大戦と、
1939年~1945年に起きた第二次世界大戦・・・
この間の20年間は意外に長かった感覚に成ります。
でも、この20年を今で考えれば、ジダンの活躍した時代から、
メッシの時代とほぼ同じ長さなんです。
更に、第一次世界大戦は遠い昔の話に感じますが、
第二次世界大戦は、世代としては2世代、3世代経った状態でも、
何故か身近な歴史と思えてしまいます。
それは書物を含みゲームなどでも鮮明に伝わっている点や、
戦車、航空機、潜水艦、大艦隊と現代の技術に類似しているから
とも言えます。
ある意味、三国志演技の効果にも類似しているかも知れませんが、
伝承や記録が鮮明細かく伝わりやすかった時代で、
当時の現役の人たちが生きている時代に、
「はだしのゲン」の様な漫画であり、
写真としても鮮明に残り始めた時代故に、
さほど遠い歴史には感じない。
たったその20年前の第一次世界大戦は、
まるで100年前の出来事かの様に遠い昔の話に思えてしまうほどに…
記録の鮮明度と人類としての記憶の効果は、
こういう点を考えてみても言えるのかも知れません。
因みに日本人にとっては第二次大戦の方が、
ベトナム戦争よりも近い錯覚を覚えるかも知れませんが、
アメリカ人にとってはベトナム戦争が近く、
第二次世界大戦は遠い昔の話に思えるかも知れません。
※アメリカの場合、「プラトーン」「フルメタルジャケット」といった、
映画による記録が二次大戦のモノより鮮明に残された感があるからです。
日本は戦争、戦時中となると第二次大戦を描いて伝える為と分析できます。
では、戦争の歴史と人類の年齢を比較して見ると・・・
幼少期はさほど大きな戦争の記録は有りません。
紀元前4000年代に成ると、近場での戦争が勃発し始めます。
まあ、子供が近所の子供と公園の砂場の取り合いで喧嘩するような時代です。
少年期に成ると砂場からクラスでの優位性を争う喧嘩に成ります。
イジメなどもこの頃に発生する時期です。
いわば権力争いで国の実権を誰が握るかの時代です。
まあ、アレクサンダーの場合はマセガキで、
小学校年少の身でありながら、近所の学校を全部シメちゃったみたいな、
そんな感じです。
西暦が始まるころには、マセたローマは別としても、
クラスから学校全体へと意識の広がりを持ち始めます。
まあ、スポーツでみればチームの一番から
市や区の一番に芽生え始める感じです。
1000年~1500年頃に掛けては、
喧嘩する範囲が学校から近所の学校へ目を向ける感じです。
戦争の範囲も徐々に拡大して行った時代で、
まあ、ジンギスカンは少し暴れすぎの中学生みたいな感じ・・・
でも、そういう中学生は偶に居るよね的な…
スポーツだと県大会、都大会制覇などを目指す頃の様な感じです。
ただ、反抗期真っ盛りの年ごろで、
人類の歴史も喧嘩三昧な時代。
キリスト教がイスラム教ムカつくからと十字軍なんてものが
発生したのもこの時期です。
モンゴル軍が日本をシメにやってきたのもこの時期です。
1500年過ぎからの高校生・・・
まだまだ反抗期ですが・・・
徐々に落ち着きを見せます。
と言うより、反抗期として小賢しく成って来る時期です。
直接的な暴力から陰湿な手法が芽生える時期。
スポーツだと全国大会を意識する時期ですが、
反抗期としては表面でいい顔して
裏で悪い事する知恵がつき始めるころです。
歴史的にみても
「あなたは神を信じますか?」
といって植民地支配を拡大させた時期でも有ります。
まあ、日本も「植民支配を開放します。」と言って、
植民地を拡大した帝国主義もここに該当します。
さて…青年期に入った人類は…
スポーツではプロという状態で世界を目指し始める時期です。
一般的には落ち着く時期に成り、
社会性を意識し始めて友好性を考える年代です。
でも、悪い子ちゃんたちは
犯罪を金もうけの手段として考え始める時期でも有ります。
少年期の終わりごろ…高校卒業する位から、
ドラッグディールなどに染まる子が居るのと同じです。
日本より海外だとより解りやすいかもな話ですが、
歴史的に同時期で考えると・・・
武器の販売や密売が生じ始めた時代です。
テロ組織に誰が武器を流している?
そういう感じで、
落ち着きを見せ始め世界協調を模索する社会とは裏腹に、
どこかに亀裂を生じさせて武器を売りつけようと企む。
普通の人からすれば・・・
「真っ当に社会で働いて安定した生活する方が賢明なんじゃなない?」
いわば世界全体で仲良くやって経済的な安定を目指そうよ・・・
というモノに対して、
「俺らは裏の社会でしか真面生きていけないし、
裏でしか相手にされないんだよ・・・
表に出てただの人で終わるつもりはねぇ・・・」
なんて感じで、
戦争に発展する火種を探してそこに武器を流す…
武器はドラッグ同様に単価も高く、
売れれば儲けも大きい。
ドラッグで快楽を求めて安心感を得る様に、
人間不信、人種不信、宗教不信など、
不安定な精神状態に強力な武器は
ドラッグ同様の安定剤として機能するようです。
青年期と言っても、
まだまだ人類は成熟するには至りそうにないのです。
勿論、大人に成れば腕っぷしの力に頼るより、
金と権力の力に頼り始めるという事も有りますが、
喧嘩(戦争)で殴り合って怪我をするより、
まだ怪我しない分マシと考えるべきか…
それともより精神的に苦しむ状態(経済的圧力)になると考えるべきか…
本当の平穏に至るまでは問題が山積みな時期かも知れません。
でも、人類滅亡…
まあ、核戦争という交通事故に合わない限り、
まだまだ序盤で有る事はいえると思います。
核戦争という交通事故で、
大事に至らなければまだ良いのですが、
下半身麻痺などの症状に至れば、
折角成長した人類がハンディーキャップを背負う事に成ります。
いわば世界の何分の1かが、
放射線に侵されて使い物に成らなくなるなど・・・
記録物の鮮明度が進歩して、
更に情報収集の範囲も広がる。
大人に成って新聞でニュースを読み始める様な意味ですが、
もっと大人として自覚を持つべきじゃ…
因みにヨーロッパに一言モノ申します。
「人種、性別、宗教の差別にNO!!」
という割には、
ロシアに対すする差別が酷過ぎるのでは・・・
ウクライナの問題も、
正直現ウクライナ政権が悪いので…
デモ隊との和解案が成立した直後に、
和解を無視して革命状態にしたことが、
そもそもの問題点。
クリミアの60%近くがロシア系とい事情も考慮すれば、
住民投票でロシアへの帰順を含めた意思に成るのは当然です。
因みにウクライナ系は25%だとか…
民意の尊重を考えるなら、
60%の民意を尊重するのも大事なのでは…
ロシア語を共用語としない現・ウクライナ政権に
欧州の圧力で戻させるというのも
その住民の意思を無視した話に成るので、
それも疑問が生じます。
革命状態で無政府状態となったクリミアでの選挙は、
ある意味国際的な見解では合法です。
いわば、ウクライナの憲法自体が革命と言う
違憲行為によって崩れていた時期の話に成るので・・・
それを現・ウクライナ政府が非難したところで、
元の発端は前・大統領との合法的な処理交渉を
破綻させたからという事に成ります。
前・大統領の不正も合法的、合憲的な処置の上で
追究すべきが民主的な処置であり、
違憲によって倒壊させた後で、
それを理由に正当化しても、
違憲は違憲です。
ロシアがウクライナに対して取った行動は、
そういう意味を含めていると考えられます。
ヨーロッパまたはEUがそういう議論を無視して、
一方的にウクライナをサポートする意味でロシアを批難するのなら、
彼らの言葉「差別を無くそう」は
口だけの綺麗ごとでしか無いと言えます。
高校生の様に、
仲間だから助ける
仲間だから話を聞く
では無く、
大人としてもっと明確に考えるべきなのでは無いでしょうか…
あと、ヨーロッパの価値観を押し付けるのも止めましょう。
これはアメリカも同じですが…
オッサン先生に言わせれば、
オリンピックに「政治を持ち込むのは良くない!!」
と言っておきながら、
日本のタバコ社会を「禁煙ムード」に促した行為は許せません。
レズ・ゲイの問題に関しても、
個人的には差別する意識もないし、
マツコ・デラックスは面白い方と思っているので、
受け入れる側なのですが…
宗教的な見解で解れる問題で、
この分野の差別を無くすことをごり押しするのも、
内政干渉行為です!!
精神的な症状と言うよりも、
人間としての機能を考慮した場合、
男と女の物理的な意義を否定するのは
どうかという考えにも理解を示すべきです。
その上で行政的な差別は何処まで緩和されるべきか…
その国々の教育的見解も分かれる話です。
いわばそれを安易に認めれば、
安易に放棄出来てしまう社会を生み出すことにもなり、
人類としての生物的機能が損なわれかねない。
と、考えるのも当然です。
欧州では、それも含めて自由をと考えるのは、
そういう社会構成を目指す上なら、
それはそれで批難できません。
かといって正解か不正解では無いのです。
もし彼ら彼女らのそういう問題を世界的に解決したいのなら、
レズ・ゲイの移民をEUやアメリカが一方的に受け入れる形で対処してください。
それが出来ないのなら、
自国の見解は自国の寛容さで割り切り、
他国は他国の事情と見解を尊重すべきです。
最近の欧州ではポピュリズムに流されているせいか、
意見の尊重という分野では、かなりの劣化が目立ちます。
本来、意見の尊重は欧州の思想であり、
その尊重の下で議論する事が欧州の教育の素晴らしさだったはずです。
特に英国の劣化は酷い感じがします・・・
自由には其々の尊重が大事で、
其々の権利は侵害しては成らない。
トランプの様に圧力を掛けて従えようとすることに反感を感じる様に、
同じ圧力を以て従えさせようとすれば亀裂しか齎さない事も理解すべきです。
無論、相手が明らかな犯罪を犯した場合は別ですが、
確証の無い事で外交上の問題を取り上げるのは、
ある意味偏見にしか見えません。
因みにオウムの松本を死刑にした件で、
ドイツが人道的な意味で何か言ってきたようですが、
死刑に対する見解は其々で異なります。
ドイツはドイツの考えで死刑を廃止すれば良いが、
日本は日本で、
被害者の心情を元に人道的な意味を考えて
議論する話です。
これらは被疑者の人権を優先すべきが、
被害者の心情を人権として優先すべきかの議論であり、
平行線を辿る話にか成りません。
ただ、オッサン先生に言わせれば
死刑を廃止すると言うよりも、
両者の人権を考慮する意味で議論するのなら、
死刑は死ねばその時点で懲役の苦痛から解放されるが、
無期懲役なら生きている限り懲役の苦痛が続くと考えて、
死刑による終止符を設けるべきか否かを議論するべきという事です。
その上で、死刑は無期懲役に比べて緩すぎるという話に成れば、
自ずと最高刑は無期懲役に成るのではという事です。
善悪、敵味方を付けて議論するのは人間の未熟さなのか
まだまだ課題の残る人類の青年期なのかも知れません。
因みにW杯ベスト4の話を決戦前に言っておくと…
ベルギーとクロアチアは色んな意味で強い!!
でも、個人的にフランスのエムバペに頑張ってほしいのと、
イングランドの3バックシステムに頑張ってほしいという感じです…
でも、ミーハーミーハーしてスター選手追いかけたり
個人的に好きなチームを応援した結果…
全敗だったので…もう応援しないで見る様にします。