おんな城主 直虎…全話を一気見しての感想② | ショーエイのアタックまんがーワン

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タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

①からの続き…
歴史事実とその心情を探る意味で
個人的に興味を持つ作風を考えると…
例えるなら織田信長と明智光秀の関係性で、
信長の情状も光秀の情状も明確に示せば、
両者をサポートする側が興味を示せる作品に成るのでは…
信長の情状のみでは、光秀側のサポーターは反発する、
光秀側の情状のみでは信長側のサポーターは反発する。
両者の情状を善悪で区切らずに、心境変化で表現すれば、
人間として起こるべくして起きた話として理解できるといえます。
 
これを詳しく書くには、小説なみにしたためる必要性もあるため、
頑張って「うつけの兵法」という名ので、
信長の話を書いてみようと思っていますが、
 
簡単な流れで言えば、
光秀は足利義昭を将軍として、
幕府再興によって天下平定を目指した。
ただし、光秀の野心部分は見逃しては成りません。
光秀の野心は自らの才覚で義昭を補佐し、
その功績にによって幕府再興の暁には第一の幕臣となる事だった。
野心を持たないのなら出家して仏法哲学者としての道があったはずなので、
武家としての立場に留まった選択肢から、
彼を聖人の様に考えるには無理が生じるとも言えます。
よって彼が「治世の能臣」を目指した野心は考えられます。
※これは筆者の心理分析によるものですが、
心理思考的に曹操に近かったのは明智光秀の方で、
諸葛孔明に近かったのは寧ろ信長の方です。
そして二人の関係性は、三国志とは逆転した立場とすると、
実に本能寺の辺は辻褄が有って来るという事です。
故に、光秀は乱世の姦雄では無く、治世の能臣をっ目指した…
理由は曹操の様に家系的な地盤無く、
自力で部隊を組織する状態に無かった為、
己の現状として能臣のみが大成する機に合ったと見出すだろうからです。
一方の信長は孔明とは異なり、最初から今回は地盤を持っていた。
故に自らの野心と宿命をむき出しに出来たという感じです。

 

一方の信長は、野心家であったという感じはイメージとして拭いきれませんが、

彼の行動を詳細に分析すると、宿命を帯びた野心といえます。

これは人を差別なく評価し、取り立てたり接する事も厭わない性格に現れる意味です。

いわば元より地盤を有していたのなら、庶民を蔑視するほうが当然なのに、

何故、蔑視する事無く同じ人間として見れたのか…

裏を返せばその方が人材が集まるから…と、いうのは逆に後付けの話で、

今の時代で言えば、

学歴に囚われず能力のみ評価する経営者で、

簡単そうで難しい…いわば、学歴の無い人間に難しい事を理解させるより、

学歴で難しい部分を理解できる保証が有る人間の方が、

使いやすいと考えるからです。

農民は農業の事には生来明るいが、武家の作業は理解できない。

経営者の苦労を考えず、自分の給料のみしか考えない社員に、

経営を任せるより、経営を理解する社員に経営を任せる方が良い。

単純に考えればそういう話にもなります。

よって如何に差別なく扱うという行為が難しい事なのか…

先ず知っておく方が賢明に成ります。

いわば弱者からしてみれば理想的でも、

強者にとってはそれほど必要で無い事なのです。

ただ、信長の思考になるとそこに留まるは凡人の所業に成るのです。

ここで一つ言えるのは信長は宿命を感じる程イカレタ人間=

自分は天より定められし人間と勘違いしていたとも言えます。

ただ、勘違いが勘違いで無いと自信に証明する意味で、

イカれる程、宿命を背負ったと言えます。

それ故に、天下万民皆平等という考えに従ったと言えます。

勿論、それを証明するには武家以外の人間が、

武家以上の能力を持つ事を実感せねばなりません。

いわば学歴無いモノでも東大生以上の能力を発揮できるという証明です。

そしてその証明こそが、宿命を全うする自分に対する意義、

「天は万民にたいして公平に機会を与えているものであり、

自らはその世界を実現する為に存在する。」

という確証に繋がるのです。

こうして考えれば、何故農民上がりの秀吉を重用したのかも、

合点が行くのではと思います。

ここで「うつけの兵法」と題する意味合いです。

信長=諸葛孔明とした際に、

孫子に匹敵する兵法家という点は大事に成ります。

ただし、勉強家のイメージが先行する孔明とは違い、

信長は勉強家というイメージは薄いかも知れません。

ただ、オッサン先生は…

「孫子を知らずして孫子を語る」

という事を言っています。

 

孫子を知らずして孫子なんて語れないだろう!!

と、皆さんは考えるでしょうが、
オッサン先生に言わせえば、
孫子が語ることと同じ内容を知らずとも語れれば、
それは孫子と同じレベルになるのでは…
という発想なのです。
そして信長というのはそれを題材とするにうってつけの人物と言えるのです。
孔明の場合、孫子を熟知していた可能性が有るので面白くないと言った感じかな…
 
以前のブログで孫子を説明しましたが…
正直、オッサンもあんまり孫子の文脈には詳しくありませんが、
オッサンは自分の言いたい事は、孫子を探れば出てくるという自信が有るそうです。
???
何という…恐れ多き発言…
ただ、信長…もう…こうなったら僕自身のイメージは森蘭丸みたいに成るので、
信長たまと言い換えて話しますが、
信長たまも同じ様な感じだったら…
そういう意味でタイトルを「うつけの兵法」としただけです。
そして、オッサン先生みたいな勘違いした様な言動をすれば、
皆さん…オッサンを「うつけもの」の様に見てしまいますよね…
よってこれこそが信長が「うつけ」と言われた部分として辻褄が有って来るのです。
 
では、秀吉を重用する際に、信長たまは何をしたのか?
秀吉に様々な補佐を与えています。
信長たまは秀吉に適材適所という意味で、
人の話を纏める器量に注目します。
人の話を纏める器量とは…
色々な意見を集約して最良を選択する能力です。
これは理解力という部分でもあり、
現代風に言えば情報からケーススタディによって
適正を導き出すという所です。
よって秀吉自身がアイデアを生み出す力を持ち合わせていないだろうが、
出てくるアイデアを集約して組み立てる方向へ導くリーダーには成れると考えたのです。
逆を返せば、アイデアを生み出す力を信長たま自身が持っているわけで、
自分のアイデアを自分以外で実行させるには、
秀吉の様な人物はうってつけだったのです。
また、アイデアは有っても実行に移すにあたって、
様々な難問が生じる事は周知の事で、
現場でその難問に対処して実現化できる人物こそ、
安心して任せられる人物と成るのです。
いわば、信長たまが発したアイデアが現場で難局に嵌った際、
信長たまに更なるアイデアを聞きに来る。
それはそれで構わないのですが、
アイデアを現場で解決しながら成就した報告のみ受けられれば、
それだけスピード感が増すというモノ。
その中で秀吉にはそういう力が見られるために、
ドンドンと任せていけたと言えます。
そして、信長たまは秀吉に足りない知識を補わせる…
いわば学問で勉強させるより実践で学ばせる意味合いも含めて、
戦闘面では蜂須賀小六、兵法面では竹中半兵衛などを宛がうのです。
そしてそれらを取りまとめてチームとして動かすには、
武家出身者よりも、農民出身者である秀吉の方が
上手く纏められると見ていたのです。
何故?
武家出身者ではその知識を学んだプライドから、
他の意見を用いるには障壁を齎すが、
学ぶ姿勢の途上にある事知り、
それは自身の能力の足りなさをあえて知りうる農民出身者故に、
他の教えに忠実な姿勢を示せる。
そしてその下で動く者たちも、自らの力を最大限に発揮でき、
一つの纏まりとして一人の勇将より大きな力を生み出す。
 
はい…これ孫子で言われている事です!!
文脈調べるの面倒なので、出しませんが、
以前もブログで取り上げた部分です。
 
信長たまは逆に言えば知っていてやったというよりも、
自然と合理的な効果を検証するうえで生じた結果といえます。
そしてそれを文脈にしたためて後世に残せば…
孫子と同じこと言ってるだけじゃん…
とな成るので、孫子が既に語っているのなら、
孫子の言葉にしておけばいい…
という感じで秀吉が出世していった事実だけが残ったのかな?
ここが曹操と違う点!!
曹操は孟徳新書としてこういう事を残しましたね…
 
長いけど…その③に続く…