どうも…ショーエイです…
日本人は直訳英語しか理解しないので、
リベラルを以下の保守の様に勘違いしがちですが…
1 政治的に穏健な革新をめざす立場をとるさま。本来は個人の自由を重んじる思想全般の意だが、主に1980年代の米国レーガン政権以降は、保守主義の立場から、逆に個人の財産権などを軽視して福祉を過度に重視する考えとして、革新派を批判的にいう場合が多い。自由主義的。「 リベラル な思想」
※デジタル大辞泉
本来の意味は↓が妥当な意味です。
①
自由を重んじるさま。伝統や習慣にとらわれないさま。また、そのような立場の人。 「 -な考え方」
②
自由主義に基づくさま。自由主義の立場をとるさま。また、そのような人。
※大辞林 第三版
リベラルの根源「liberal」はLiberty(自由と解放)を元にした言葉です。
現状、枝野さんを代表的に報道していて、
護憲派的な印象が先走りしていますが、
自由意思の元、論理的に議論していけば
行きつく場だったというだけです。
根本的に、ここまでの経済大国・日本を築き上げたのは、
どの社会なのか?
大日本帝国憲法では有りません。
現在の憲法のもとで日本は世界の信用を得たのです。
軍事力が無くても、世界有数の経済大国に日本は伸し上がった…
これが不変の事実です。
政治家に発言力が無くとも、世界にジャパンブランドは浸透した。
そういう中でバブル期は日本の国際的な発言力は認められていた。
バブル崩壊以降、経済的にBRICSを中心とした国々が
台頭してきたため日本の影響力は低下しただけです。
国際的に軍事貢献すれば発言力が増すなんて話…
妄想だと日本人は気づくべきなんじゃないか?
韓国は軍事貢献しているが、それほど影響力が有りますか?
軍事貢献の話で言えば、フランスの方が貢献してますが、
それより遥かに謙虚なドイツの方が発言力としては注目されます。
今の時代大事なのは経済力です。
こういう情報を精査して、論理的に考えると…
自衛隊の話で、現行憲法を変更する必要性は有りません。
また、集団的自衛権に関してもはぐらかしていますが…
国連に加盟している時点で、
不当な戦争行為は国連を挙げて集団的自衛権が発動されます。
無論、議論すべき点はその時点における
自衛隊の国際社会との連携です。
国が被害を受けて個別的自衛権の範疇で他国と連携することは、
勿論考えるべきですが、
個別的自衛権の枠組みを超えた活動は、
逆に憲法上制御されるべきというのが論理です。
ただし、国連決議案の下で可決された制裁戦争の場合、
日本の参加は憲法上許されるのではというのが、
筆者の持論で、リベラルの間ではこういう議論は
当然考慮されるモノです。
※制裁となった場合、国際紛争という争いでは無く、
不当行為に対する罰則行動となるからという見解です。
無論、北朝鮮の問題で、中国とロシアが反対に回った場合、
国連決議は通らないという議論も存在します。
しかし、戦略的に中国とロシアが敵に回るような戦争は
好ましくないと考えるべきで、
日本のアメリカに対する姿勢として、
日本の参加を促す条件は、
①日本が攻撃される状況にあるか…
②アメリアが中国とロシアを説得して、国連決議の下で戦争するか…
という姿勢を憲法上の理由をもって示すべきです。
②の条件が揃えば、戦争は圧倒的有利な状態で勝てます。
①だけでは中国とロシアを敵に回す可能性も有りますが、
現状、中国とロシアも日本が攻撃されたら②に反対することは
無いと思います。
①の状況下で反対すれば有志国独自の制裁によって、
両国に甚大な経済的ダメージを与える可能性があるからです。
更に、今後の社会でどんな人物が
日本のトップ=内閣総理大臣に成るか解らないという議論も考え、
どんな人間が成っても、安易な戦争には踏み切れない、
条件がそろわない限り戦争はしない、
という権力への抑止力の意味も大事に成ってきます。
そういう議論の下で、最終的に国民主権の民主制を維持するには、
決して将来的に独裁者をこの国に生み出さない為には、
現行憲法を維持する事が前提という結論に成るのです。
アホ首相が独裁者だとは言いませんが、
アホ首相に任せていたら、
独裁者を生み出せる環境を構築されてしまう…
小池百合子の様に憲法をイジる環境を整えても、
独裁者を生み出す環境を国民が認めてしまう。
仮に憲法改正を議論するにしても、
9条は決して触るべきものでは無い。
権力者に軍事的采配を齎す意味を持つし、
現段階の国際情勢では、国連による連携がある為、
現状維持で十分に事は足りる。
抑止効果としても十分に機能している。
そして、その分の税金をもっと経済活動に使うべきで、
消費税の増税すら必要なくなる話です。
知恵の輪を力任せで外そうとすれば、
その知恵の輪は変形して壊れてしまいます。
色々試行錯誤して、丁寧に取り外せるように考えるのは、
頭の痛い事ですが、それが最良の方法なのです。
リベラルの人たちが丁寧な議論をする意味は、
そういう話でも有ります。
色々な考え方、色々な視点で議論され、
提案者はそれを元に説得力を持って修正案の提示に応じる。
その修正案に対して色々な考えの人が、
妥協できるか、納得しないかを各々判断で投票する故に、
成否に関わらず、充実した政治がそこには生まれます。
自然、そういう議論の世界から発する言葉は、
深みがあり説明としても解りやすいレベルになるのが自然の流れで、
それ故に誠実に感じる状態が構築されます。
リベラルな世界とはそういう世界で、
数合わせの強引なやり方とは全く正反対です。
国民にとってどちらが安心できる政治なのか理解して欲しいです。
無論、リベラルな人は理屈っぽい感じの人が多いのも事実ですが、
理屈の無い人間を信用するなんて、日本人位なものです…
理屈の無いキレイごとは馬鹿でも言えるので…
例えるなら、
「選挙に行かない奴が政治を語るな…」
みたいなキレイごと…
政治理念の無い人間が選挙の対象にいないなら、
自分の理念を崩してまで、別に無理に投票することは無い
というのが理屈です。
どちらが真面に聞こえるか…そういう違いです。
まあ、日本人は自分の考えが否定されること恥じと
考える人が多いようなので、
理屈っぽい人が嫌われるのでしょうが…
人の考えを吸収できる器量が有ると、
理屈の通らない、理屈の無い人間は嫌われるのではなく、
馬鹿にされます。
これが実は国際基準と日本の基準の違いでもあり…
アホ首相がバカにされている所以なのです。