どうも…ショーエイです…
別段、どうこう気にする話では無いんだけど、
気になる話題が有ったので、
見解を述べておきます。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170417-00000134-spnannex-ent
オリラジの中田君が、
脳科学者の茂木氏の意見に賛同しての
コメントに対する記事なのですが…
一見、正当性あるように見えて、
一概に正論とは言えない話の題材として、
ちょっと取り上げてみました。
確かに、日本の年功序列的な社会に於いては、
先輩やら大御所に慰撫したり、
気を使ったりという状態が求められるのは事実です。
そういう意味での指摘…
いわばもっとアメリカのようにフランクに言い合える、
そういう状態が望ましいと考えれば、
正当性ある話に聞こえるかもしれません。
しかし、番組構成という観点で考えると…
正直、果たして…
という疑問が残るのも事実です。
特に日本のバラエティー番組の構成で考えると、
視聴者が雰囲気を楽しんで、
それが笑いに繋がるポイントへ導かれるというモノです。
基本、この構成でいうなれば、
司会者は大御所になる訳ですが…
その大御所の空気を読む事は悪い事なのか?
恐らく多くの人が疑問は残りつつも、
正当性ある発言の主張に一理ある事を知り、
ちょっとした疑問…
いわば突っかかり部分を明確に解消出来ずに、
終わる感じで受け止めるのではと思います。
大御所当事者も、どう答えていいか解りにくいが、
その尊重は大事だと伝えたいけど、
伝えられないで終わっている状態にも感じます。
この状態だと、
読み手は大御所の自己弁護にしか聞こえず、
茂木氏の指摘するところが的を得た感じで、
聞こえてしまうのも事実です。
しかし、番組構成をオーケストラに例えると、
茂木氏の指摘したポイントは、
的を外す話に成ってしまう事を理解してもらいたいと思います。
オーケストラは指揮者の指揮の手腕で
奏でるメロディーやリズムが変化し、
演奏全体の評価を左右するものです。
番組構成も同じで、
司会者=指揮者の纏めぶりで、
番組の流れ、進行、纏まりが変化します。
この司会者の手腕次第で、
実際に番組が纏まって見えるか否か、
上手く笑いのポイントに結び付くか否か、
全てが左右されます。
そう考えると、オーケストラ同様に、
その他参加者=出演者は、
演奏者と同じで、
オーケストラが迫力ある魅力的な演奏を奏でる様に、
司会者=大御所の指揮に合わせて番組構成をする方が、
望ましく、それ故の番組の纏まりと考えてみるべきと思います。
そういう中で、指揮者に逆らう演奏は、
オーケストラの本質を崩しかねない行為と同様に、
出演者も司会者の指揮に合わせる方が、
その番組=オーケストラの最大の領域に近づけると
言えます。
なので番組構成の話に於いては、
大御所に気を使わないで、
やりたい放題やる状態は、
逆に番組の本質を崩しかねないものに成ると
理解すべきと思います。
ただし、番組の本質が
やりたい放題やるという構成に於いては、
気を使う状態は
逆に本質から外れる意味に成ると言えるため、
そういう番組を増やすべきという主張ならば、
話は別とも言えます。
無論、指揮者の居ない演奏…
いわばバンドというより、
フリースタイルのジャズになる訳ですが…
でも・・・
めちゃイケやひょうきん族みたいな
番組ばかりになってもね…
ある程度、司会者の指揮のもと、
纏まりのある雰囲気作りははやっぱり大事かな
あまり、あとがきで
真な事を言うのは好きじゃないけど…
人の考え方は、よく吟味しないと
現実の本質は解りにくいという事です。
言語が簡単に飛び交う中では、
ワンサイドの考えで飛ばしてしまう事も多々あります。
ただ、大事なのは、
他人がそうであるように、
自分も同じだという事を理解して、
自分の方に非が生じる可能性も理解した上で、
他人の考えを受け止める心構えは必要だと思います。
そういう中で、他人の非を馬鹿にせず、
お互いに見方の違いで生じる話だという気遣いのもと、
意見を交換する事が望ましいと言えます。
それを他人の非を馬鹿にして、
勝った負けたに終始すると、
心理的に非を認められない状態が発生し、
揚げ足取りの議論で
何も定まらない状態に成るだけだという事を、
知っておくべきでは、と思います。
日本の政治を見て、
そろそろ気づいた方が良いと思うので、
あえて言わせてもらいます。