どうも…ショーエイです…
国会の証人喚問の件は・・・
結局、アホみたいに流されていく感じに成ってますね…
特に、福島瑞穂議員のケース…
何をしているの?
正直、悪い事ではないのに、
悪い事しているような答弁になてしまう…
そしてドツボ!!
これはアホ首相も同様です!!
例えばアホ首相
寄付する事が悪い事でないのなら、寄付を認めて…
「女房が騙されました…」
で言えた事だし(忖度の件は別の話)
瑞穂ちゃんのケースは…
「少し強引に籠池氏との面会を求めて詰め寄ったのを、
奥さんに侵入という意味で
勘違いを受けた事は有るかもしれません。」
と、不法行為に成らない程度の言い方で、
避わしても問題なかったと思う話です。
そして、こういうアホみたいなケースを追っかけて、
本末転倒に流れてしまうのも…
マスコミを含め、日本人のダメな所です。
そういう社会現象を考えてみて、
実に面白い比較に気づいたのですが…
日本的によく言えば、
日本人は完璧主義、アメリカ人は妥協主義。
という比較です。
ただ、主旨としてこの比較を言うと、
日本人は減点主義、アメリカ人は加点主義。
と成ります。
日本が精度の高い技術を持ち、
徹底した安全性、耐久性に特化しているのは、
そもそも減点制故の恩恵です。
いわば、ダメなものを徹底的に洗う気質故に、
完璧に近いもの求めるのが日本の長所です。
ただ、この気質は技術面とは反対に、
人間面では最悪です。
いわば
「言葉尻の揚げ足取り」
これが代表例として挙げられます。
例えるのなら・・・
「上告」と「控訴」の違い…
最高裁へ持っていくのと、
上級裁判所へ持っていくのとの違いですが…
「高裁へ上告します!!」
とした場合、主語が明確にあって意味が通じれば
本来、言葉の間違いを無視しても良い話です。
でも、
「高裁へは「控訴」だろ!!」
と訂正を求めずにはいられないのが
減点主義所以の成り行きなのです。
更にこれは人の評価にも影響があり、
チャレンジに対する評価か、
チャレンジ失敗に対する評価でも変わります…
例えば、チャレンジに対する評価は、
その行為を長所として受け止め、
応援します。
そして、失敗して諦める段階に成って、
「もう諦めるのか…?」
という失望を語ります。
一方の失敗を評価する側は、
チャレンジに対しては無駄な努力と考え、
失敗したときに、
「ほら、言わんこっちゃない…」
と、失敗が目に見えていたかのように語ります。
日本では比較的後者に成るのですが、
いわば日本がチャレンジに対して
減点思考故の流れでもあると言えます。
ただ、ここまでの話は正直、どちらが効果的?
という観点で考えると…
微妙…
別段、社会的に損得として発生する話ではありません。
しかし、社会的な流れを例に挙げると…
非常に解りやすいくらいダメダメに成っていきます。
減点主義の流れでは…
「揚げ足取り」から派生する答弁で、
「揚げ足取り」に対する弁明、そして反論、
と、本末転倒な流れを齎します。
正直、福島瑞穂の侵入疑惑で
「あなたはアホ首相に疑惑を追及できる立場なの?」
という評価は、何の意味もない事と気づくべきです。
仮に、福島瑞穂のケースが黒だとしても、
アホ首相の忖度に関わる行為が白に見えてしまうのも、
どういう評価?
と言った感じで、
両者にたいして同様に越権行為、
公務員職権乱用行為などの疑惑を持つべき話です。
でも、減点主義故に、追及側が完璧にクリーンでなければ、
追及の意図もクリーンでないと考えてしまう…
それで追及されるべき所が見失われる…
非常に不可思議な現象です。
これが日本の短所と認識すべき所なのではないでしょうか。
企業での評価に於いても、
向上心故のチャレンジ精神よりも、
結果主義が求められ、
改善、改革の必要性より、
現状維持が要求される社会性です。
いわば、
サービス向上に対する奇抜なアイデアを出すよりも、
現状の仕事での生産性が減点だと、
アイデア事態もダメと評価され、
潰されてしまいます。
とにかく完璧=出来る人が日本での一般評価故に、
逆にアイデアを駆使して研究する人が
活躍しにくい環境にあると言えます。
いわば、学者や技術研究科への評価が低い現象とも言えます。
高度経済成長期の日本は、
アメリカ的な研究への投資は、
国家高揚の為に必要と考えられ、
結果とは別に、他者と競い合う形で求められました。
しかし、アメリカを技術面で追い抜くと、
今度はアメリカの採算主義(株価を焦点とした)が求められ、
経営状態の黒字化優先思考へとシフトチェンジして行きます。
これは80年代、90年代に
GM、FORD、CHRYSLERといった
アメリカの自動車メーカーが
失墜したケースにも該当するのですが…
結局、技術研究は無駄遣い…
競争で負けたら、元も子も無い…
SONYにとってはかつてBETAがVHSに
負けた例がトラウマに残り、
TRINITRONテレビで世界を席巻するも、
他者との対比で結果どこまでと言った感じ…
有機ELの実用化研究でも、
結局LGに先を越されてしまう…
こういう減点思考は当然のモノとして意識される訳で
結果の出ない部分を切り取って、
利益に結び付ける動きに成っていくのも当然かも知れません。
それゆえ研究自体も減点制の対象に
組み込まれて行ったのが現状です。
ただ、長所として言わせてもらえば…
TRINITRON技術=SONYブランドだった訳で、
当時、技術のSONYという宣伝には
大きく貢献していたとも言えます。
とは言え、元々日本は、減点思考社会故に、
日本の経営陣の判断は納得いくと言えば納得…
まあ、企業が生き残る為に
賢明だったと評価されるのでは無いでしょうか…
しかし、結局、東芝でありSONYのブランド力は
失墜していったわけですが…
これは東芝の半導体部門の
切り離し判断でもよく理解できると思います。
東芝はフラッシュメモリーで優位に立っていた存在ですが、
フラッシュメモリーに代わる次世代メモリー
「3D XPoint」などの開発が進む中、
今回の経営判断は妥当とも言えます。
しかし元を正せば、
結局、東芝がフラッシュメモリー以外の研究を、
80年代~現代まで怠ってしまったことが原因と言えます。
一方のアメリカ・インテルは研究に欠くことなく、
次世代メモリーの開発で、更なる進化を目指しています。
無論、これもアメリカIBM主流で「相変化メモリ」という
次世代メモリーとの競合が想定され、
研究投資という点では減点に感じますが、
研究=チャレンジという長所が
優先されている所がポイントに成ります。
こうして見ると、ニュースで囁かれている
東芝半導体メモリーの価値に対する評価は
どうでも良い話に成ります。
もう、既に古くなる技術という点で…
高く売りつけようとしているだけ…
その反面、様々な情報を元に明確になった事は、
結局、日本は技術面で次世代の遅れを取った事実なのです。
この根拠が東芝がそれを売ろうとしている点で明白です。
※さて、これは難しい話で、私はここで東芝の減点を
指摘している形になっていますが、
下記に記す通り、これは東芝の行動に
長所が感じられなかったという見方です。
ある意味、経営判断として赤字解消の為、
今のうちに虎の子をできるだけ高く売りつける。
そういう長所からの話である点をご了承ください。
そしてこれら全てが減点主義が齎した結末と言えます。
減点主義が短所を探る考え方の一方で
長所を探す加点主義では、
アメリカを例に挙げると
80年代、90年代の敗北から立ち直り、
再チャレンジへ向かっていると言えます。
いわば減点を無視して、長所を取り上げ、
その長所を更に向上させて新しい物を産み出す。
無論、そこには無駄を省く減点作業が存在しますが、
それは長所に成らない部分を省くという考え方で、
減点で有っても、長所があれば
取り上げて他の長所と結びつけ、
それで長所が生きなければ省くといった方法に成ります。
これが減点主義だと、長所が有っても減点が有るのでダメ!!
結局、減点同士を結び付けても何も生まれないので、
何も進まない…
日本の社会を物語る感じじゃ無いでしょうか…
ある意味、80年代、90年代のアメリカは、
日本と違った形の減点主義だった訳で、
リストラ大国だったことでも解るように、
首切り峠が減点心理を与えていたと言えます。
その反面、かつての日本人はアメリカの減点を
逆転の発想で長所に転換して、
MADE IN JAPANのブランド化に結び付けたのですが、
今となっては逆に、日本の減点を転換する気構えが
必要なんじゃないでしょうか…
まだまだ日本は大丈夫だ!!
なんて言っているようでは…
世界から見て日本の長所が無くなってしまう感じです。
因みに、この減点と加点主義は
勝負の世界でも大きな影響を持ちます。
例えばサッカーの戦術…
相手がメッシ率いるアルゼンチンとします。
日本人特有の減点主義では、
メッシの長所に焦点を当てて考えるより、
むしろアルゼンチンの穴を探ろうと考えます。
いわば、相手の弱点を探ってそこを突破口にする。
逆にメッシに対しては
自分たちディフェンスの減点を修正して、
当たるように考えるのでは無いでしょうか…
これは一見、当然のように見えるでしょうが…
これが、加点主義だと逆で、
メッシの長所…
いわばドリブル突破をどう食い止めるというより、
どこへドリブルを誘導するか…
そこを中心に考えます。
ある意味、他のアルゼチンの選手の
位置取りに気を配りながら、
メッシをどこに追いやるか…
シュート打たせない様にドリブルをどこへ逃がすか…
こういう考えに成ります。
逆に攻撃面では、相手の穴では無く、
味方の長所…
誰と誰を前線に配置すれば相手を崩せるか、
そしてそれに誰の動きが加わると
攻撃のバリエーションが増えるか…
いわば、相手の弱点より、
味方の長所で翻弄する点を探ります。
勝負の世界は水物です。
それ故に、結果は終わってみなければ解らない。
ただ、水物故に相手の弱点は、相手も知りうる事。
味方の弱点は相手も察するところ。
そういう意味で、前者の減点制同士では
情報戦の末の普通の展開です。
まあ、日本のサッカーが地味な点で察して下さい。
一方の後者は、
常に展開次第で新しい動きを導き出す形。
アイデアが生まれなければ逆に不毛に終わりますが、
アイデア生まれた時の衝撃は、
前者を圧倒する展開です。
アルゼンチンというよりブラジル的な感じです。
ドイツが気質的に日本に近いと想定して、
結果、どちらが強いかは不明ですが…
ポイントは、両立すればより確実な状態になるという事…
ただ、ポイントを考えず、
前者と後者を比較した際、
減点制の考え方だと、
前者と後者、どっちが良いかという議論で
終始する感じに成ります。
これが加点制だと前者の長所を加えて考えようとする分、
結果、よりポイントの両立に近づこうとする話です。
更に、減点思考だと、「両立は考え方として卑怯だ!!」
なんて言い出しそうですが…
思考をそこで止めてどうするの?
と、いう話で…
勝負自体の本末は勝てる方法を考えることです。
さて、話を戻して、
証人喚問を見るときは、
本末を忘れないようにしましょう。
誰が信用できる、信用できないでは無く、
誰が嘘をついている、ついていないでは無く、
何が「セーフ」で、
何が「アウト」で見るのが一番いいと思います。
籠池氏が信用できるか出来ないか…
彼が嘘をついたか、ついていないか、
そんなんどうでも良い…
信用はしていないが、証言事実の辻褄は合っている。
福島瑞穂の侵入疑惑…
これもどうでもいい…
籠池氏の奥さんが不法侵入で訴えたのなら、その時問題視。
こんな話で「セーフ」だ「アウト」だの議論は、
乱闘騒ぎで進まない野球の試合と同じだ…
安倍昭恵の寄付疑惑と理事長就任…
これが忖度に結び付く情報…
寄付自体は問題ないが、
理事長就任という事実から
両者の関係性が明白。
水面下で何が起こったのか?
この解明が本題です!!
籠池氏の証人喚問での減点は、彼の人間性だが、
彼の発言はある種の話の筋として長所という意味で捉えられます。