籠池氏の証人喚問 | ショーエイのアタックまんがーワン

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タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

どうも…ショーエイです…

いよいよ籠池氏の証人喚問が始まりました。

まず、ここまでの感想は…

 

予想で危惧していた不発の可能性より、

実にナイスヒットと言った印象です。

 

まあ、籠池氏の教育方針に賛同する意思は当方には全く無く、

安部ちゃんを嫌っている言動の事実もあって、

中立的な見解というより、野党よりの見解と感じられる点は否めないものとして、

発言しております。

 

その上で彼の答弁は中々上々と評価したいと思います。

これは野党側の組み立ても考慮されるところであり、

面白い展開へ導いたという意味で評価しております。

 

無論、政治的な終着点は、

裁判的な犯罪行為、不法行為等を断定するところに

無いと言えます。

それは証拠が出にくいというのがポイントと

明確な違反行為を断定しにくい事態である事です。

ただ、籠池氏に対する刑事訴追は、

詐欺行為等が考慮される為、可能性は有りますが、

現状では寄付金に関して、事件発生前に

被害届、刑事告訴等が有ったかどうかが焦点に成ります。

事件発覚後でも詐欺行為の訴追は成立しますが、

政治関与という概念に於いては、

事件前が大事なポイントと成ります。

 

では、何を以て政治的(証人喚問の)な終着点と考えるか…

「国民の知る権利です!!」

それによって国民の知らないところで

政治的に何か為されている可能性、

そしてその可能性を考慮した際に、

政権に対する信頼および不信感、

いわば職務怠慢行為であり、

職権乱用行為のポイントがイメージとして見えるか否かです。

事実、この二点は明確な証拠がない限り、立証は不可能です。

そういう意味で明確な証拠が隠蔽されている可能性から

政治家側の犯罪、不法行為に成りにくいと考えてますが、

だから政治的に信頼していいのかどうか…

ここが最終的な焦点に成ると思います。

 

自民党議員から印象操作という政治利用行為

という主張が言われていますが、

立証が不可能だから国民の知る権利を妨害する事も

印象操作という政治利用に成ります。

ある意味、政治的公平な判断という意味で、

この問題に対する判事は国民です!!

国民にすべての事実関係を公表したうえで、

選挙という形でその判断を仰ぐのは、

民主制の観点に於いては適切と考えます。

終着点はここに尽きるのではと考えております。

 

よって国民はこの問題に対して、

立証不可になったから不当な行為という

被疑者側(与党)の主張は、

国会の場に於いては妥当な終着点とは成らないと

認識してほしいです。

いわば、裁判所で犯罪行為を

断定するだけの場では無いのですから。

 

そういう視点でこの問題を眺めると…

隠蔽が成立している可能性も考慮したうえで、

事実関係を想像できるのではと思います。

最終的にこの「想像」部分が、

選挙に於ける意思決定に影響する訳で、

想像にある疑惑部分を与党が払しょく出来なければ、

それは与党の失態です。

 

これをアメリカの大統領選挙で考えてみれば、

ヒラリーのメール疑惑は面白い例に成るのではと思います。

結局、疑惑で終わったことも、

選挙では結果としてNOに成った・・・

どれほど問題がヒラリーの政治的信頼に影響を及ぼしたかは

不明ですが、

結局、疑惑が払しょくできなかった事が

投票に影響を及ぼしたことは

否めないと思います。

疑惑なので問題ないと判断するか、

疑惑があるので信用できないと判断するか、

それは有権者の権利に依存するところであり、

それが民主制に於ける政治なのです。

 
また、証人喚問という重圧の中でという点も、
検証する国民の想像性を必要とされるポイントでも有ります。
いわば間接的証拠を提示できない事実に関しては、
話しにくい・・・
間接的証拠とは安部夫人が幼稚園の講演に来た…
これは間接的証拠に成ります。
その上で立証の難しい寄付金の手渡し…
間接的証拠が有る以上、
可能性として全くなかったという立証が不可能なため、
証言の不当性…
いわば籠池氏の偽証と断定する事は難しく無ります。
この辺が国民に求められる想像の部分と成ります。
無論、そういう間接的証拠の無いもの、
松井知事と面会した記録…
いわば料亭など記録が記載されないプライベートの場で会った、
などは偽証罪に問われる可能性が有る為、
発言が難しい所でも有ります。
よって直接会っていないという答弁は
妥当なのかも知れないと想像もできます。
そして、今回、この間接的証拠が実は多く登場した事も、
ポイントとして挙げられます。
先ず、安部夫人とのメールのやり取り、また電話でのやり取り、
この連絡先を知っているという事が間接的な証拠と成ります。
いわば関係が決裂してからのメールは
証拠として残っているわけで、
それ以前のモノは証拠として残っていない可能性が生じます。
勿論、この部分は間接的な証拠が成立しても証人喚問で
中々語れないところで有ります。
案の定、自民党も野党も、
公表できる部分以外には言及しなかった点で
論点保留という意味で察する部分であります。
そして次の間接的な証拠は、
籠池氏の申請内容に不備が生じている部分を、
何故、国側が精査しなかったのか…
と、いうポイントです。
これは籠池氏が証言する国または政治家による、
何らかの圧力という表現に対して、
その可能性を感じさせるポイントでもあります。
いわば前述のとおり、
偽証と断定するには難しい状況を意味します。
例えば、教員免許と申請時に書かれた経験年数の点です。
国家機関で有れば、
この辺を照合する事は容易な点であります。
例え相手が大阪府発行だったとしても、
大阪府が照合しない点も不可解なものと成ります。
この照合を怠った点は、行政の職務怠慢であって、
仮に知っていて通したとするなら…
と、考えられるポイントです。
恐らくトカゲの尻尾切りで、
行政上の職務怠慢で治めようとすると考えられますが、
それで国民が誤魔化せれる方を逆に危惧します。
何故か…
教員免許など免許に於ける書類では、
必ず認可番号が記されます。
証人喚問で指摘があった記述面に
教員免許認可番号が要求されていなかった点、
または要求されていたにも関わらず、
照合を怠った点は、
行政上の職務怠慢で済まされていい内容では
無いと考えるべきです。
これが前者であれば、
政治的圧力で記述面を省いての承認が為された点が
濃厚ととなり、
後者の場合は、
行政の職務怠慢の可能性は大きく残ります。
そういうポイントも明確にして欲しい部分として残ります。
 
そして質問されていない部分は話さない…
思想的に認めない点は誤魔化す…
意外だったのは天皇陛下ご訪問の件…
ある意味宮内庁が記録に無いと言えば、
偽証罪に該当する内容です。
ただ、記録に残っていない事実としてある可能性は
否定できないが、
籠池氏自身が神道的な思想が有ると考えられる点で、
皇室を疑惑状態に有るところへ巻き込むわけには
行かないという観点から、
籠池氏本人の確証できる事実ではないという答弁で
否定した点です。
恐らくこの件のこれ以上の追及は難しいと考えられ、
追及が為されない以上、
嘘と断定する事も控えるべきと考えます。
 
因みに、葉梨議員の議会場またテレビ上での
コメントは偽証を断定する方向へ
圧力をかけたコメントで有り、
夫人の付き添いの発言が、明確な証拠に
成ると主張しています。
折角、8億円が値引きされた点で、
とても有力な証言をしたと評価したのですが、
警察官僚、警察庁出身者の発言としても
偽証を断定しようとした行為は
由々しき問題であります。
逆に、夫人付きの付き添いが、
職務上の圧力で偽証をしていたら…
記憶として曖昧である点なども考慮すると、
断定として認めるには逆に、映像、音声等の証拠が
必要と成る事態です。
官僚が嘘をつくわけが無いと主張するのは、
非人間的な考えで一般人を愚弄する
発言として受け止めます。
また、そういう発言が有ったため、
葉梨議員提示した証拠を元に
政府関与の可能性を主張するなら、
値引き対応として、
政府に非が無いラインが存在した為、
行政が応じただけ…という可能性が有り、
そのラインを策定するにあたっての政治的圧力は
有ったのではという事は逆に考えられます。
無論、立証上、行政の行為に非は有りませんが、
その他周囲と比較した際、
行政対応の不公平さとしては疑念の残る部分であります。
また、豊中市の公園、給食センターという点も、
公共物としての売却で発生したモノなのか、
給食センターが私立機関なのか、
この辺でも違いが生じると考え、
その辺が現状情報として明確になっていない部分も
説明をして頂きたかった点です。
更に、安部晋三記念小学校の冠を外しても、
同名義で寄付金を継続して募った行為・・・
警察官僚として詐欺行為と主張するにあたって、
警察関係機関から事件前に詐欺行為としての
被害届等が発生したかを確認する必要が有ったと考えます。
事件後に詐欺行為としての被害届が発生するのは
当然の流れとして考慮できる事態でありますが、
寄付を集めていた当初、そのような届、または刑事告訴、
民事訴訟等が無い場合、それを犯罪行為として
認定する答弁は名誉棄損罪に該当します。
※名誉棄損罪は↓をご参照ください
 
まあ、国会議員だから罪に問われることが無いと
確信しての犯行と考えますが…
私が憤りを感じるポイントはこういう傲慢な点です。
そこで籠池氏が言えないポイントとして、
「阿吽の呼吸」に関する事ですが、
 
一国の首相として、
私人に自身の冠を貸し与えることは出来ないが、
(一時的に冠を認めた事実から)、
以後、寄付を継続される分には、
当方は一切関知致しません…
 
と、いう言い方で安部ちゃん側が、
命名の撤廃を求めた可能性です。
 
これはあくまで筆者の想像力を元に
可能性として考えたものである事を
あらかじめ言った上で、説明いたします。
()部分は、盗聴を含めて誰かに聞かれた際、
問題発言がより明確に成る為、
政治家なら口頭でも絶対に言わない部分ですが、
含みの意味で入れておきます。
 
さて、これは含み用語として用いられる手法で、
一見、断りを明確に伝えたように見えます。
しかし、相手に自己責任でやる分には、
当方がそれをあえて追及して訴える意思は無い
という風にも捉えられます。
いわば暗黙の了承で、何か問題が発生しても、
告知者(安部ちゃん側)が知らない事として
処理してください…と、言う含み言葉…
英語でimplyと言い、暗に意味するという手法です。
仮に、盗聴で証拠として挙がったとしても、
否定した事実として主張できる文言で、
「関知」という言葉の捉え方の違いという点で、
言った側の非は回避され、
受け止めた側の非に成る含み言葉です。
 
こういう話を証人喚問で証言したとしても、
妄言であり、ある意味逆に偽証行為と
追及される可能性が有る為、言えない事となる訳です。
 
ハッキリ言って私がイチイチ説明しなくとも、
最近の映画やドラマに於ける情報網から、
政治家とのやり取りで発生する事は
ご理解できるレベルの話と思います。
 
そこを踏まえて籠池氏はあえて言えない事を
言えることで、逆に含みを持たせた…
それが「阿吽の呼吸」という意味です。
まあ、筆者も野党側の一種の戦略だろうと理解したうえで、
あえてこの部分に乗っかって説明しておきます。
 
ただ、こういう指摘に成ってくると
正直、自分の言動が中立的では無く、
安部ちゃん追い込めに偏ってしまっている点は否めません。
 
ですのであえて筆者の想像部分は、
見方の一つとしてご理解頂けたらと思います。
まあ、ブログなんて個人的主張なんで、
何を言っても問題無しという確証から
書かせていただいている点は否定しませんが…
 
ただ、政治家…特に自民党議員!!
一般人を馬鹿にするなよ!!
立証される事実がなくとも、
政権転覆させる判断は国民に有るんだからな!!
 
そういう意味で、今後の証人喚問、参考人招致も
想像部分も払しょくできる状態で
ご答弁頂けたらと思います。
基本的に政治家のいう事なんて信用していないんで、
今回の自民党・公明党のように
証拠は?立証できるのか?
(官僚に)承認が居るんだぞ!!
と、言ったゴリ押し答弁が見受けられると
想像力が余計に働きます。
何だか任侠映画で警察がガサ入れする際に、
ヤクザが吐く言葉に聞こえてきます。
そして葉梨議員はヤクザの弁護士…的な感じかな…
 
よって立証が為されないから
疑惑が払しょくできたと判断せず、

この問題の経過を皆さんにも

よく考えてもらえたらと思います。

 

まあ、こういう主張も政治的なものになる訳ですが…

基本、安部ちゃんが嫌いなんで…

 

でも、大事なポイントなので、

そういう意味も含めて、

個々の政治的決断を考えてもらいたいです。

それで選挙結果が決定した事は決定したことで、

仕方ないな・・・という感じで受け止める…

これも民主主義の嵯峨だと思います。

 

因みに、松井知事の籠池氏が主張する責任問題…

百条委員会の証人喚問で石原元都知事が認めた、

責任者責任という承認問題に該当するものです。

承認行為(知事名でサインする事)に対しては、

様々な専門知識を必要とする過程が考慮され、

専門知識を理解した説明者が妥当と判断したものに対して、

その判断を信頼する意味で承認したというモノは

職務怠慢とは成らないと言えます。

勿論、その承認責任としては知事に付与されますが…

 

それを考慮したうえで、

大阪府が承認を与えたものを、

事実確認が不明確な状態で却下する行為は、

不当とも言えます。

いわば、現状この問題は疑惑状態と考えるのが妥当で、

ある意味、承認留保が処置として適切だったのではと考えられます。

 

これを自己の責任で承認したものを、

突如不当と考え、承認取り消しに転じたことで、

誰の言葉、いわば専門的な知識によるアドヴァイスの下で

何故承認を与えたのか、

そして、何を以て承認取り消しという

自身の非を認める行為に転じたのか、

証人喚問での焦点に成るとも思います。

豊洲問題と異なり、

石原元都知事は自身の承認責任が

間違いであったと主張しておらず、

承認を与えた責任においては全うした形と

受け止められるものだと考えます。

逆に松井知事は自身の承認責任を否定したことで

責任回避を行おうとした点で問題視されるものであります。

ある意味、彼の行動は専門的説明者に対する

責任転嫁を意味するモノであり、

自己の判断に対する責任をどうするかが求められると考えられます。

 

Oh…中々面白いじゃないか…

関西のジョークにしては、かなり高度なレベルに成ったのかな…

いわば、馬鹿を馬鹿にさせるの計みたいな…

そういう意味ではオッサンも

あの振込用紙に騙されたので…馬鹿です!!