
どうも…ショーエイです。
最近の世界情勢を見ると、
世界が目指すべき本来の目的を忘れ、
混沌とした時代へ向けて進もうとしているように見えます。
イギリスのEU離脱にしても、
トルコのクーデターにしても、
何かとても気味悪い現象が続きます。
正義とは基本個人個人の価値観によって異なるのが事実で、
個々の価値観による正義の対立が紛争へと繋がります。
イギリスで例を挙げるのなら、
EU離脱という他国に干渉されず英国独自のルールを以て、
国内を統制するという考えも正義であり、
EUの中で、統合されたルールの元、
経済協調と人の交流で
分断無き平和を望むというのも正義なのです。
そしてイギリスの場合は、
選挙という手段で両者の正義を戦わせた事は、
民主的、平和的観点から一定の評価を与えたいと思います。
逆に、トルコのクーデターの場合は、
確かにエルドリアン政権に懐疑的な見方も出来ますが、
武力革命という選択肢は、
力を力で捻じ伏せるという可能性を
前例として残してしまい、
以後、平和的解決を模索する前に、
安易な力による行動が
その国民の脳裏に先走る現象を引き起こします。
これは今混沌としたアラブ諸国に
見られるケースでもあるのですが、
実は非民主的な負のスパイラルを
齎すものでしかないことを
世界中が理解すべきなのでは無いでしょうか。
いわば、革命という武力による転覆を
政治の中枢が恐れるため、
民主的なデモに対しても警戒を強めるわけで、
その拡散を更に警戒するが故に、
その行動に対して抑圧的に成る。
更に政府が抑圧的に成るが故に、
デモを起こす民衆は制度の絶望感に浸り、
自然、暴力的な選択肢しか解決の糸口を
見いだせなくなってしまう。
故に政府の抑圧に対抗すべく、
デモは武器を手に取るのです。
実はこれ、私の持ち論で、
「公平な選挙」を訴えないデモに対して、
国連加盟国は支援すべきでは無いとする主張の根拠でもあります。
今の時代はフランス革命の当時とは違い、
民主的な活動ならば国際社会がこぞって支援する訳ですが、
革命を支援して革命で誕生した政権は、
再び同じ革命で転覆する可能性をその脳裏に焼き付けるものです。
革命によって前政権の一族郎党に与えた行為は、
次には革命を起こした側の脅威として圧し掛かる…
故に同じ現象を繰り返していくのです。
これが選挙という手段であれば、
訴追という可能性は残すものの
新政権の脅威は緩和され、
最悪の場合、命欲しさに選挙の実施を決断する。
無論、エジプトの様に退陣という手段の有りますが、
この退陣は結果的に革命であり、
選挙が齎す心理的な緩和の意味とは全く異なります。
ある意味、我々民主制に於いての退陣は、
明らかな犯罪でない限り、
政治的な発言は認められるわけで、
政界へ返り咲くことも可能なわけです。
まあ、ベルルスコーニの様に、
明らかな不正があっても返り咲ける訳ですし…
しかし、エジプトのケースだと完全に追放され、
場合によっては命すら危うい状況に成ります。
こういう心境では、
防衛本能から暴力的抑圧を講じるのも無理は有りません。
では、本題のグローバリゼーションの話に移行します。
グローバリゼーションを
アメリカ主義の世界統一と勘違いしている方も多いと思います。
無論、アメリカが起こした
アフガン戦争であり、イラク戦争を見ると
そういう猜疑心が生まれるのも無理は有りません。
恐らく日本人よりも
多くのアラブ人の方がそういう感じで捉えているはずです。
しかし、本来はこうした戦争は
グローバリゼーションに逆行する行為だったと
理解してほしいです。
グローバリゼーションの発想に於いて、
先ず言えることは、
「世界を統一することは不毛であり、
統合だけが唯一の手段である。」
統一と統合の違いは、
同じに見えて、
全く別物なのです。
統一とは、一つの制度を他に強要する支配であり、
統合とは、他との妥協の元で一つの制度を生み出すもの…
最終的に、
一つのルールで纏まるという点で
両者の違いは無くなりますが、
その過程に於いて大きく異なります。
いわば、嫌々か渋々かの違いです。
しかし、嫌々の場合、
命令を下す側が絶対で、
反論するにはケンカいわば紛争しか無くなります。
いわばドイツ占領下にあった
フランス国民のレジスタンスという行為に成ります。
逆に渋々であれば、
反論の余地は残されます。
いわば双方の妥協によって成立した分、
新たな妥協を主張する事に何の制裁も受けないわけですから…
ただし、EUのケースのように妥協案が通らずに、
イギリスが離脱するという事も勿論な事です。
でも、統合なので交渉は白紙に戻っても、
制裁を特に受けるわけでは有りません。
こうした意味で、グローバリゼーションは
国連を主体として統合するというのが目的なのですが、
イギリスの様なケースであり、
アラブ諸国の人々が抱く不信感、
民主制以外の国が抱える様々な妥協点を考えると、
容易ではないのも事実です。
先ず、イギリスの様なケースに対して
考案されたのが、グローバル経済化です。
これもアメリカ優位と勘違いされる方が多いと思いますが、
アメリカはその意図を理解しているが故に、行動が早いだけで、
懐疑的な国ほど出遅れているというのが事実です。
逆に、日本より韓国の方が早くこの機会を捉えたため、
韓国企業が大いに飛躍する切っ掛けに成った事を、
考えてみるべきでは無いでしょうか。
グローバル経済化の本来の目的は、
「世界経済の底上げ」
で、これは2000年の国連ミレニアム・サミットで
提唱された事です。
なぜ、「底上げ」か…
単純に理解される方は、
人道的な意味で捉えている事でしょう。
いわば、
世界中から飢餓を無くすためといった感じで。
勿論、そこも目的の一つですが、
それだけでは社会が重い腰を上げることにはなりません。
≪先ず、政治上の理由として言えることは、≫
経済均等化が進まない限り、
世界の国境を無くす事は適わない
という事です。
EUを例に挙げる前に、
日本で考えてみて下さい。
日本には「出稼ぎ」という言葉があります。
「出稼ぎ」はかつて地方よりも
都市部の方が労働条件が良かったことから、
都市部に労働人口が集中したという現象です。
近年では、この「出稼ぎ」労働者は、
中国やフィリピンの人たちを対象に言われますが、
そもそもその土地で働くよりも、
日本で苦労するほうが、より豊かに暮らせるから
という発想なのです。
アメリカで言えばメキシコの不法労働者がそれに当たります。
国境を閉ざしているが故にこの流入に歯止めが掛かるのですが、
EUの様に国境を開けば、歯止めは掛かりません。
そこで国境を開く前に、
ある程度経済均等化を図ることが求められた訳です。
またイギリスが直面したのは労働者の流入以外にも、
難民問題が圧し掛かる訳ですが。
難民問題を解決するには難民が発生する
国情不安を解決しなければ成りません。
ただ、リビア、エジプト、シリアで
起きた国情不安の根底は、
リーマンショックで起こった各国の
経済低迷が要因であった事も忘れては成らない事です。
いわばグローバリゼーションの効果で上向いた地域が、
リーマンショックを機に経済が冷え込んでしまった事を、
政権に責任転嫁した事に始まります。
日本も同じで、円高と株安に限って言えば
当時の民主党が非難の的に晒されたように
結局、選挙による政権交代に結び付いたわけです。
(無論、原発問題等もありますが、
経済が今の状態、
いわばアメリカ好調の恩恵を受けていれば、
政権側にとって大きな問題に発展しない
という現象でも説明がつきます。)
ある意味、アラブの春は、
グローバリゼーションの副作用と成った訳ですが、
経済の安定=政権の安定に繋がることは、
ほぼ間違いないと言えるでしょう。
ただし、そこを差し置いてデモ隊の
「革命」という主張に手を貸した事は、
グローバリエーションに逆行する意味を齎したことに成ります。
いわば先進国の都合と切っ掛けで排除しようとした
印象を与えてしまった事と、
経済不安=政権不備という概念を
それらの国に植えつけてしまったのですから、
再び世界経済不安が生じれば再び政情不安とともに
更なる難民発生へと結びつき兼ねません。
そういう意味で、経済底上げと同時に、
政情の安定化が必要と成り、
その為には民主的政策が好都合なのですが…
それは後述で述べると致します。
取り合えす、国境を撤廃するには、
先ず、経済の均等化=経済底上げが
必要になるという政治上の意味で
グローバル経済化の必要性があることと、
もう一つは、上記の逆で、
経済不安=政権不安という効果が、
戦争で無く、経済制裁の課す役割を
大きく示せるという事でも有ります。
その為には経済協調が進めば進む程、
その価値は強まり、
自然、軍事より外交がさらに比重を増し、
戦争というオプションから
遠ざかる効果も出てくるでしょう。
そしてEUの様に国境が無くなれば、
国籍の混在が進み、
戦争による解決は必要なくなる…
というのが最終目標です。
まあ、EUでこの目標を見失いつつあるのは、
平和ボケが理由なのでしょうが、
今後の価値観忘却現象という課題で考えなければ
成らないのかもしれません。
≪次に、企業的な価値≫
グローバリゼーションを提唱するうえで、
最大の難点となったのが民間企業の協力です。
グローバリゼーション、
いわばグローバル経済を推進する上では
民間企業の協力なしには進められません。
そこで最初の実験地と成ったのがBRICsだったのです。
元来、企業としてみれば安い人件費で安く生産し、
国力の高い市場でモノを売るが一般的でした。
単純に価格という点で、
その方が競争力として有利に成るから当然です。
しかし、この発想をグローバル経済による
マーケット拡張理論を唱えることで変換させたわけです。
インド、ブラジルはさておき、
中国とロシアが大きな成果を生み、
特に中国は最適だったと言えます。
実は北京五輪をネタに、中国の市場を開放させ、
政治の国際協調いわばWTO加盟などから進め、
安い人件費と共に、企業の進出を促すことから始めました。
中国が最適であった理由は、
変な意味で共産党独裁だったからでも有ります。
一党独裁故に改革に着手するスピードも、
法整備もスムーズに行える。
故に、賃金の上昇や、富裕層の拡大もスムーズだった。
そしてバブルを引き起こしさらに富裕層を拡大させ、
世界的なマーケットとして魅力的な存在に成った。
いわば、15億人全体がそうでなくとも、
その内の1/5でも3億人とアメリカに匹敵する
市場に発展した訳で、
更に、中国企業の躍進がそれらの生活レベルを安定的に
支える存在となった。
この中国での成功は、
グローバル経済の価値が評価される切っ掛けとなった訳です。
いわば一国を刺激して、経済を底上げすることで、
更に多くの消費者が誕生することなり、
価格競争を考える以上に、モノが売れて更に利益を出せる。
それゆえに安い賃金の上昇が必ずしも
不利益には成らなくなるという事が言えるわけで、
単純に賃金高騰化しても、
支店や工場などへの出資に1/3の資産を投入したとしても、
2倍いわば米国と同等の市場と成れば利益は必ず出る。
という感覚なのかもしれません。
ただし、難点は…
1企業だけでは意味がないという事です。
1企業の力だけでは、多くて10万人、
平均で1万人程度にしか影響が与えられません。
それだけの市場を刺激した所で、
その企業は逆に赤に成るのは目に見えています。
そう考えると刺激をせずに
安い賃金を維持してもらう方が
得策に成ります。
これが国を挙げて狙いを定める、
またはBRICsの様に世界中が狙いを定めて
一気に刺激をすれば
1万が100万、数千万、1億という数を生むわけです。
そうすることで1企業の刺激負担を軽減して、
マーケットとして拡張させる訳です。
これがグローバル経済の仕組みなのです。
ある意味、次の実験台はTPPと見ているのですが、
TPP内の国家間が価格競争を意識して
成長国が賃金向上を渋りだすと、
技術面の均等化に伴って先進国が不利になるという点は、
ヒラリー・クリントンがいう通りの課題と成ります。
よって賃金均等化へ向けたTPP間調整を交渉するのが
得策と考えます。
まあ、そうすれば日本の農作物の価格帯も
高い水準では無くなるだろうし、
逆にその価格で購入できるマーケットが広がると考えられます。
まあ、人口的に日本の7倍ですが、
最低でも現状の2倍は推測できるのでは…
ただし、それはTPP内で市場が均等化して
広がった場合に限ることを
理解しておいて下さい。
また、これはイギリスのEU離脱に伴った動きとしても、
EU内では考慮すべきで、
イギリスの人口5000万人には失礼ながら打撃を加えますが、
EUの約半分無いし、1/3の1億人規模を刺激する上では、
EU圏東欧諸国刺激策として、
英国に在籍する工場の移転を
日本や米国が国家単位で促進することの方が、
経済活性に効果的だとも考えます。
無論、英国の5000万人の市場を考慮する上で、
完全移設では無く、英国への市場規模を残した上での話に成ります。
その意味で、英国はEUとの自由経済は自国とEU間に止め、
海外資本に限っては分断する。
いわば日米の外資系企業による英国からEUへの輸出は協定外とし、
EUから英国への輸出も同様にする。
よって英国市場へのアクセスは英国内に、
EUへのアクセスはEU内にとすることで、
活性経済を取り込みつつ、
英国経済への打撃も大きく緩和出来ると思われます。
何より、EU経済活性化という名目をなしえるために、
各国政府が側線して企業をリードすべきで、
EUの貧困層の人口規模を考えると、
大いに世界経済全体の活性化にも貢献すると考えられます。
そして、世界経済が活性化されれば、
EUを離れた英国も自然恩恵を受けることと成り、
心配された打撃も相殺されるのではと考えます。
グローバル経済に於いては、
一見、一時的に企業へ負担を強いるが、
国、または国際社会でリードすることで、
その負担は逆に更なる安定供給または安定市場を生み出し、
負担分より大きな収益を齎すものであるという事です。
一国の政権がその責任(企業へ負担を強いる…
いわば英国からEU圏に工場移籍などを
提案する様な話)
を負うことを恐れるだろうから、
国際社会全体で流れを作ってしまうのが得策で、
極めてこういう部分ではアメリカにリードされないと、
日本は動かないのも事実です。
まあ、それでアメリカがリードしようとして、
アメリカの陰謀やら何やらで出遅れるのが
日本の特徴でも有るのですが…
グローバル経済がアメリカ主導に成るのは
結局は自然の流れなのです。
次にアラブ諸国への不信感を解消するためなのですが…
価値観を押し付けるのでは無く、
価値観を植え付ける。
本来ならば、価値観を共有するという言葉望ましいのですが、
我々、民主的な先進国家の人々に考えさせるために、
「植えつける」という言葉用います。
それは共有という言葉だと、
多くの人がイスラム教の教えも情報として
我々は既に共有していると考える人も居て、
アラブ人の方が共有するつもりが無いんだと
結論付けられると通じなくなるからです。
そういう意味で我々サイドが戦略的に考えやすいように
「植えつける」としています。
では、押し付けると植えつけるの意味は?
統一と統合でも語ったように、
一方は強要であり、
もう一方は今度は妥協では無く順応です。
前述のとおり民主制はグローバル化に於いて、
好都合な制度なのですが、
強要にはいずれ反発を生みます。
我々の日本においても、
「現行憲法はGHQの押し付けだ!!」
なんて言い分が出てきます。
でも、とても民主的な憲法ですよね…
しかし、押し付けられたモノという印象は、
その国のアイデンティティを考えると、
何だか気分よく感じないのも仕方ない事でしょう…
そういう意味で、
日本人より欧米の制度に対して
疑心暗鬼になっている上に、
キリスト教とイスラム教という
宗教的な対立軸を描くアラブ人にとっては、
簡単に受け付けられる話でもないのです。
いわば民主制はキリスト教の教えが主体で、
それを押し付けられることは、
宗教そのものを押し付けられた
と考える人も多々出るからです。
そこで「植えつけ」という順応の話ですが…
これは洗脳の意味を齎してはならない、
非常に繊細な話です。
順応はあくまで自然的な流れで近づいてくる事を
意味します。
いわば生活する上で、
そっちの方が暮らしやすい
と実感してもらう事が大事なのです。
実際に、東南アジアはイスラム教の人口が多いにも関わらす、
民主制が浸透しています。
ある意味、中東よりも他宗教だからという点もありますが、
政教分離の心地よさに順応できた存在と
理解すべきで、他の社会に可能性を示してくれる存在です。
いわば、イスラム教徒だから民主制には順応できないという
先入観は外すべきなのです。
そうした意味で何をすべきか…
正直、大人になれば成るほど、価値観は固定されて、
他の価値観を受け入れられなくなる。
これは心理学的に言えば、
新しい世界へ飛び出す際に、
若い人は古い世界での経験が少ないため、
古い社会に於いての順応術、
いわば処世術や社交術といったものを
古い世代から教えられている過程故に、
その反発心から新しい世界への価値観を見出しやすい。
逆に、古い世代はその社会での順応術が当然のように
心地よく住み慣れたものとして存在するが故に
新しい世界に対しては反発する。
更に社会的地位を確立したものは、
その地位を脅かされかねない猜疑心に捉われ、
より強く反発する。
というものです。
別な例を挙げると
軍事産業の役員が平和に向かう動向、
いわば国際協調路線に対して
自らの社会的な危機感を感じて
分断社会の価値観を押し付けようと
してしまうのに近い発想で、
未来の展望云々は関係なくなる心理です。
まあ、大体、こういう人間は
上げ足とる発言に終始するのですが…
ただ、こうした人たちを説得するのは困難であり、
無理に推し進めようとすれば、
我々の民主制でもあるように
パワーゲームに発展するだけです。
これが国家間同士になれば戦争で、
中東においては革命、革命の連鎖なのです。
そこで考えられたのが、
世代的順応効果です。
今の時代は、映画、音楽、またインターネットと、
情報を共有しやすい環境が整っています。
華やかな文化は、常に若い人を刺激するものです。
その華やかな文化に憧れる気持ちの下で、
世界中の若者が価値観を共有していくのが
世界的順応効果なのです。
「テイラー・スィフト可愛いよね♡」
「スターウォーズ見た?」
そして、場合によっては
「ドラゴンボールの誰が好き」
とか、
「ポケモンGOやってる?」
といった世界共通で楽しめる話題が浸透し、
その世界に心地よさを感じる比率が上昇すれば、
自然と国家単位で変革を齎すという意味です。
しかし、そこに政治的な意図を感じさせると、
せっかくの若い世代は古い世代に戦略的な意味で
価値観を強要され、古い社会への順応こそが
国家の為という意識を植え付けられてしまいます。
こうした流れは我々の日本にも有るのでは…
反米、反中、反韓の類もそれに近いと思うし、
アメリカに於いては黒人から白人へ持つ感情、
また白人から黒人へ持つ感情として
少なからず残っているのです。
アメリカのそういうケースで考えると、
60年前とは大きく異なり、
差別=社会悪という意識が定着したことは、
社会の大きな進歩と考えるべきなのでは無いでしょうか。
まあ、今アメリカで起こっている現象は、
コミュニティー間嫌悪という部分が強く、
黒人だけのコミュニティで、
白人を別物と見ているところがあり、
白人の中にも別物と見ている彼らに
不信感を抱いているという感じで、
これを国家的にしたものが、
欧米とアラブ諸国なのでは無いでしょうか。
アラブ諸国からすれば、
欧米人は俺らを騙そうとしていると感じ、
欧米人からすれば、
アラブ人は俺らの命を常に狙っている。
こういう感覚が
世代間に前述でも説明した戦略的な価値観として
受け継がれていくと、
いつまで解消されなくなってしまい、
イスラエルやパレスティナの状態にまで
発展しかねないわけです。
ISの問題で、欧米とアラブの感情は
より鮮明に浸透する恐れが有るのですが、
焦ってアラブに民主化を進めようとすれば
逆効果にしかならないことを先ず気づくべきです。
そういう意味で、無暗に革命等には関与せず、
公平な選挙による解決を望むものに限り、
支援するという姿勢を貫くべきなのです。
何故、選挙に拘るのかというと、
選挙では最終的にその国民が決断を下すわけで、
関与した他国の思惑が及んだという印象は、
公平である限り、ほぼ薄れます。
しかし、武力支援では、
その国民全体の意思という意味では逆に薄れ、
支援国の思惑という意味が強く残ります。
支援国の思惑が残ると、
侵略を受けたという言葉が説得力を増し、
その後の反対勢力への勧誘へと結びついていきます。
これは現状でもISなどが勧誘に使う手口で、
実はアルカエーダも利用していたのです。
欧米諸国が軍事的な関与で
アラブでの信用を失うことは、
逆にテロリストなどが拡大する口実と成るだけで、
何の生産性も齎さないのも事実です。
そういう意味で、
アラブの春グローバリゼーションから
逆行する行動と成ったと前述で説明した訳です。
グローバリゼーションに於いては、
アメリカであり、日本も含む先進国が、
文化的な価値を広めて、
経済で繋がることの意義を以て
相互の敵意を緩和するのが目的なのです。
それには10年や20年という年月では無く、
今の10代、20代が大人に成って、
その地位を確立するであろう
50年くらいの年月で考えるべきなのです。
それまでの間に我々の世代が、
そうした可能性を利害や時間的な焦りで
妨害してしまう事の方が望ましくないのです。
そして最後に民主制以外の国に対しても、
長い意味で変革を齎していくという意味では同じなのですが、
現状、独裁国家として国連に加盟している国に対しては、
その国民が飢餓に苦しんでいると言った人道的な不備が無い限り、
その罪は問わないとし、
独裁者としても善政を心がければ
国際社会から狙われないように促しているのです。
国連憲章の解釈として、内政不干渉も含めた総合的な意味で。
それが、リビアとエジプト、シリアで崩壊した。
エジプトとシリアは一応民主制なのですが、
デモを弾圧したという理由がそもそもの間違いなのです。
我々の感覚だと、デモを弾圧するのは
人道的では無いと考えがちですが、
デモが暴力的なものと発展する場合、
警戒するのも当然です。
ただ、日本も同様で、デモを起こす場合は警察に
道路交通法などの理由で許可申請を出さなくては成りません。
それが無ければ日本でも逮捕されます。
こう考えると各国でデモの基準は設定されており、
その設定以外のモノは強制排除する権利が有ります。
無論、そこには認められる範囲のデモと
そうでないものも存在します。
しかし、その基準はその国の国情で決めることが当然で、
他国が意義を申し立てることは内政干渉に成ります。
実際、リビアにしてもエジプトにしても、シリアにしても、
一応は自国のルールを以てデモ停止命令を出した上で、
それでも止めない為、行動を起こしたわけです。
これを機会として軍事支援や、退陣要求を出すことは、
国連憲章の信用を落とす意味を成し、
力のない国は力の有る国のさじ加減でつぶされる事を意味します。
こうした流れは不信感を抱く人々を増幅させ、
グローバル化の流れに反発する組織を生むだけです。
よってグローバリゼーションはとても繊細で、
長い時間を要する政策なのですが、
焦って民主化のチャンスと捉えた行動や、
国益を見据えた行動などで
逆行してしまうものなのです。

まあ、グローバリゼーション自体は、
アラブの春以降停滞しているというのが事実で、
失敗したという評価自体、
何も知らない人の戯言なのです。
まあ、ここまでの構想があって
失敗したなんてことに成ったら、
地球という人類が如何に未熟化
という話にしか成らないんだけど…
そうなればこの世界は
金(カネ)の地獄という意味で、
金獄に成るだろうけど・・・
とりあえずグローバリゼーションを題材にした
フィクション的な作品を書こうと思ってます。