「イエス・キリスト」その3 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「イエスに兄弟がいたことは、彼の母マリアがカトリックの教義では永遠の処女とされているにもかかわらず、事実上、議論の余地はない。それについては、福音書にもパウロの書簡にも証言がいくつもある。イエスの死後、初期のキリスト教会の最重要リーダーになるイエスの弟ヤコブについては、ヨセフスさえも言及している。イエスには、少なくともヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダという4人の兄弟と、福音書では触れられているが残念ながら名前を数もわからない姉妹もいる大家族の一員だったと考えてはいけなり理由は少しもない。」


「イエスの父ヨセフについては、幼少期の物語に登場した後は福音書からすぐに姿を消してしまって、ほとんど何も知られていない。ヨセフはイエスがまだ子供のころ死んだというのが、大方の意見が一致するところである。」


「マタイとルカはそれぞれ相手の著作について全く知らなかったにもかかわらず、イエスの幼少期の話として処女降誕について説明しているということは、おそらく処女降誕の伝承は最初の福音書である『マルコによる福音書』以前にさかのぼる、古くからあった言い伝えであることを示唆している。他方、マタイとルカの幼少期物語以外には、新約聖書のどこにも処女降誕を思わせる記述はない。イエスはこの世の生まれではなく、別世界からきた霊的存在としている福音書記者ヨハネも、イエスを文字通り神の化身と考えるパウロも、処女降誕にはまったく触れていない。あまりにも記述が少ないために、かえって大勢の学者たちに、処女降誕物語はイエスの親についての不都合な真実、たとえば、彼が婚外子として生まれたというようなことを隠すためにでっち上げたのではないかという憶測をかき立ててもいる。」


 「マルコによる福音書」6章3には、『この人は大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちはここで我々と一緒に住んでいるのではないか」とある。