「古代のナザレは、ガリラヤ南部の吹きさらしのでこぼこした丘の上にあった。この小さなユダヤ人の村の人口はせいぜい100世帯くらいで、道路も公共建造物もなく、会堂もなかった。村人たちはたった一つの共有の井戸から飲料水を汲み、雨水を地下水槽に溜め、それを浴場に引いてみんなで利用していた。村人のほとんどは読み書きのできない無学者、農民、日雇労働者で、村の名前はどんな地図にも載っていなかった。」
「イエスはおそらくこの町で生まれ、育ったものと思われる。イエスが数百人の貧しいユダヤ人が住む、閉鎖的な小村の出身であることは、彼の子供時代について私たちがある程度信頼できる唯一の事実であるかもしれない。イエスはナザレの出身とされていることから、彼は終生、単に『ナザレ人』として知られるようになった。」
「それならば、なぜ『マタイによる福音書』(2章1-9節)と『ルカによる福音書』(2章1-21節)だけが、イエスはナザレではなく、ベツレヘムで生まれたとしているのだろうか?ベツレヘムの名は『ヨハネによる福音書』の1節(7章42節)を除いて、新約聖書の他のどこにも出てこない(イエスを繰り返し『ナザレ人』と呼んでいる『マタイによる福音書』や『ルカによる福音書』でも、上記の箇所以外にはまったく出てこない)。
本書全体にわたり『Q資料』(マタイ及びルカによる福音書にのみ取り上げられている資料)や『マルコによる福音書』などの資料が駆使され、イエス・キリストの謎が論じられている。